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嘘キス  作者: 安芸
第二話 口下手な同僚
6/15

五 八月某日

 季節感まるで無視の夏のお話。


 

      


      二・八月某日



「あ」


 帰宅途中、陽菜はたまたま立ち寄った駅前の書店で『作務衣の君』と遭遇した。

 咄嗟に今週の売れ行きベストランキング10が掲示されている柱の陰に隠れる。


 やだやだやだやだやだやだやだやだ、どうしよう!

 こんなところで会うなんて心の準備ができてない!


 完全にパニックだ。

 そろっと、様子を窺う。

 今日は市松模様の作務衣だ。草履と扇子、それに首から下げているのは日本手ぬぐい。タオルじゃない(この前は遠目だったので見間違えたのだろう)。

 かけている眼鏡を外して手に持ちながら、本を開いている。


 ……かっこいいなあ。


 ぽーっと見惚れる。

 作務衣の君が動いた。本を閉じて棚に戻す。

 陽菜はびくっとしてまた身をひそめた。


 どうしよう。やっぱりここは勇気を出して声をかけるべきか。

 だってだって、すごくない? こんな偶然なくない?


 いつもは欲しい雑誌を手に入れたらすぐ帰るけど、今日は今週発売のananを買って、そのあとふっと風水の本を見たいなと思い普段は足を運ばないブースに来たのだ。

 そうしたら、いた。

 偶然じゃない。これは運命だ。

 夏目先輩には鼻で嗤われたが、運命の再会はちゃんとあるんだ。二人はきっと結ばれる運命なんだー!

 

 よし、声をかけよう。


 いつもは『運命の人』と思える男性に会っても即行動に移せず、ただ見ているだけか、左手の薬指を見て諦めるか、恐る恐るアタックしようとしても失敗してしまうか、どれかだけど、今度こそうまくいくかもしれない。

 緊張で心臓がドクドクいっている。手が震えて膝に力が入らない。

 陽菜は深呼吸した。こくりと唾を呑む。『作務衣の君』が通路に立つ姿を眼で確認する。高い位置にある本の背表紙を眺めてひっそりと佇んでいる。

 いざ、覚悟を固めたそのときだ。


「おい」

「ひゃんっ」


 いきなり後ろから声をかけられて陽菜は跳び上がった。

 振り返ったそこにいたのは、同僚の拓だ。


「……なにやってんだ、おまえ」


 びっくりしすぎて声が出ない。拓は片頬を心外そうに歪めて「びびりすぎだろ」と陽菜を詰った。

 そうかもしれない。だけどいまは一代決意をした直後ですごく緊張していたのだ。陽菜はキッと拓を睨んだ。


「女性の背後にぴったりくっつくのはマナー違反でしょ」

「そうか、悪い」


 あっさり謝られてはそれ以上怒ることもできない。

 拓はきまり悪そうに一歩離れ、腰を手にあて言った。


「だけどおまえ、不審者っぽかったから」

「えっ。嘘っ」

「マジだって。さっきから店員がチラチラうさんくさそうにおまえのこと見てる」


 陽菜はあわてて姿勢と身だしなみを整えた。この書店には女性雑誌を買いによく来るのだ。変な人だなんて思われたら来にくくなってしまう。


「で、なに」

「なにって――」


 はっとした。

 通路には誰もいない。愕然として急いで店内をみまわったが『作務衣の君』の姿はなかった。どうやら帰ってしまったようだ。


「そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とす陽菜に気遣わしげに拓が声をかけてくる。


「大丈夫かよ?」

「大丈夫じゃないよ。見失っちゃった。ああもう、せっかくまた会えたのに……!」


 こんなのって、ない。次があるかどうかなんてわからないのに。いや、もうないかもしれない。今日会えたことだって奇跡のようなものだ。

 じわっと涙腺がゆるむ。拓には涙を見られたくなくて背を向ける。


「……そいつ、男?」

「そうだよ」


 運命の人なんだから、とは言わないでおく。どうせばかにされるに決まってる。

 陽菜はこっそり眼元を拭った。もう帰ろう。なんだかひどく疲れた。


「じゃあね」

「待てよ」

「なに?」


 憮然と肩越しに振り返る。拓はなにも悪くない。そうはわかっていても、つい恨みがましげな眼になってしまう。

 拓は片手をズボンのポケットに突っ込んで言った。


「よくわからねぇけど、俺が邪魔したんだろ? 詫びに、メシ(おご)る」

「本当? やった!」


 陽菜がパッと明るい表情を見せると、拓は一瞬怯み、ついで苦笑した。


「……現金な奴」

「フンだ」


 だっていつまでもウジウジしていたって仕方ない。見失ったものは見失ったのだ。だから、次に会ったときに頑張ろう!

 うん、ポジティブ。


「なに食う?」

「焼き鳥!」


 するとなにが気に食わないのか拓は顰め面をした。


「……奢るって言ってんだろ。フレンチとか鮨じゃなくていいのかよ?」

「いいの」


 彼氏でもない男にそんなに高いものをごちそうになるわけにはいかない。


「おいしい焼き鳥が食べたい」

「わかった。じゃあ、オッサンばっかだけど安くて旨い串屋に連れて行ってやる」

「うん!」


 そうそう。友達で同僚だから、このくらいの距離がいい。



 そして二人で、拓行きつけの『め組』という串屋ののれんをくぐった。


「らっしゃいっ!」


 引き戸を開けた途端、威勢のいい声と煙、むわっと熱気が顔に吹きつけた。脂の焦げたいい匂いが立ち込めていて、陽菜は急に空腹を覚えた。

 駅裏に立ち並ぶビルのちょっと暗い小路の中ほどにその店はあった。赤い提灯が目印で、仕事帰りのサラリーマンで混雑していたが、ちょうどカウンターの端の二席が空いていた。


「おっちゃん、いつもの」


 拓は陽菜を一番壁際に座らせ、「おまえは?」と訊いてきた。


「生で」


 焼き鳥と生ビール。

 疲れも吹っ飛ぶ最強コンボだ。

 陽菜は拓と「お疲れー」と乾杯し、ぐいぐい飲んだ。


「ぷはーっ。最高!」

「オヤジか、おまえは」


 拓が笑う。陽菜も笑い、おかわりを頼んだ。

 焼き鳥も文句なくおいしかった。豚、鳥、つくねにナンコツ。炭焼きで香ばしく、プリッとした触感とジュワッと口いっぱいに広がる脂がたまらない。


「うーん、おいしい!」


 しばらく食べて飲むことに専念する。


「よく食うな」

「だっておいしいんだもん」


 おまけに、眼福。

 まわりは店のおかみさんと陽菜を除いては男性だけで、それも中年層が大半を占めている。

 中にはネクタイをねじり鉢巻きふうに額に巻いているオジさまたちもいて、陽菜は焼き鳥を頬張りながら、拓をよそに、もう夢中でそっちにばかり気を取られていた。


「おい、こら」


 不機嫌な声に我に返り、陽菜は拓に睨まれているのに気づいた。


「どうしたの?」

「どうしたの、じゃねぇよ。オッサンばっかり見てんじゃねぇっての。俺の話、聞いてたのかよ?」

「あ、ごめん。聞いてなかった。なに?」


 拓は空になったビールのジョッキを押しやり、苛立たしげに繰り返し言った。


「だから、本屋で探していた男ってどんな奴だよ」

「えーと。四十代後半で、和装姿がすてきなどこかのオジさま」

「またオッサンか」


 げんなりしたふうに呻いて、カウンターに肘をついて頭を抱える。


「……おまえ、なんでそんなにオッサンがいいわけ?」


 陽菜は小鉢の枝豆を口に運びながら答えた。


「……私、お父さんがいないんだ。小さい頃に病気で亡くなったの。お母さん、再婚しなかったし、ずっと母娘の二人暮らしなのね。だから普通の家のお父さんにすごく憧れていて……ちょっとくらいくたびれていても、家族を支えて、頑張っている背中がかっこいいなあって」


 お酒が入ったせいなのか、それとも相手が気の知れた拓だからなのか、なんだか口がよく滑る。

 陽菜はおしぼりで指先を拭き、膝に手を置いた。


「汗水流していままで一生懸命働いてきましたーって感じがすごく好きなの。なんか、ほら、頼れる感じがするじゃない?」

「デブでもハゲでもおかまいなしか」

「そういう言い方はないでしょ。いいじゃない、少しくらいハゲていたって、太っていたって。要はどんな年の取り方をしたかって問題で、優しければいいの」


 拓は舌打ちした。なにか考えるように黙り込み、ややあって呟いた。


「優しいのか、そいつ」

「え?」

「おまえが追っかけていた男だよ」

「さあ……会うの、二度目だし」

「はあ?」

「だ、だって、お近づきになりたいなーって思っていたところを拓に邪魔されたんだもん」


 するといきなり怒鳴りつけられた。


「ばっかやろう! 見ず知らずの野郎にふらふらしてんじゃねぇ! 相手が変態だったらどうすんだよ。おまえみたいな世間知らず、騙されて、食われて、ポイ捨てされるに決まってるだろうが」

「そんな悪い人には見えなかったもん!」


 なにがどうしてこんなケンカになったのか。

 陽菜は拓と額をつきつけて睨み合った。

 険悪な雰囲気を和らげたのは、おかみさんの一言だった。


「あのね、拓ちゃんはあなたのことを心配して言ってるの。あなたにもしものことがあったら大変でしょう? だからそうなる前に気をつけてってこと。ね?」


 陽菜は拓を窺った。


「……そうなの?」

「知るか。帰るぞ。おっちゃん、お勘定」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ」


 拓は会計を済ませるとさっさと出ていってしまう。陽菜も後を追いかけたものの、いったん戸口で立ち止まり、頭を下げた。


「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです。あと、お騒がせしてすみませんでした」

「いいのよ、また来てね」

「はい!」


 気のいいおかみさんが微笑むと、店内にいた他のなじみ客から賑やかな喚声が続いた。「ありがとうよ!」とか「次はおっちゃんが奢ったる」とか「頑張れ」とか、なんとかかんとか。


 ……もしかしたら、拓との会話を聞かれていたのかもしれない。


 さすがに気恥ずかしく、陽菜は焦って店を出た。

 拓は無言で顎をしゃくって駅へと歩きはじめる。だが歩調は陽菜に合わせて、ゆっくりだ。


「……しばらくあの店行けねぇ」

「……うん。でも、おかみさんにまた来てねって言われたよ」

「……絶対おまえひとりで来るなよ? この道、裏通りで暗いし、酔っ払いが多いから危ねぇ。女ひとりじゃ絡まれる」


 やはり心配してくれているらしい。

 陽菜は素直に頷いた。

 口は悪いが、拓は優しい。ルックスだって悪くない。これでどうして彼女がいないんだろう?

 そう訊くと、拓に「余計なお世話だ」と突っ込まれ、ジロリと凄まれた。


 なんだか責められている気もする。


「……くそっ。オッサンじゃなきゃいけねぇのかよ」


 拓が横で悪態をついているが、あいにくと陽菜の耳には届かなかった。



 なんだか予想以上にたくさんの方にお越しいただいております。

 ありがとうございます。お気に入り登録嬉しいです!

 はじめましての方もいらっしゃるでしょうか?

 嘘キス もうちょっとだけ続きます。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 安芸でした。


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