第4話
弁天町のデザイナーズマンションの2階に有る社長の自宅に帰ると、マンションの入口、駐車場、玄関前に手下を配置させて、俺は社長と共に部屋に入る。
「開けてくれ」
そう言われて寝室のドアを開けると、彼は桜井萌奈美をそっとベッドに寝かせて愛おしそうに髪を撫でると、クーラーを稼働させた。
「なぁ、セイヤ…そのお嬢ちゃん…マジで『姐さん』にするつもりか?」
俺の問いに少し眉を寄せると、セイヤは寝室のドアを閉めてリビングのソファーに沈んだ。
俺とコイツ…聖夜は、中学時代からのダチだ。
最初は、ハーフで女顔で…然もヤクザの組長の妾の子なんて突っ込み所満載のコイツに、顔を合わす度に喧嘩を吹っ掛けていた。
細い癖に喧嘩も強く、賢くて女にもモテるコイツが腹立たしく…12月24日の聖夜生まれで『夜』なんて名前をからかう為に、俺はコイツをずっと『セイヤ』と呼んだ。
いつもどこか醒めて諦めている様な雰囲気のセイヤと、いつの間にか連む様になり、その関係は高校中退で俺が聖組に入った後も、セイヤが現役で大学に入り、その後留学した後も続いた。
それが表面上の上下関係になったのは2年前…セイヤが聖組の跡目を継ぎ、名前を『Saint興業』という会社名に変えて社長に収まってからだ。
「さぁ…どうだかな」
「…マジかょ」
「反対か?」
「ってか…堅気だろ?」
「…結婚なんて望んで無い……誰ともな」
「それは……お嬢ちゃんを姐さんにするかは兎も角…ずっとって訳にも行かねぇだろ?」
「わかってるだろう!?」
「…」
「結婚して、子供が出来て……血が繋がってるってだけで…真っ平なんだ、こんな思い……自分が嫌な事を、子供に継がせなきゃならないかもしれないんだぞ!?」
「…お前、まだ…」
「自分の意思じゃどうしようも無い…そんな、大きな流れに呑まれてしまう!!」
「…」
「……俺は…新宿って街を…人質に取られた」
「なぁ」
「…だから、子供を作る様な関係には…誰とも…なれない」
「なぁって」
「あの子を…巻き込んじゃいけなかったのに…」
「セイヤッ!!」
「…」
「お前の気持ちもわかるがな…実際、もう巻き込んじまってる!しょうがねぇだろ!?」
「…」
黙り込んだセイヤに、冷蔵庫からミネラルウォーターを取って来て渡してやる。
「お前が社長に就いてから、神経磨り減らしながら足掻いて来たのを、俺はずっと見て来たんだぜ?腹ん中、俺にしか見せられなくて…それでも会社の為に…この街の為に必死で頑張って来て…正直、張り詰めた糸がいつ切れるか気が気じゃなかった」
「…」
「今年の春だろ?」
「え?」
「お嬢ちゃんと会ったの…ゴールデンウィーク頃か?」
「…再会したのがな…その前に、一度会ってる」
「何にしても、だ…顔付きが変わって余裕が出来て来たんだよ、お前。上手く息抜き出来る事を見付けたと思って、安心してたんだが…」
「太一から聞いたのか?」
「時々、車出させてたろ…事務所に来る前に、お前の着替え持たせて。最初驚いてたぞ…『社長は普段、あんなナリなんッスか!?』ってな。まぁ、口止めしといたが…」
「太一は、お前に心酔してるからな…使っても安心なんだよ。腹に一物無いし…」
「アレは犬と一緒だ!頭ん中、何にもねぇからな…ちったぁ考えながら行動すればいぃんだが…」
「太一は、あのままでいいんだよ…可愛いんだろ?お前が、鍛えてやればいい」
「まぁな」
「但し…鉄砲玉にだけはさせるなよ?」
「わかってる。所でな…今日お嬢ちゃんを迎えに行った時、妙な車と鉢合わせた」
「妙な車?」
「お嬢ちゃんが逃げるんで、追い掛けてたらな…目の前に黒いカローラが道を塞いだ。中から出て来た黒スーツの男が、お嬢ちゃんを連れ込もうとしたんだ」
「何だって!?」
「俺が声を掛けて、お嬢ちゃんが相手を怖がって手を引っ込めたから、事無きを得たんだが…」
「見知った顔か?」
「いや…良く見えなかった。お嬢ちゃんは、ばっちり見た筈だ」
「…マズいな」
「確かに…追われる材料が増えちまった。実際お前…犯人の心当り有るんじゃねぇのか?」
「有り過ぎる程有るさ」
「…」
「森田さんのシマにビルを建てる事を、面白く思って無い組も有るだろうし…ウチのシマが羽振りがいいと誤解してる奴も居るし…毎回の上納金を期限内に払えるのは、堂本組長が俺を口説いた見返りに金額を安く設定しているからって噂も有るしな」
「ちょっと待て…冗談じゃねぇぞ!?2年前のゴタゴタで、他の組より多く納めてんだろうが!!」
「皆、詳しくは知らないからな…。まだ有るぞ?ウチが羽振りがいいのは、裏でヤク扱ってるって噂も有る」
「それは…皇輝の置き土産ってか?」
「…」
「皇輝…絡んでると思うか?」
「わからない…絡んでるとすれば、三上組の残党か…まだヤクを扱いたいと考えてる組と手を組んでいるという事だろうが…。どちらにしても、同じ堂本の盃を受けた身内って事だ。然も皇輝は…聖の本家筋だ。……流石の真木も、皇輝には手が出せないだろ?」
「専務は、ウチの若頭だぞ!?俺達の…お前の味方じゃねぇのか!?」
「ならいいんだがな…聖の本家は、皇輝の母親の実家だ。親父は婿養子で、俺は妾腹だからな」
「それを承知で堂本の組長も先代も、お前に跡を継がせたんだろうが!?」
「…真木は、聖組の若頭だ。皇輝は親父の息子で…本家の血筋だ。皇輝が本気で動くと決めたら、真木は皇輝側に付くか…俺を気遣って全く動かないかのどちらかだろう」
「貧乏籤引いたと思ってるか?」
「思いっ切りな!」
そう言ってセイヤは乾いた声で笑い…溜め息を吐いた。
「で、お嬢ちゃん…どうするんだ?」
「狙われてるのが確定した以上、カタが着く迄はここで過ごして貰う積もりだ」
「その後は?」
「…」
「恋人になろう宣言…したんだろうが?」
「…あの店も…あの子も……俺にとっては、オアシスだったんだがな…」
「後悔してんのか?あんな甘ったるい口説き方しといて…」
「…だよな……自分でも、良くわからないんだ…でも、こんな状況じゃなければ、絶対に言わなかったのは確かだな」
「何だかなぁ…」
「何だよ?」
「怒らねぇか?」
「何が?」
「その…今迄、お前が付き合って来た女の中じゃ……最低ランクだぞ?」
ソファーの背もたれに頭を預けて天井を見ていたセイヤが、フィッと頭を上げると口角を上げて笑った。
「違うぞ、棗…」
「え?」
「最高ランクだ…正直、落とせるかどうか自信がない…」
「お前がぁ!?」
「あの子は、俺達とは一番遠い所で生きてる…高嶺の花だ…」
「見た目に誤魔化されんなよ…捕まえる時も、可愛いナリして結構な跳ね方だったぞ?」
「…知ってるよ」
セイヤは優しげな笑みを浮かべ、喉の奥でクックッと笑った。
カフェのドアを開けた途端に響く悲鳴とグラスの割れる音、店内の張り詰めた空気に俺は思わず身構えた。
「テメェ…もう一度言ってみろっ!?」
「何度でも言います!!他のお客様のご迷惑になりますので、お引き取り下さいっ!!」
殴られたのか、赤くなった頬を庇う様に床に倒れた女性客と、割れたグラス。
その横に仁王立ちする明らかに柄の悪そうな男に、彼女は1人果敢に立ち向かっていた。
店内に数人居た常連客は震え上がり、マスターと他のウェイトレスは真っ青になって固まっている。
「テメェ…俺は客だぞっ!?」
「だって、迷惑だもの!!痴話喧嘩なら、他でやってよ!!」
そうだ、そうだと、店内から小さな野次が飛ぶ。
「それに、女の子を殴るなんて…最低っ!」
自分よりずっと小さな、見掛けは中学生の様な彼女に罵られ、男は目を釣り上げて彼女の胸ぐらを掴み、片手を高く上げた。
「…そこ迄だ」
俺は男の振り上げられた手首を掴むと、彼女を半身で庇って言った。
ここは佐久間組のシマだ…騒ぎを起こしたり、目立った行動をする訳には行かないのだが…彼女が胸ぐらを掴まれて、微かに震えながら強がっている様子を見たら、自然に躰が動いていた。
「テメェ、誰だ!?関係ねぇ奴は引っ込んでろ!!」
「マスター、警察に連絡を」
「何だと、ゴラッ!!」
掴んだ手にギリッと力を入れ、空いたもう片方の手で眼鏡をズラしガンを飛ばすと、目の前の男は息を呑んだ。
曲がりなりにもヤクザの組長の看板(飽くまで会社社長だが)を背負ってるんだ…いくら普段着で冴えない男の格好をしていても、チンピラ等ひと睨みで退散させるだけの威力は備えている。
「……その汚い手を離して…消えろ」
低い声で囁き、目の前の男に顎をしゃくると、男は真っ青になってアタフタと逃げ出した。
殴られた女性客は、頭を下げて男の後を追う。
店内のそこかしこで溜め息が吐かれ、のんびりとした空気に戻る中、俺はカウンター横の席に腰を下ろした。
「いらっしゃいませ…さっきは、ありがとうございました」
そう言って水を置いて頭を下げる彼女に、俺はいつもの様に声を掛けた。
「無鉄砲だなぁ…」
「だって酷いんだもん…いきなり喧嘩始めて、女の子の事殴ったんだよ!」
「でもね…」
「マスターが注意しても聞かないで、又殴ろうとして…」
「だったら余計に…君が殴られる可能性高いでしょ?」
「…あ…そうかも」
「現に、胸ぐら掴まれてたし…怖くなかったの?」
「怖かったよ…でも、許せなくて…」
剥れる彼女を見て呆れた様に笑うと、俺にヘニャリと笑って返す。
店の客とウェイトレスのバイトという関係…それでも、彼女がタメ口を吐く程に通い詰め、常連客という地位を獲得しつつ有る。
「本当は強いの?お客さん?」
「え?…いや、アレは…後ろから、常連さん達が睨んでくれたからだよ」
「そうなんだ」
「萌奈美ちゃんこそ、正義の味方はいいけど…無茶したら駄目だよ?」
「アレ?名前教えた?」
「あぁ…他の常連さんが呼んでるの聞いたから…駄目だった?」
「うぅん、構わないよ。お客さんは?」
「俺は…『ダサ眼鏡のカチューシャ男』です」
「嘘っ…聞こえてたぁ!?」
百面相の様に表情が変わる彼女を見て笑うと、真っ赤になって手を合わす。
「ごめんねぇ」
「いいよ…君達のお喋りは、ここの常連客の楽しみだからね」
少し離れた席に座る顔馴染みが、珈琲を啜りながら静かに頷いた。
「いい名前だね?お父さんが考えたのかな?」
「多分ね」
「『mon amie』確かフランス語で、『私の愛する人』だったよね…いい響きだ」
「…」
「どうかした?」
微妙な顔をして立ち尽くす彼女に声を掛けると、ヘニャリと破顔された。
「その発音で呼ばれたの…久し振りぃ!」
「え?」
「ダディが、よく私の事…その発音で呼んでたの」
「……そう」
確か、もう鬼籍に入っていると以前聞いたが…悲しい事を思い出させてしまっただろうかと焦って話題を変えた。
「今日のお薦めのブレンドは?」
すると彼女は、カウンターをチラリと見て顔を近付けた。
「さっきね…サントスの豆、封を切った所なの」
「じゃあ、サントスとモカ…7:3で」
「畏まりました。あ…そうだ、お腹空いてる?」
「ん…まぁね」
「甘い物、好き?」
「普通にね」
「パンケーキ…ブランチに食べない?」
「…嬉しいね。でも、そんなメニューあったっけ?」
「裏メニューなんだよ。普通のお客さんには出さないの…私が作るオリジナル!」
「それは旨そうだね」
「さっきのお礼に、ご馳走させて!」
「いいの?」
「勿論!ちょっと待っててね!!」
満面の笑顔でカウンターに戻りマスターに珈琲をオーダーすると、彼女は厨房の中に入って行く。
やがて店内に甘い香りが流れ、碌に朝食を摂っていない胃が悲鳴を上げた。
「お待たせ致しました」
香り高い珈琲の横に、ふっくらと焼き上がった5枚のパンケーキが置かれた。
たっぷりのバターとメープルシロップ、横には赤いジャムが添えてある。
「これは?」
「コケモモのジャム…甘酸っぱいけど美味しいから、試してみてね?それじゃあ、ごゆっくり」
そう言うと、彼女はバックヤードに戻って行った。
パンケーキなんて、何年振りだろう…昔お袋がよく作ってくれた。
表面がサックリして中がふわふわのパンケーキは、とても美味しく…とても懐かしい味がした。