呪われた集落 下
ベッドで就寝。巧馬はいなかった。自分の寝室で寝たのだろうか。春と剛だと思われる寝息が聞こえる。部屋は薄暗かった。起きているのは、銀也だけだ。
ひょっとしたら優斗はと思ったが、優斗も寝ている。
こんなところに雑魚寝なんてしたくはないんだがなと銀也はソファーに寝っ転がった。そして再び眠りの世界へと行ってしまおうとしたところで自分達の用件を思い出した。
「ここで寝てる場合じゃねえ!」銀也は立ち上がる。
「当たり前だろ。暢気に寝てるなんてお前と優斗くらいだって」
春が立ち上がった。寝息は嘘だったらしい。剛もゆっくりと立ち上がる。
「あんまり飲み過ぎるなよ? 俺達は飲んだ振りして、実は巧馬がトイレにいった隙に台所に流したりしてたんだぜ」剛がそう言い電気をつけた。
「そうだったのか……。で、こっからどうするんだ? お前たちの話じゃ……」
春が銀也に何かを渡した。それはどう見ても、凶器の類だった。「話は後だ。説明は前にもした。今はただそれを振るう時間しかない。気合い入れろ。覚悟を決めろ」
春の顔は真剣そのもので、銀也はただ頷いた。全身の筋肉が強ばるのを感じた。
春がにっこりする。「そしてリラックスだ。大丈夫、俺達がついてる」
「春……くるぜ」剛が言った。
優斗はふらふらと起き出した。彼は寝ぼけているようだったが、感覚の鋭い彼はすぐに状況を察し、差し出された得物を何も言わずに受け取り、それを構えた。そして、何かが入った小瓶を受け取る。
「あれ!」優斗は窓の外を指さした。そこに何かの気配を察したようだ。
銀也はまじまじと窓の外を見る。
猿だ。窓の外には猿がいる。日本猿……とは違うようだ。その倍以上の大きさがあり、目が黄色く濁っている。捲れた唇からは肉食獣のような鋭い牙が露出している。
「化け物じゃねえか」銀也は口をあんぐりと開けた。まさか、あれと戦えってことなのかと彼はパニックになった。
「いいか銀也。相手の見た目のインパクトにとらわれるな。この棍棒はどんな化け物にも対抗できるんだからな」
春の声は銀也の耳には入らない。あんな巨大な化け物とどうやって……。
扉の開く音がする。一同が玄関の方角を見る。リビングからだと死角になっていて何が入ってきたのかはわからない。足音と、歪な鳴き声。大きな虫が歯をこすり合わせるような奇妙な音。そして視界に現れたのは人よりも大きく、人と同じく直立歩行する奇っ怪な化け物だ。猿に似てるが、決して猿でもなく、人でもない異形。
そちらのほうだけに目を向けている暇はなかった。窓ガラスが威勢よく叩き割れ、リビングに同じ化け物が侵入してきた。
「俺はこいつをやる。春は廊下の奴を!」剛がそう言うと棍棒を大きく構えて化け物のほうに向かっていった。一振り振ると、化け物の胸にあたり化け物は苦悶の声を上げた。その鳴き声があまりにも奇っ怪だったので銀也は震えた。
「銀也、俺らも手伝わないと」優斗が言った。
「どうしろってんだよ……」
優斗が何かを言う前に、さらに窓ガラスが威勢よく割れてもう一体が現れた。近くで見るとより不気味だった。茶色い体毛に全身覆われていて、手の指は五本あるようだ。皺が寄った手は気味が気味が悪かった。
剛は先ほどの一匹と戦っているし、春は廊下に出ている。剛は自分よりも大きくゴリラのように太い腕を持つ怪物を相手に互角以上に戦っているが、もう一匹を同時に相手にすれば手こずりそうだ。
銀也は覚悟を決めて、咆哮を上げると後から入ってきた一匹に向かっていった。そして攻撃範囲に入ると一気に棍棒を振り下ろした。相手はそれを手で受け止めたのだが、もしかしたらこれが普通のバットのようなものであったらあっさりと受け止められて終わりだったかもしれない。例えバットが金属製であってもだ。
しかしこれは普通の武器ではない。怪物は悲鳴を上げて手を離し、体を竦めた。好機とばかりに銀也は棍棒を横に振るい、相手の脇腹に攻撃をヒットさせた。攻撃自体は肉厚によって大した威力になってないと銀也は思った。だが、不思議なほど効果ありの手応えを感じた。まるでこの棍棒が切れ味鋭い刀か何かのような。実際、怪物の叫びは尋常ではなく、見た目以上の効果を上げているのがよくわかった。
続けて攻撃を入れようとするも、相手は銀也を押しのけた。銀也はまるでボールか何かのように飛び、壁に勢いよく叩き付けられた。銀也は崩れ落ちる。
優斗の猛撃が怪物の頭部を叩くと怪物は崩れ落ちた。もう、起きてこない。怪物は不愉快な音を立てて蒸発を始めた。
剛も相手を倒していた。彼はすぐに銀也の元に駆けつけた。
「大丈夫か」
銀也は立ち上がった。不思議と平気だった。あの勢いなら背骨が砕けてもおかしくなかったのだが……。
「春だって無策ってわけじゃないってことさ」剛が言った。
よくわからないが、助かったようだ。銀也は立ち上がる。廊下から春が戻ってきた。慌てているようだ。すぐに三匹の化け物が姿を現した。そして窓からも二体が顔を出す。
「おいおい……緊急要請は出したのかよ、春?」剛が顔を強ばらせる。
「たぶん、これ以上は来ないと思うよ」春は自分に納得させるように言った。
計五体の敵を四人は相手にせねばならないことになった。筋肉隆々の化け物がゆっくりとだがこちらに向かってきているのだ。
発砲音。銃声の音を銀也は聞いたような気がした。だが今は構っていられない。
銀也の元には三体の化け物が押し寄せてくる。銀也はこれまでかとつい思った。
棍棒を春と剛はしまった。棍棒は伸縮自在で、一番小さくすればポケットに入る小ささになる。そして春は銀也に振り向いた。
「悪い銀也、優斗。接近戦の訓練はこれまでだ。棍棒をしまって、銃を使おう」
剛がポケットから銃を抜くと、一番接近している一匹の脳天に一発、続けてその背後にいる一匹の脳天に一発。それぞれ銃弾を浴びせた。轟音が響き、銀也は耳を抑えたい衝動に駆られた。
優斗は春の言うことにすぐに従った。棍棒を収納してしまい、銃を取り出しと自分に一番近い位置にいる一匹めがけて銃弾を撃ち込んだ。弾は相手の腹に当たったが、そのまま怪物は倒れ、蒸発を始めた。
銀也も優斗に倣う。棍棒をしまうと銃を取り出す。やることはわかっているし、訓練もしてきた。正確に相手の頭部に狙いを定め、落ち着いて、銃弾を撃った。頭を弾丸が貫く、なんともしれないいい音がした。
五匹倒した。しかし、まだ終わりではなかった。ここに化け物達を招き入れた張本人が最後に待っていた。彼はリビングに五匹目の後に登場したのだが、自分の仲間があっさり倒されるのを見るなり驚愕の表情を浮かべた。
化け物は、震えていた。
春がその化け物に狙いを定める。
「どうした? 命乞いでもするか、巧馬」
巧馬は元の姿に戻った。見た目はどこにでもいる普通の若者に。
「俺を殺すのかい?」
「ああ。悪いな」
春は銃を彼の頭に突きつける。
「友達だろ……?」
春は憐憫の表情を浮かべた。
「その友達をお前はどうしようとした? 今日の晩餐のメインディッシュにしようとしたんだ。これは自己防衛だ」
巧馬は自分の運命を理解したようだ。薄く、笑う。「お前たちがその手の連中とはね、ぬかったよ。初めからわかってたんだな。これが自己防衛なんて言わせないぞ。春、お前はただの殺人鬼だ」
「お前らは人じゃないだろ」
春は引き金を引いた。乾いた銃声が部屋に響いた。後にはただただ沈黙だけが訪れた。
「──猿もどき。それがあの化け物の一応の呼び名だってさ」
廃ビルの中で四人は集まっていた。ここが彼らの集い場所だった。一応公式に彼らのものと認められている。彼らの仲間もくるが、彼らは四人で一つのメンバーであり、四人で集まることが重要だった。
廃ビルの一階にある日当たりのいい広い部屋は四人のお気に入りだった。いつもここに菓子や飲み物を持ち込んでゆったりとして過ごす。だから廃屋とはいえその部屋だけは妙に生活臭が感じられる。
「あいつらは山奥に住み、徐々に人間界を蝕んでいく。いわゆる寄生タイプの化け物に近いのかもしれない。人を、自分達と同じ化け物へと変貌させ、自分達の仲間に取り組む。そんな存在だ。相当厄介なやつらしく、集落全てが取り込まれることもあるらしい」
「実際俺らが体験したのだってそうだろ? あそこら辺一帯の家全てが奴らの根城だったんだ」剛が言う。
「まあ、俺達だけじゃ無理だったよねえ。全部で五十匹ほどいたらしいじゃん。外で戦ってくれてたの、御守さん達だろ? 頼りになるよね、あの人」優斗が携帯電話をいじりながら言った。
銀也が浮かない顔をしているのに春が気付いた。
「銀也、どうしたんだ?」
「お前たち、化け物になっちゃたとはいえ、友達を殺したんだぞ。何とも思わないのかよ?」
剛は神妙な顔をする。
「……仕方ないだろ。あいつが化け物になっちまったのはもうどうしようもないんだし、人間に戻れる手立てなんてねえ。俺達を招待して食べるか、あるいは取り込むつもりだったんだ。もう友達でもないんでもないだろ、そんな存在は」
銀也はそれでも納得のいかない様子だった。
春が笑った。
「笑うとこじゃねえよ」銀也が呆れる。
「いいんだって。固く考え過ぎなんだよ銀也は。別にお前の友達ってわけじゃないだろ。大体、学校の同級生なんて一部を除いて二度と会わないのが大半なんだしさ。まあ同窓会で会ったりもするかもしれないけど。いちいちこんなことで感傷的になってたらきりがないよ。──俺達は人外に取り込まれたとほぼ断定できる地域に少数で赴き、確たる証拠を送り、救助の仲間と合わせて人外を滅した。仕事は確実に成功したんだ。そのことを喜ぼうよ」
銀也はより納得のいかない顔で春を見たが、ため息をついてこの話をやめにした。春はいつもそうだ。まあいい。二人が特に気にしてないならそれでいいんだ。自分の過去に関係のある人物ではないのだから。
剛はぼんやりと窓の外の夕焼けを見ていた。
春はああいうが、剛は巧馬のことが気に入っていた。地味だが、良い奴だった。金を忘れたときも学食のパンを恵んでくれたり、よくジュースを奢ってくれた。家に行けば最新のゲームをやらせてくれた。スポーツは苦手だしあまり自己主張しなかったが、親しい仲間の前では無邪気に笑う、気の良い奴だった。
忘れるわけはない。剛は彼が転校する前に渡してくれた剣道小僧という剣道着を着けた可愛らしい人形を持っていた。二人は剣道部で、お互いの剣道小僧の人形を交換していた。剛が緑色の人形で巧馬が赤だった。それを交換したのだ。
緑色の人形は、巧馬の家のテレビの横に置いてあった。
剛はもうそれ以上は考えないことにした。少しだけ、涙が出たが拭うともう話し合いには参加せず眠ってしまった。