第6話
「……基本的な質問、いい?」
「どうぞ?」
「…何で…私が襲われる訳?」
そう彼女に質問され、思わず答えに窮した時、玄関から賑かな声を上げて棗が入って来た。
「セイヤ!!飯買って来たぞ!!」
途端に、彼女が顔を引き攣らせて立ち上がった。
その顔を見て、棗は一瞬固まり…チッと舌打ちをして、不機嫌に部屋を横切ってソファーに身を沈める。
「お早うございます、社長……って…わっ、兄貴!?」
遅れた太一が部屋に入って来た時、彼女はツカツカとソファーに歩み寄り、高々と手を上げて棗の頬を叩いた。
「…ツッ……テッメェッ…何しやがる!?」
「殴る!?殴るなら、もう一発お見舞いするわっ!!でも、その前に謝って!!」
「何だと!?」
「聞こえなかったの!?謝ってって言ってんのよ!!昨日私にした事、ちゃんと謝ってよっ!!」
「…いい度胸だな、お嬢ちゃん!?ヤクザのツラ叩いて、無事に済むと思ってんのか!?アァン!?ナメんなよッ!!」
「だったら何!?私を殺す!?好きにすればいいわ!でもその前に、ちゃんと私に謝罪してよっ!!」
彼女が棗に食って掛かるのを、俺は目を細めて眺めていた。
…全く無鉄砲な…だが、俺の目の前でやっている限り、棗は彼女に手を出さない。
だからこそ安心して見ていられるのだが、当然彼女はそれを知らない…それでもヤクザ相手に一歩も引かず食って掛かるその強さ…昨日は震えて泣いていても、今日には立ち直り喧嘩を吹っ掛け…多分論破して勝ち取ってしまうであろうその強さにゾクッとする…。
そして、この後に襲い来るであろう彼女の状態も…。
実は彼女がヤクザに喧嘩を売るのは、これが初めてじゃない…以前も街中で同じ様なシチュエーションを見掛けた事がある。
「社長っ!?」
手を出せない棗が、俺に助けを求める様に呼び掛けた。
「社長?セイヤさん?どっちでもいいけど…この場合のイニシアチブは、どっちにあるの!?」
彼女が俺を睨み付けて尋ねると、棗が真っ赤になって吼える。
「いっ…イニシアチブだとぅ!?」
「主導権は、どっちにあるのかって聞いてんの!!」
「それは、萌奈美ちゃんかな…それから、俺の名前は聖ね。『高野聖』の聖」
「わかった…ほら、棗さん!?お宅の社長の聖さんから主導権貰ったわ!さぁ、私に謝罪して!?」
「何を…俺は、社長の指示に従っただけだぞ!?それに、お前が逃げ出したからじゃねぇか!!」
「だからって、ナイフ突き付けて、猿轡して手足縛り上げて、拉致する言い訳にはならないわよ!!」
「騒ごうとしたからだろうが!?」
「当たり前でしょ!?あんなナイフなんて突き付けて、騒がない方がどうかしてるわ!」
「じゃあどうすりゃ良かった?お前は逃げようともがいて、叫び出しそうになるし…」
「説得すりゃ良かったのよ…あの公園で私に事情を説明して、同行する様に頼めば良かったじゃない…違う!?それを貴方は、一番最低で強引な方法を取ったの…恐怖で人を縛り付けて拘束したのよ!?」
「ほざいてろよ!!」
「当然よ!ほざくわよ!?当たり前でしょ?私は、自分の意思でここに居る訳じゃないわ!!」
「お前の命を助ける為だって…守ってやる為だって聞かなかったのか!?」
「聖さんから少し聞いた…聞いてる途中だったんだけどね…でも、それとこれとは話が別!!第一、私が助けて欲しいとか、守って欲しいとか言ったんじゃないし、貴方が私にした事の言い訳にはならない…謝って!!」
「…」
「謝るつもり…ないのね?」
「…当ったりめぇだ!」
「そ…わかった」
彼女はそう言うとスタスタと洗面所に入り、さっき迄着ていた洋服を掴み、次に寝室からボストンバッグと、当日彼女の持っていたバッグを担いでリビングに出て来た。
「おいっ!?」
「何?」
「何してんだ!?ここから出たら、命狙われんだぞ!?」
「だから?」
「テッメェ…」
「言った筈よ?私は自分の意思でここに居るんじゃないもん…貴方達に誘拐された被害者なの。棗さんと、そこに居る太一さんは実行犯で、聖さんは誘拐教唆犯!」
「…」
「命が狙われているのなら、警察に駆け込めばいい訳でしょ?」
「警察が、動くと思ってんのか!?」
「多分…動かないでしょ?警察なんて、事件が起きないと動かないもん。動くのは、貴方達誘拐犯を捕まえる方だけだよ、きっと。私を狙う犯人を捕まえるって方は、私の死体が出た時に初めて動くんじゃない?」
「それがわかってて、出て行くってか!?」
「納得出来ないんだからしょうがないでしょ!?」
「…」
「私は自分が言った事にも、行った行動にも、もう責任が持てる大人なの!!だから自分の意思に反した言動を強要されるのは、真っ平御免なのよ!!」
「お前…」
「それで怪我させられ様が、殺され様が…それは自己責任なの!!わかる!?私は、無理やり連れて来られた事にも、その方法にも、ここに監禁される事にも…何一つ納得してない…その原因の1つは、棗さんが私に謝罪してくれないからっ!!」
「…」
「ここを出て殺されたら、一番先に棗さんの所に化けて出てやる…」
「…わかったって…けったくそ悪いガキだぜ…全く…」
棗がガリガリと頭を掻くのを見て彼女はニヤリと笑い、荷物を置いて棗の前に正座した。
棗は仕方なく同じ様に床に座り、手を付いて頭を下げた。
「昨日は、済まなかった」
すると彼女は、同じ様に床に手を付いて頭を下げた。
「先程は、手を上げてしまい…申し訳ありませんでした」
そう言って頭を上げると、棗に向かってヘニャリと笑った。
「手打ちは済んだ?」
ニヤニヤと笑いながら俺が問うと、彼女は立ち上がって平然と言ってのける。
「棗さんとはね」
それを聞いた太一は、その場に座り込み頭を床に擦り付けた。
「もっ…申し訳ありませんでしたっ!!」
「…わかった…でも太一さんには、後で聞きたい事があるの」
「…はい…何でしょうか?」
「後でね。それより、お腹空いちゃった…朝御飯買って来てくれたんでしょ?」
「はいっ!」
太一と一緒にスーパーの袋を覗き込み、冷蔵庫に食材を入れていた彼女が、ソファーの棗に声を掛ける。
「棗さん、朝御飯はぁ?」
「あ…いや…」
「まだだったら、一緒に食べるぅ?作るけど…」
「あー…あぁ、頼むわ」
「はぁーい」
間延びした返事と共に太一と一緒に朝食の準備を始めた彼女をしばらく見詰めた後、俺はソファーに撃沈する棗の隣に座った。
「…スゲェ女だな」
「だろ?」
「お前、知ってたのか?」
「勿論…だが、あれだけじゃない」
「もっとスゲェのか?」
「いや…そういう意味じゃなく…その内にわかる」
「ふぅん。あの切り替えの早さも…あの笑顔も…」
「…惚れるなよ?」
「…範疇外だ…多分な」
「俺だってそう思ってたさ…」
「だが、お前が惚れた理由…何となくわかったわ」
「…」
「あの強さ…お前が、欲しかったんだろ…違うか?」
「…そうだな…例え表面だけでも、あれだけ強ければ打開策が見付かっていたのかもしれない…少なくとも、流される事はなかっただろうな」
「…どういう意味だ?」
棗が尋ねたのと、キッチンで朝食が出来たよと彼女が声を掛けたのは同時だった。
新しく淹れた珈琲に、こんがり焼けたトースト…サラダとカリカリに焼いたベーコンに、ふっくらとしたオムレツ。
召し上がれと言われてもしばらく皿の上を凝視していた棗が、ポツリと吐いた。
「ちゃんとした朝食じゃねぇか」
「あ〜!?料理出来ないと思ったでしょ、棗さん!」
「あ…いゃ…」
「桜井さんは、料理も家事も得意なんッスよ!」
「何で知ってるの、太一君?」
「太一君だぁ〜?」
「俺達、タメなんッスよ」
ニコニコと笑う太一に、彼女が笑顔で頷いた。
「桜井さんが家事得意なのは、繁雄に聞いたんッス」
「会ったの!?繁ちゃんに!?」
「誰だ、繁雄って?」
訝しむ棗が、太一を睨んだ。
「桜井さんの従弟ッス…多分、中坊で…」
「中学3年生」
「お前、何て言って来たんだ!?」
「え…あの…桜井さんは、大学のゼミの合宿で…荷物を受け取りに来たんだって…」
「……花音が言ってくれたんだな?」
「へぇ…ゼミの先輩だって…繁雄に飯迄食わせてくれたんッスよ」
焦った様に説明する太一を、彼女はじっと見ていた。
「花音って…『St.Valentine』のか?」
「そうです。俺が太一に、花音を連れて行けと指示しました」
「花音には、彼女の事を何と説明したんだ?」
俺が太一に尋ねると、太一はフォークを置いて背筋を伸ばした。
「社長が預かる事になったお嬢さんの着替えなんかを取りに行くから、手伝って欲しいって言いました!」
「…合宿は、いつ迄と説明した?」
「多分、夏休みいっぱいって、花音さんが言ってくれました!」
「成る程。棗、『St.Valentine』に、花音の名前でボトルを入れてやってくれ」
「社長が行かれた方が、喜ぶと思いますよ」
「暇があったらな…」
俺達の話を黙って聞いていた彼女が、太一に手を差し出した。
「鍵…返して」
「あっ、はい」
鈴の付いた鍵を受け取りながら、彼女は冷たい声で太一に言い放つ。
「住居不法侵入罪追加ね、太一君」
「すっ、済みませんっ!!」
「でも、まぁ…女の人に頼んでくれたのは正解だったかな。男の人には見せたくない物もあるし、有り得ない位準備万端だったから驚いたんだけど…」
「あの…」
「何?」
「繁雄が…『姉ちゃん、帰って来るの?』って聞いてたんッス」
「…」
「家を出る為に、バイトしてるって…」
「…そう」
「印鑑と通帳…持って出た方がいいって言ってくれたの…繁雄なんッスよ」
「…」
「どういう事だ?」
「…自分の親が…桜井さんのバイト代を無心してるって…」
「何だと!?」
棗が吼え俺が驚いた視線を投げると、彼女は頬をポリポリと掻きながら斜め上に視線を上げてポツリと言った。
「…繁ちゃん、知ってたんだぁ…参ったなぁ」
俺の視線に気付きヘニャリと笑う彼女に、棗が話し掛ける。
「なぁ、お嬢ちゃん…それならここに居るのは、渡りに船なんじゃねぇか?」
「何で?」
「お嬢ちゃんは、家を出たい…俺達はアンタを守る為にこの家に居て貰いたい…利害は一致すると思うが?」
「しないよ…それとこれとは、別問題。第一、私が何で狙われるのか、何で聖さん達に守って貰わなきゃいけないのか、わかんない事だらけだもん」
ギョッとした顔で俺を見詰めた棗は、慌てて朝食を食べ始めた。
「サッサと食え、太一!事務所に戻るぞ!」
「へっ!?今日からコッチって…」
「後、買い物にも行かなきゃならねぇ…お嬢ちゃん、何か必要な物はあるか?」
「えっ?何で私?」
「……飯とか…作るかもしれねぇだろ!?」
「……あのさぁ」
「まぁいい。必要な物があれば、社長にメール打って貰ってくれ!」
棗は太一を急かせ、バタバタと玄関に向かって…思い付いた様に戻って来た。
「…お嬢ちゃん」
「何?」
「俺達は、こんなだがな…ウチの社長は……まぁ…『いい人』だからな」
「知ってるよ」
サラリと彼女が答えるのを聞いて、棗は満足した様に玄関から出て行った。
「独り暮らしするつもりだったの、萌奈美ちゃん?」
「うん…繁ちゃんが高校合格したら、あの家出ようと思ってバイトしてたんだよね…」
「大学からも、割合近い場所に家があったよね?」
「え?」
「あ…いゃ…そんな事話してるの、前に聞いてたからさ」
「ん〜、まぁ…近いんだけど…色々と煩わしいから。それより、ちゃんと家には言い訳して来てたんだ」
「棗の判断は、正しいと思うよ。叔母さん達に心配掛けない為にもね」
「…誘拐犯として、警察に届けられない為にも…でしょ?」
「まぁね」
「心配しなくても、警察なんかに届けないよ…家事をする人間が居なくて、困るだけだもん」
「ご両親亡くなったのって、いつ頃?」
「それも聞いてたの?小学生ん時…3年生の時だよ」
「事故で?」
「そ…交通事故」
そう言いながら、彼女はそっと胸元を触った。
「叔母さん達に、辛く当たられたの?」
「別に…あんなもんでしょ?面倒見て貰ってた訳だしね。それより、聖さんのお陰でカフェお休みになったし…私も新しいバイト探さなきゃいけないんだからね!?」
「ごめんね」
そう答えると、彼女は少し目を細めてヘニャリと笑顔をみせた。