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嘘キス  作者: 安芸
第二話 口下手な同僚
8/15

七 十月某日

 陽菜&拓 の物語、これにて終幕です。

     四・十月某日




「ついて来ないでったらっ」


 今日は月に一度のお愉しみの日だ。


 陽菜は朝から今晩のために準備万端体調を整え、ちょっとだけおしゃれして、仕事もせっせと終え、残業がないことを確認して終業と同時に退社したのだ。

 ところがエレベーターを降りてエントランスに出たところで追いかけてきた拓に掴まった。


「ちょっと待てって。話があるんだよ」


 陽菜は肩越しに振り返った。


「仕事の話?」

「いや」

「じゃあ聞かない」


 くるっと踵を返し、肩をそびやかして社員証をかざし、チェックゲートをくぐる。拓はむっとしながらもぴったりと陽菜のあとに続く。


「なんでだよ」

「悪いことしたのに、謝らないんでしょ? だから私も許さないんだから。もうヤだ、ついてこないでったら!」


 作務衣の君と再会し、拓にアパートまで送ってもらったものの、告白もなしにいきなりキスされたことを陽菜は怒っていた。

 あの夜からほぼ一ヶ月、拓とは仕事以外では口をきいていない。

 それどころか、極端に避けた。着信もメールも無視した。ランチも社外ですませた。帰りはできるだけひとりにならないようにした。とにかく徹底的に距離をおいたのだ。

 拓は背後霊のように陽菜のあとを黙ってついてくる。


「……まだ怒ってんのかよ」


 陽菜は振り向き、キッと拓を睨んで言った。


「あたりまえ! 陽菜はキスもエッチも好きなひととしかしないって決めていたのに、勝手にキスしておいて謝らないってなんなの!? 拓がちゃんとごめんなさいって謝るまで、なかったことになんてさせないんだからっ」


 一気にまくし立てると陽菜はダーッと駅まで走ってSuicaをタッチ&ゴーで改札を抜け、ちょうど停車中だった電車に飛び乗った。


「だから、待てって!」


 拓が追いついてきた。まだ扉の閉まる前だった車両に乗り込む。


「……どこか寄るのか?」

「……」


 陽菜はツン、と顎を上向けて返事をしなかった。

 拓は閉口し、髪をくしゃっと掻きながら明らかにまいっている様子だ。

 会話がないまま日本橋で下車する。ここから歩いて三分の場所にいま陽菜が一番お気に入りの夜間営業もしているオープンカフェがあるのだ。

 カフェの入り口で陽菜は足を止め、拓と眼を合わせた。


「言っておくけど、中までついて来るつもりならぜーんぶ拓のおごりだからね!」


 財布にしてやると脅したつもりなのに、なぜか拓は嬉しそうに笑い、


「いいぜ、なんでも食えよ」


 と、上機嫌で陽菜を促し、屋外の空いている席に座った。

 眼の前は歩道だが表通りに面していないため通行人は少なく人目もあまり気にならない。

 ライトアップされた店内とは異なり、屋外テーブルはガラス蓋付きのキャンドルライトだけが光源だ。

 陽菜と拓がついた席の横にはベンジャミンの鉢植えが置いてあり、なんとなく居心地がいい。見上げた秋の夜空にはミルク色のハーフムーンがかかっていた。


「こんばんは。ご注文はなにになさいますか?」


 絶妙のタイミングで冷水を運んで来たのはウェイターの塔谷とうやだ。

 白いシャツに黒のズボン、黒のスカーフ、黒のカフェエプロン姿のすらっと背の高い塔谷はルックスが抜群な上、愛想もよく如才なく、仕事は丁寧、気配り上手で優しく親切なので固定ファンがたくさんいる(陽菜もそのひとりだ)。

 拓はメニューも見ずにぶっきらぼうにオーダーした。


「ホットひとつ。おまえは?」


 陽菜はじーっとメニューを見て読み上げた。


「キャラメルモンブランプリンパフェとラズベリーを添えたクレープシュゼットとマスカルポーネクリームのバナナとティラミスのタルトと本日のおすすめマカロンと苺のショートケーキとアールグレーをお願いします」


 今日は月に一度大好きなスウィーツをごはん代わりにする日だ。

 どうせカロリーを取るなら好きなもので! 毎日頑張っている自分にご褒美!! の名目で好きなだけ甘いものを満喫する夜である。


「かしこまりました」

「あの塔谷さん、クリームは――」

「どれもたっぷりめでお作りしますね」


 塔谷がわかっているというようにクスッと笑って陽菜にウィンクしてくる。普通の男性ならばまず似合わないキザな仕草も、彼ならさまになる。

 陽菜が塔谷の後ろ姿を見送って、


「はー……今日もかっこいいなぁ、塔谷さん」


 と、ほれぼれためいきをつくと、拓が険しい口調で、


「男は顔じゃねぇだろ」


 と、口を突っ込んできた。


「残念でした。塔谷さんがすてきなのは顔だけじゃないんですぅ」


 容姿よりもお客をひとりひとり大切にする姿勢が塔谷のいいところなのだ。

 そう主張した陽菜となぜか機嫌を急下降させた拓が冷戦状態に突入しかけたとき、


「お待たせいたしました」


 塔谷が現れ、テーブルにキラキラ輝くスウィーツが並べられた。

 ケーキ、タルト、マカロン。どれもすごくおいしそうだ。


「パフェとクレープはただいまお作りしていますので出来上がり次第お持ちいたします。紅茶のポットは熱いですのでお気をつけて」


 陽菜は一度掌を合わせてからさっそくタルトに手をつけた。


「いただきます!」


 マスカルポーネクリームをひとさじ口に含む。濃厚なチーズの味わいがふわあっと舌にひろがった。


「おいっしーい!」


 まだその場にいた塔谷がクスリと笑い、軽く会釈した。


「ありがとうございます。シェフに伝えておきますね」


 塔谷が去るまで拓は執拗に彼を睨んでいたが、感じが悪いので見るのをやめるように陽菜が言うと渋々視線を外した。


「……ずいぶん親しげだけど、あいつに気があるのかよ?」

「ないよ」


 陽菜があっさり否定すると拓は「……ふーん」と露骨にホッとした顔をして、眼の前のコーヒーに手を伸ばした。

 陽菜はさらっと続きを言った。


「だって義郎さんの方がすてきだもん」


 拓がいきなり噎せた。


「ちょっと、大丈夫?」

「……大丈夫じゃねぇよ。なんでそんなに親父がいいんだよ」

「和服が似合って知的で優しくてどこか飄々としていて、かっこいいじゃない」

「ちっともかっこよくねぇよ! 締め切り破るわ、家事のひとつも出来ないわ、味にはうるさいわ、しょっちゅう行方不明になるわ、迷子癖はあるわ、まわりに迷惑かけても本人はしれーっとしてるわ」

「うんうん、それでそれで?」


 陽菜は身を乗り出した。運命の相手にはなれなくても一ファンとしてお近づきになれるかもしれない。

 そんな陽菜の心中を読んでか拓は途中で口を噤み、ふてくされたように足を石畳に投げ出した。


「……俺だって優しいだろう」


 それは知ってる。

 拓は優しい。


 陽菜がそう言うと、拓はちょっと動揺したように肩をぴくりと震わせてじっと陽菜を見つめてきた。心の奥まで覗き込むように。

 不意に黙り込んだ拓の視線が苦しげで、切なげで、とても一途で……陽菜は急に拓を意識した。


 ――いつかの夜と同じ。

 拓に突然キスされた夜。


 陽菜は緊張し、食べるのを中断した。コクリと息をのみ、身構えてしまう。


「……する、から」

「え?」


 よく聞こえない。

 陽菜が訊き返すと、拓はためらいを振り切るような激しさで繰り返した。


「――これからもっと優しくする。大事にする。努力しておまえ好みの親父似のオッサンになってやる。誓う。だから、まだオッサンじゃねぇけど――」


 フォークを持っていた手に手を重ねられ、グッと握られる。

 拓の手は熱くてちょっと手汗をかいて湿っていた。


「俺にしとけよ。おまえが好きなんだ」


 怖いぐらい真剣な拓の眼に射貫かれて、陽菜はぞくっと震えた。


 ……拓に恋愛感情はなかった。

 そのはずだ。


 なのに。


 陽菜は俯いた。


 ――どうしよう。


 嬉しい。


 胸がドキドキして顔が熱い。鏡を見なくてもわかる。真っ赤に火照っているだろう。


「……謝る?」


 勝手にキスしたこと。

 うやむやになどできない。

 どうしてもこだわってしまう。

 そして、


「……謝らない」


 拓もどこまでもかたくなだ。

 このままではいつまでも平行線だ。

 拓もそれはわかったのだろう。陽菜を見て一方的に告げる。


「……謝らねぇけど、許してもらう。気のすむまで殴れ」

「ええっ」

「ほら」


 眼を瞑り、ずいと顔を間近に寄せてくる。


「やれよ。平手でも拳でも思いっきり殴っていい。座ったままが嫌なら立つぜ?」

「暴力反対!」

「俺がいいって言ってんだ。いいからやれ」


 そんなことを言われても殴れるわけがない。

 だがなにかしないと拓も退いてはくれなさそうだ。

 陽菜は押さえられたままの手から伝わる熱にぎゅっと胸が締めつけられた。


 ……困ったな。


 どうしていままで気がつかなかったんだろう。


 ――拓が好き。


 一度自覚してしまえばごまかすことなどできなくて陽菜はパニックに陥った。

 なにも言えずなにも出来ずにいると、拓はがっかりしたようにぼやいた。


「……殴らねぇの? ちぇっ……だったら、おまえのいうことなんでもひとつきく。それで許せよ」

「……なんでも?」

「なんでも」

「か、考えておく」

「おう」


 拓の視線が熱い。見られている。おまけに手も握られたままだ。


「あのさ……」

「う、うん」


 拓は陽菜から顔を背け、横を向いた。決断しかねている様子だ。ためらった末、思い切ったように口を開く。


「前におまえ親父の後妻ならいいとかなんとか言っていたけど、俺はおまえを親父にくれてやるつもりはこれっぽっちもねぇから」


 重ねられた拓の手に力がこもり、逃がさない、というように更に強く掴まれて陽菜はドキッとした。


「けど……親父のこと、お義父(とう)さんって呼ぶことはできるんじゃねぇの」

「え」

「……おまえさえよければだけど」

「そ、それって」


 まさかプロポーズ?


 陽菜は固まった。思いがけぬ拓の言葉に心臓が破裂しそうだ。

 拓は茫然とする陽菜の眼の前で暗闇の中でもはっきりわかるほどみるみる間に赤面した。


「たまになら会いに連れて行ってやるし、なんでも許せるわけじゃねぇけど、ちょっとなら世話を焼いてもいい。息子の嫁って立場なら母さんもおまえのこと可愛がってくれるだろうし……」

「よ……」


 陽菜は絶句した。

 そこへ、


「当店ではウェディングケーキもご用意できますが」


 クレープシュゼットとパフェを運んできた塔谷に追い打ちをかけられる。


「と、塔谷さんっ」


 陽菜は反射的に拓の手を振り払おうとしたものの、それはかなわなかった。

 塔谷は涼しい顔で「置かせていただいてもよろしいですか」と拓に手を退かすよう暗に促している。

 手が解放される。ほっとするやら、残念に思うやら、陽菜の心は乱れまくりだ。

 ただでさえ「わわわわわ」と頭の中が大変な状態になっている陽菜の耳に、塔谷の普段より低めの囁き声が届く。


「それとも、私になさいますか?」


 塔谷が紙ナプキンとスプーンを配置しながら陽菜に微笑みかけた。


「お買い得ですよ」

「えっ。え? え? え? あ、あの」


 陽菜が混乱しどもると、拓が無言でテーブルに手をつき、ガタリと椅子を揺らしながら立ち上がった。怖い顔で塔谷を睨む。


「ふふ、冗談です。藤田様がお困りのようでしたので、少々場の空気を和ませていただいただけです」

「あ、そうなんだ」


 陽菜は安堵した。いっぺんに緊張が解ける。

 ちょっぴり残念な気持ちはするものの、本気ではないとわかってよかった。


「びっくりしました。塔谷さん演技が上手いからもうちょっとで本気にしちゃうところでしたよ」

「別に本気に取ってくださっても結構ですが」


 塔谷がにこ、と笑う。


「名刺です。その気になったらお声をかけてください。私はいつでもかまいませんので」


 陽菜がなにか言うより先にテーブルセッティングを終えて塔谷は去った。


「えーと……どうしよう、これ」


 名刺には塔谷個人の携帯番号とメルアドが記載されている。


「捨てろ、そんなもの」


 拓が吐き捨てるように言う。


「……妬いてる?」


 陽菜がこそっと小声で訊く。


「……悪いかよ」


 拓は不機嫌さを隠さない。

 陽菜はくすぐったい気持ちになり、思わずにやけてしまった。


「笑うな」


 拓が手の甲でコツンと陽菜の額を小突く。照れ隠しだ。


「で?」


 陽菜がせっせとパフェを食べている間、拓は無言で陽菜を眺めていたが、途中で焦れたのか問い質してきた。


「……返事は?」

 
































      おまけ





「いいかげん、聞かせろよ」


 日曜日。

 今日はデートだ。


 謝罪の代わりに「なんでもいうことをひとつきく」という拓の申し出に、陽菜は「二人で東京ワンダーワールドに行きたい!」とねだった。

 どこを見てもゲスト・ゲスト・ゲストの洪水の中、陽菜は拓と二人で開園と同時にパーク内を走りまわっていた。


「え? なにを?」


 いまは六十分待ちのサンダーフォールマウンテンの列に並び、二人でチーズ味のポップコーンを頬張りながら、次のアトラクションをなににするか検討していた最中だ。


「なにを、じゃねぇよ。プロポーズの返事だよ。おまえ今日まで考えておくって言ってただろうが」


 直球できた。

 こんなに大勢ひとがいるのに、おかまいなしだ。

 陽菜が周囲の耳目を気にして黙っていると、拓は「はーっ」とためいきをついて、くしゃっと髪を掻いた。


「……やっぱり、オッサンじゃねぇとダメなのかよ」

「……だ、ダメじゃないよ」

「嘘つけ。俺より親父がいいくせに」

「嘘じゃないもん。そりゃ拓より義郎さんの方がかっこいいけど、でも――」

「くそっ。やっぱりダメなんじゃねぇか」

「そんなことないってば!」


 いくら陽菜が否定しても拓の耳にはごまかしているとしか聞こえないようで、挙句、すっかり拗ねてしまった。


「いいよ、もう」

「よくない」

「いいって」

「よくないの! だって――」


 この瞬間、他人の眼などどうでもよくなった。

 陽菜は手に持っていたポップコーンのバケットに蓋をして拓に押しつけ、空になった両腕を拓の首にまわし背伸びして爪先立ちになった。

 ちゅ、とキスする。

 そして言った。


「オジサマじゃなくてもいいの。……拓が好きだから」


 拓がぽかんと口をひらいて呆気にとられる。信じられないという表情だ。


「嘘だろ」

「嘘じゃないってば」

「いまのキス……」

「大好きのキスです。嘘のキスじゃありません」


 言いきった。

 公衆の面前で告白返しをしたあと、陽菜はちょっと考えて拓に耳打ちした。

 














「あのね、ひとつだけお願いしてもいい? いつの日か老眼鏡が似合うすてきなオジサマになっても――どうか私だけの旦那さまでいてください」





                         2013・3・10 これにて終幕


 おはようございます、安芸です。


 嘘キス 第二話目 陽菜&拓 完結です。

 これまでお付き合いくださいました皆様、ありがとうございました!


 引き続きよろしくお願いいたします。

 安芸でした。

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