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荒波の将軍  作者: 夕月日暮
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第九章「気運」

 楠木正成再び挙兵、との報が高氏の元にも届けられた。場所は赤坂城からも近い場所にある千早城である。次いで大塔宮が各地で反鎌倉の戦いを始めたとの報も入った。

 鎌倉の内部は騒然としている。楠木正成の挙兵に恐れたのではない。戦乱がまだ続くという気配に心が揺れたのである。

 現状に不満を持つ者たちの期待や不安、己の進退をどうするかという思惑があちこちで飛び交い始めた。もはや鎌倉は組織ではなく、烏合の衆になりつつある。

 戦乱の長期化は、人心の動揺を招く。それは鎌倉の支配者たちも例外ではなかった。

「足利殿に謀反の疑いあり」

 と、まことしやかに囁く者もいる。実際、高氏はそう取られてもおかしくない態度を取っていた。

 後醍醐天皇に対して鎌倉が軍を出したときも、高氏は終始不機嫌だった、と周囲には映ったのである。天皇に弓矢を向けることへのためらい、父の死に対する動揺などは、全て北条氏への不服という風に考えられた。

 高氏はこうした噂に対し、何も手を打っていない。生来楽観的だった彼のことだから、そんな噂は取るに足らないと思っていたのかもしれない。あるいは、下手に言い訳をしてもかえって怪しまれるだけだ、と考えたのだろうか。

 そんな噂話よりも、高氏の心は、足利氏の進退のことで占められていた。

「鎌倉の大軍は楠木正成に苦戦しているそうだ」

 その日、高氏は次郎を招いて、戦の話を振った。次郎は戦そのものは下手であり、広い視野で政局を見る能力も高氏には劣っていた。しかし高氏が見落としがちな細かい点にも気がつくため、こうして相談役になっている。師直だと高氏と考えていることが似ているため、意気投合はしても相談相手にはならない。

「無駄なことをしておりますな。聞けば軍の大部分は無為に過ごしているとか」

「山にこもる相手と戦うのはさぞ骨が折れるであろうな」

 鎌倉武士は城攻めを不得手としていた。そもそも本格的な籠城戦というもの自体前例がないため、このときの鎌倉武士を無能とするのは酷であろう。

 しかし、次郎の言うように、無為に過ごす兵は多かった。正成の千早城は堅城であり、落とせそうな気配もない。それに、攻めれば少ないながらも犠牲が出る。しかもこの戦いで勝っても恩賞は期待出来ない。そんな状況で、自己負担の戦を続けなければならない。これでは、武士の士気が下がるのも当然だった。

「我らは鎌倉から疑いをかけられておる。ゆえに、簡単には軍勢を持たせてくれまい。だからこそ、こうしてゆっくりと出来るわけだが」

「のんきに構えている場合ではありませぬ。我らもそろそろ、決めねばなりませぬぞ。鎌倉か、朝廷か」

「それを決めるのはわしではない」

 高氏は庭先に視線を移した。そこからは、澄み渡る青空が見えた。

「よいか、次郎。我らにとって大切なのは足利の家を守ること。我らが味方をするのは、勝者の方よ」

「つまり、朝廷が優勢であれば朝廷につく、と」

「そうだ」

 高氏は、個人としてはどちらの味方でもない。鎌倉の現状には不満を抱いているが、それに従うしかないのであれば従う。これまでの当主たちもそうしてきた。

 しかし、次郎は高氏の答えに不服らしい。しばらく険しい表情を浮かべていたが、やがて凄味のある声を上げた。

「兄上、おそれながら」

「なんだ」

「兄上は、北条に代わるつもりはありませぬか」

 次郎の指摘に、高氏は目を丸くした。そのようなことは考えたことがない。

「どういうことだ」

「足利が武家の棟梁となるのです。かつて源頼朝公がされたように、兄上が新たな武士の世を作り上げるのです」

 次郎は彼なりの言い分を語り始めた。

 そもそも武家政権は源頼朝が創設したものだが、それを北条氏が乗っ取ってしまった。本来なら頼朝に次ぐ源氏の名流として、足利氏が中心となっていてもおかしくなかった。この一事だけでも、理由としては十分である。

 今回の戦乱は朝廷と鎌倉の対立だが、実際は後醍醐天皇一派と北条氏の私的闘争の色合いが濃い。それに付き合わされる武士たちは迷惑している。おまけにどちらが勝っても、武士たちが得られる利益はない。

 そこで足利氏が反北条の武士勢力を集結させれば、鎌倉を倒すことも不可能ではない。その軍事力を背景に、朝廷と渡り合うことも可能である。

 そうした次郎の言い分を聞き終えて、高氏が出した答えは否、だった。

「わしはそのようなことは望まぬ。頼朝公は確かに尊敬すべき御方だが、その一族は哀れな末路を迎えた。代わって鎌倉を握った北条も今はあのざまよ。わしは、足利をそのようにしたくはない」

「しかし、決して手の届かぬ場所にあるわけではございませぬぞ」

「いや、それも分からぬぞ。わしらもそうだが、武士というのは己の土地や家名を第一とする。ゆえに、見込みのある者にしか従わぬ。この状況でわしが号令をかけても、北条を恐れて誰も従わぬであろう」

 繰り返し述べるが、足利氏は鎌倉政権では北条氏に次ぐと言われた有力御家人である。しかし、北条氏との力の差は大きかった。多少の武士は従ってくれるかもしれないが、北条に勝てるという見込みは薄い。

「次郎、あまり高いところばかりを見るな。それよりも多くのものを見よ。そう遠くないうちに、我らが動くときは来る」

「そのときは、足利が武家の棟梁になるのですか」

「それはまた別の話だ」

 高氏はそう言って目を閉じた。

 足利の当主というだけでも気が重い。高氏には、それ以上を望む気持ちはなかった。


 まるで、鎌倉の支配という『氷』が溶けていくかのようだった。

 楠木正成や大塔宮の奮闘は、勝利こそ生まなかったものの、反鎌倉の気運を高めるのに役立った。

 そのうち元弘三年(一三三三年)になった。後醍醐天皇が笠置山で挙兵してから二年経っている。鎌倉は、まだ楠木正成を落とせずにいた。

 戦略面では大塔宮の存在が大きかった。各地の反鎌倉勢力に働きかけ、積極的に挙兵を促している。戦乱が簡単に終わらなかったのは、正成と大塔宮によるところが大きい。

 さらにこの年の二月、鎌倉にとっての大問題が発生した。反鎌倉の総大将とも言うべき後醍醐天皇が、隠岐から脱出してしまったのである。

 後醍醐の脱出には伯耆国(現在の鳥取県)の豪族、名和長年が関与していたという。この人もまた、鎌倉に反発する悪党だった。正成の奮闘を見て、後醍醐に味方することを決意したのであろう。

 長年の助力を得て、後醍醐天皇は伯耆国の船上山で再び挙兵した。正成、大塔宮が守ってきた火に、後醍醐天皇は油を注いだようなものだった。軍事力こそ鎌倉優位のままだったが、世論は確実に傾き始めていたと言っていい。

 それに焦りを感じたのだろう。足利に謀反の疑いあり、としておきながら、北条は再度高氏に軍勢を与えたのである。

「そなたは軍勢を率いて上京せよ」

 高氏に命じたのは高時である。その顔は真っ青になっていた。

 軍事力はある。しかし、それだけではどうにもならないものが、鎌倉という組織を呑みこもうとしている。高氏はそのように見た。

 ……次郎ではないが、そろそろ決めねば、足利も呑まれかねんな。

 そんなことを考えていたときだった。高時の側に控えていた長崎高資が、驚くべきことを言ったのである。

「足利殿。軍勢を与えるには条件がある」

「条件でございますか」

「左様。そなたの奥方とご子息を、鎌倉に残してもらいたい」

 要するに、人質だった。高氏が鎌倉に謀反を企てるようなら、登子と千寿王の命はないであろう。

 ……なんとなさけないことか。

 このとき、高氏は苦々しい思いで高時と高資を見た。武家の棟梁として、なんと器の狭いことか。

 武士は軍事力で屈服させ、満足させることで支配を承服させるものである。今の北条は前者こそあれど、後者は完全に失ってしまったようだった。

 高氏なら、例え相手が疑わしくとも、こういうときは気前のいいことを言って相手を送り出す。そうして相手の心を掴むことこそが、棟梁として大事なのである。それをこのように、人質を出せ、などと言ってしまえば、余計相手の心が離れるだけだった。その場は凌げても、いつかは相手に裏切られるであろう。

 ……統治者としての北条は、終わったか。

 実際、高氏の心は朝廷方へと大きく傾いた。それでも、決断するには至らない。ただ、妻子を守るための手は打っておこうと思った。自分がどう動くかにもよるが、鎌倉の動向は逐一耳に入れておきたい。

 屋敷に戻った高氏は、早速そのことを師直に告げた。

「では、信頼のおける者をお付けいたしましょう」

「ああ。竹若丸にも付けてやってくれ」

「……幸寿丸様は、どうされますか?」

「あれは構わぬ。鎌倉とて把握しておるまい」

 竹若丸は庶子とは言え、鎌倉にも知られていた。幸寿丸は、家中でも知る者は少ない。

 一通り師直に指示を出した後、高氏は妻子の元に顔を出した。

「登子、わしは京に向かうことになった」

 そして、高氏は事情を説明すると共に、自分の率直な思いを妻子に伝えた。

「北条は統治者としての能力を失った」

 そう断言する夫を前に、登子は何も言わなかった。

 彼女は北条の血筋を引く人間である。現執権の赤橋守時は彼女の実兄でもあった。

「登子よ、わしはまだどうするかは決めておらぬ。ただ、万一ということもある」

 さすがに高氏も、鎌倉に反旗を翻す、とは言わなかった。しかし、彼の言わんとすることは登子に十分伝わったらしい。

「殿に嫁いだときより、覚悟はしておりました」

 彼女は短くそう言った。それ以上、何かを言うつもりにはなれなかったのだろう。後は高氏が何を言っても、終始黙っていた。

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