第9話
『社長のマンションが銃撃され、お嬢さんが負傷しました!!』
俺の携帯にその連絡が入ったのは、聖本家の玄関を潜った後だった。
「本家で、真木が待っているそうだ」
彼女が寝室に入った途端、セイヤが苦い顔で吐いた。
「専務が?何で本家なんかで…」
「取り込みたいって事だろうな」
「はぁ?」
「お前を、皇輝の側近に迎えたい…その為に、真木の娘との縁組みを薦められる筈だ」
「何だ…ソレ…」
「手の内見せて来たって事だろうな」
「断るぞ!?ってか、有り得ねぇだろうが!?」
「…お前に任す」
頭を抱えて溜め息を吐くセイヤが、投げ遣りに答えた。
「…お前にも、何か言って来たんじゃねぇだろうな?」
「…」
「セイヤッ!?」
「大きな声を出すな…彼女に聞こえる」
「何言って来たんだ…どうせ、本家の女狐だろっ!?」
「…縁談」
「又か!誰と!?」
「…近松のぞみ」
「ゲッ!!…あの娘は、皇輝のお手付きだろうよっ!?」
近松のぞみは、セイヤの従妹…と言っても血の繋がりはない。
本家の女狐事、皇輝の母親…聖登紀子の姪にあたる。
「知ってたのか?」
「馬鹿野郎、有名な話だろうが…ってか、あの娘との縁談を持って来た時点で、裏から牛耳る気満々じゃねぇか!?」
「まぁ…そうだろうな」
「勿論、断ったんだろ?」
「…彼女の話を…持ち出して来た」
「やっぱり、皇輝絡みかよ!?」
「多分、又狙う気だろう」
「だからって…受ける気なんじゃねぇだろうな!?」
「…」
「縁談断って、お嬢ちゃんの事は俺達が守ってやれば済む事だ!」
「だが…これ以上彼女を危険に曝すのは…」
「んなもん…お前が手放した所で、奴等が諦めるかどうかなんて、わからねぇだろうが!!」
「確かに…な」
「何でこの件に於ては、そうも優柔不断なのかね…全く…」
「済まない」
「取敢ず、俺は本家に出向いてキッパリ断って来る!あんな出戻りのババァ押し付けられて堪るか!!」
「あぁ」
「お前も腹括れよ…お嬢ちゃんを、お袋さんと同じ立場に据える気はねぇんだろ?」
「そんな事っ!?」
「ねぇよなぁ…それに、お嬢ちゃんだって甘んじるタイプじゃねぇしな。愛人になってくれなんて言った途端に、殴られて罵られて…二度と顔も合わせて貰えねぇぞ?」
「わかってる」
「幸せにしてやれよ…あの娘は…いい娘だ」
「棗?」
「ヤクザは嫌いだが、俺達なんかにも偏見なく付き合おうとしてくれる…ちゃんと、人として見てくれてるだろ?」
「…」
「気は強ぇが優しい娘だ…堅気には、勿体ねぇかもな」
「…お前」
「俺だけじゃい…あの娘のファンは太一を筆頭に沢山居るぜ?じゃあ、俺は着替えて行って来るわ」
俺は表の車に乗り込み本家に向かわせながら、携帯のフリップを開けた。
「棗です…お呼びと伺いました」
「入れ」
座敷に入ると、聖登紀子と皇輝、真木専務の3人が雁首を揃えていた。
「久し振りだな、棗」
「ご無沙汰しています…皇輝さんも大奥様も、お変わりない様で」
「今日はお前にいい話を持って来てやった…なぁ真木?」
「その前に専務、ひとつご報告が…」
何も言わず俯く専務の横で、皇輝がいらぬ口火を切る前に先制攻撃をお見舞いする。
「何だ?」
「この度、身を固める事になりまして…先程、役所に届けを出して参りました」
「何だと!?」
「ご報告が遅くなり、申し訳ありません」
「お前…そんな女が居たのか?」
「へぇ…昔馴染みです。そろそろって、せっつかれてたんですが…一緒になるなら、この女と決めておりましたので。俺も遂に年貢の納め時ですょ」
そう言って、幸せに満ち足りた笑顔ってヤツをお見舞いしてやる。
目の前に居る3人が揃って顔をしかめる様子は、見ていて痛快だった。
ここに来る車の中で、俺は自分のアパートに電話を入れた。
「俺だ」
「…うん」
「変わりないか?」
「…ない」
恐ろしく口数の少ないこの女は、表情も殆ど変えないで話しているに違いない。
半年程前から俺のアパートで暮らす様になったが、女との出会いは12年前…まさかこんな事になるとは、思いもしなかったが…。
「お前…俺の事…」
「…何?」
「いや……電話台の引き出し開けてみろ」
「…開けた」
「そこの封筒に、書類入ってるだろ」
「…うん」
「開けてみろ」
カサカサと音がした…多分書類を広げたのだろうが…女は何も言わない。
「そこに署名捺印して、今すぐ役所に持って行け」
「…今から?」
「そうだ…24時間受け付けて貰えんだよ。今すぐ…持って行け」
「……」
「わかったか?」
「……うん」
「すぐに行けよ…今日は、そっちに帰る」
「…うん」
女の返事を待って、俺は携帯を閉じた。
俺の署名捺印がしてあるその書類を見て、女がどんな顔をするのか拝みたかったが…まぁ仕方がない。
幾ら気に染まない縁談だからと言って、上下の厳しい極道の世界で理由もなしに蹴る事は出来る物ではない…況しては俺の場合、火の粉はセイヤに掛かってしまう。
穏便に事を納めるには、先に婚姻届けを出してしまうのが一番いい手だった。
「それで、専務…ご用とは?」
わかった上で、恭しく頭を下げる。
「うむ…いゃ…」
口ごもる専務を前に、上座の登紀子が口を挟んだ。
「お前の所の社長の話でね…縁談が進んでいるんだよ。聞いてるかい?」
「いぇ」
「そう…私の姪の近松のぞみを、近く娶せる予定なんだよ」
「ウチの社長は、承知しましたか?」
「それさね…あの子には散々いい話を持って行ってやってるのに、一向に首を縦に振らない…私の姪なら文句は無いと思ってねぇ?お前はどう思うよ?」
「俺なんかには、何とも…それは、社長の決めなさる事ですから」
「そうかえ…やはり聖の名を継ぐからには、正統な聖の血を入れないとねぇ。どこの馬の骨の…然も毛唐の血を浄化しなくちゃならないからね…」
「…」
「なのに…最近、あの子の周りには小さな小蝿が1匹集っているそうじゃないか…今迄蝶の噂も聞いた事がなかったのに…どういう風の吹き回しなのやら。然もその蝿が、家に入り込んでるって?」
「…」
「由々しき事態だね…美しい花嫁が嫁ぐ家に蛆なんか湧いたらさ…やはり、美しい物は美しいままに…『銀狐』は花嫁の襟巻きにピッタリだろ?」
『銀狐』…『Silver Fox』とは、昔のセイヤの二つ名だ。
コイツ等、あくまでもセイヤの事を聖組の飾り物として扱いたいらしい。
ここで騒げばセイヤの迷惑になるが…専務はどこ迄奴等と通じているのか…?
専務はセイヤに、この世界のイロハを教え、何と言っても現在ウチの『若頭』なのだ…どこ迄奴等に荷担しているのか確める必要がある。
俺は、さも今気付いた振りをして、失礼しますと携帯のフリップを開け…勢い込んで専務に言った。
「大変です、専務!!先程、社長の自宅が何者かに銃撃されたと!!」
「何だとっ!?」
青筋を立てて顔色を変えた専務は、すかさず上座の2人を睨み付けた。
「詳細はっ!?若はご無事なのか!?」
「わかりません…私は直ぐにご自宅に参ります!!」
上座の2人は、何も言わず薄笑いを浮かべている…こりゃ、決定だな。
「失礼致しします」
そう言って座敷を出ると、続いて専務も出て来て俺に言った。
「…本当なのか、棗?」
「何がです?」
「全てだ」
「所帯を持ったのは、本当です。何なら、女房にも会わせましょうか?」
「…若が銃撃された件は?」
俺は玄関に待たせて置いた車の後部ドアを自ら開けて、専務に乗る様に即した。
「本当ですよ…どうぞ」
専務に続いて後部座席に座り、会社事務所に行く様に運転する男に言った。
「社長はご無事です…が、お嬢ちゃんが怪我をしたらしい」
「命は!?」
「さぁ…そこ迄は、何とも…」
眉を寄せ苦悶の表情を見せる専務を見て、社長銃撃には荷担していないと知ってホッとした。
「そろそろ、どちらかに絞って頂けませんか、専務?」
「何?」
「頭は、1つっきりの筈でしょう?『ウチは一枚岩じゃなければならない』…2年前、そう号令を掛けのも、貴方だった筈だ」
「…」
「ウチは堂本組長の意向に従う事で、解散を免れた…わかってますよね?社長が先代の跡を継ぐ決心が、並々ならぬ物だった事も…」
「…棗」
「社内からヤクの呪縛を一掃するのに、どんだけ大変だったか…社長がどんだけ神経磨り減らして頑張ってるか…今だって社長の稼ぎがないと、ウチはやって行けない状態なんですよ!?本家なんかに入り込まれたら…社長は一切の事業からも、株からも手を引いて、飾り物に徹するでしょうよ」
「それは…」
「そうなったら、俺は社長を止めません…秘書課長ではなく、親友の立場に戻ります」
「…」
「社長の結婚話を、撤回させて下さい」
「…私には、無理だ」
「知りませんよ」
「無理だ…近松家も…のぞみさんも納得ずくの事だ」
確かあの娘は、昔セイヤの事が…。
「世間から爪弾きされて、上下の厳しい世界で生きる俺達が、唯一安らげるのは…テメェの家庭だけだって、わかってますよね?」
「…」
「俺達の世代は皆、堂本組長に憧れてる…惚れた女との結婚の為に10年間頑張って、その後結婚の条件を律儀に守る…誰に何言われ様が、絶対にテメェの家族を守るあの姿勢に憧れてる。俺はウチの社長にも、そんな家庭を築いて欲しいと思ってんですよ。見せ掛けの夫婦じゃねぇ、本物の夫婦ってヤツになって貰いたい…いや、なって貰わなきゃ困るんです!!」
「どういう事だ?」
「ちゃんと支えてくれる人間が傍に居ないと、遅かれ早かれ社長は崩れますよ…今だって相当に無理を重ねてる」
「だが…」
「最近少し余裕が出来て来たのは、あの娘のお陰だ…それを邪魔する所か、排除しようと…抹殺しようとしてますよね?違いますか!?」
「…」
「知りませんよ…眠れる獅子ならぬ、眠れる『銀狐』が『九尾の狐』に化けても…」
「棗!?」
「俺じゃ『殺生石』に封印は出来ませんからね…封印出来るのは…あの娘だけだ」
「…」
「俺達にとっても、あの娘は切り札なんです。これから先の『Saint興業』を生かすも殺すも、あの娘次第だ。絶対に手を出させない様に、釘を刺して下さい」
「…棗」
「はい」
「私は引退する」
「はっ!?」
「私は…本家には逆らえない。亡くなられた先々代に、一方ならぬ恩義がある」
「…」
「私の跡は、お前が継げ…そして、若を支えろ」
「ちょっと待って下さい!俺じゃ未だ…」
「社内の根回しと、上への口添えは、私がしてやる…私には…それ位しか出来ない」
「…専務」
「気を付けろ…登紀子様と皇輝さんは…どこかの組と繋がりを持っている」
「どこですっ!?」
「わからん…そればかりは、私にもバラさない…若から堂本の親分に漏れるのを怖れているのだろう」
「…そうですか…やはり…」
「気付いていたのか?」
「社長は、勘付いていました…ヤク絡みで解散した三上組の残党か、ヤクで旨い汁を啜りたい組だろうと…」
「当たらずといえども遠からずだろうな。先ずは堂本の組長と、若頭の森田組長に連絡する様に若に伝え、今後の事を相談して指示を仰げ。他の組も絡んでるとなると、ウチだけで動くのは得策じゃない。それから、あのマンションは…諦めろ」
「しかし!?」
「佐久間のシマで、これ以上の揉め事は御法度だ…森田組長と相談して、早急にヤサを探せ」
「…わかりました。専務は、どうされますか?」
「私は…」
「お願いがあります」
「何だ?」
「これから、極秘で社長に会って頂けませんか?」
「しかし…」
「社長は専務の立場も、どう行動されるかも…全てわかっていました。わかっていて、専務には何も言わなかった」
「…」
「勝手に詰め腹なんて切らせやしませんよ…キチンと社長に謝罪して…指示を仰いで下さい」
「…随分と青臭い事を…お前に、殴り殺されるのを覚悟で来てやったものを…」
「だと思いましたよ…多分、本家の連中もそう思っている事でしょう。その裏を掻きます。ただし、社長に殺されても文句言わないで下さいよ…」
「わかってる」
「多分、怒髪天を突くって言葉通りになってると思います。お嬢ちゃんに、怪我させちまいましたからね…」
会社の社長室に着いた俺達は、その言葉通りに…形相のセイヤと対面した。