第38話
翌日、萌奈美を伴い屋敷に帰ると、サキを始め使用人達は暖かく彼女を迎え入れた。
しかし、部屋に入った途端彼女が申し入れた言葉に、俺は愕然としたのだ。
「聖さんと…部屋を別にして欲しいの」
「えっ?」
「それと……お屋敷で…同衾は…しない」
「何でっ!?」
バンッとテーブルを叩き立ち上がると、俺はツカツカと歩み寄り、彼女の腕を掴んで立ち上がらせ、キツい表情で再び詰問した。
「どうしてっ!?」
「…だって…」
「全て…俺の物になったんじゃないの!?」
「…そう…だけど…」
「じゃあ、何故だっ!?」
ストレートな感情を爆発させる俺に、彼女は震えながら後退った。
「…萌奈美」
「…」
「…萌奈美…怯えないで」
「…怯えて…ない」
そう言って両手で口と鼻を押さえる萌奈美を、抱き締めて背中を撫で下ろす。
「ごめん……感情的になった」
「……」
「お願い…怯えないで…」
「……」
「その癖も、止めて…」
そう言って、彼女の両手を持って自分の腰に導いた。
「ちゃんと息をして…息や声を殺す必要はないんだ…大声で泣いて、叫んでいいんだよ」
腰をギュッと掴んで、萌奈美は懸命に気持ちを抑え込もうとする。
「…」
「飲み込まないで…俺も冷静になるから、思ってる事言って。何か…理由がある…そうだね?」
頷く彼女の背中を撫で、俺は答えられる迄根気強く待った。
「…無理だよ…」
「どうして?この屋敷は嫌い?」
「…違う」
「親父の事は、棗に聞いたろ?」
「…うん」
「サキの事…嫌いなの?」
「……違う」
「…」
「人が…」
「ん?」
「…あんな……沢山…居るのに…」
「…あぁ…大丈夫だよ?」
「…」
「…萌奈美」
「……無理…」
「…」
「皆…優しいし…好きだけど……でも、嫌なの…」
「恥ずかしいの?」
「…」
「もしかして、前もそうだった?俺の腕から…直ぐに逃げ出してた」
「…聖さん…他の人が居ても、お構いなしだから…」
「慣れる事…出来ない?」
「…」
「萌奈美が、この屋敷の女主になるんだよ?」
「女主?」
「そう…この屋敷の王様が俺で、女王様が萌奈美なんだ」
「…」
「女王様には、女官がつかえてるだろ?その女官のトップがサキなんだよ」
「…女官長って事?」
「そう…サキに相談してごらん?萌奈美の困ってる事、何でも…。サキは萌奈美のお母さんより年齢的には上だから、恥ずかしいなんて思う必要はないんだよ?」
「……うん」
「今迄萌奈美は、何でも1人でこなして来た。でもこれからは、人を使う事を覚えるんだ」
「人を使う?」
「そう…屋敷の中は、基本女性の領分だからね。それに、会社も…俺が不在の時には、棗と萌奈美が相談して、動かすんだ」
「…」
「大丈夫…萌奈美には資質があるから」
「資質?」
「そうだよ。ポジティブで決断が早く、物事を冷静に見て…言動に責任を持つ……例え壁があっても、論破してしまうしね」
「…本当の私は…違うって知ってる癖に…」
「勿論知ってる。だが、あれも萌奈美の本当の姿だ…表に見せてる萌奈美だね」
「聖さんにも、表の顔があるの?」
「そうだよ……緻密で冷徹、計算高く自信家で、かなりの皮肉屋…俺の裏の顔を知っているのは、極親しい人間だけだ…」
「…」
「萌奈美の可愛い裏の顔は…俺が知っていればいい」
「…聖さん」
「萌奈美を甘やかすのが、俺の役目だ。これだけは、誰にも譲る積もりはない…」
腕の中で、彼女の躰がブルリと震える。
背中を撫でていた手を異動させ、頬から顎の下を擽りクイッと持ち上てやると、頬を染め潤んだ瞳の彼女が俺と視線を絡ませ再びブルリと震えた。
「…瞳が潤んでる」
「…」
「感じちゃった?」
クスリと笑うと、剥くれた彼女に胸を叩かれた。
それからサキと相談したのだろう…年末の大掃除と共に屋敷内で部屋の引越しがなされ、俺の書斎に続く寝室の隣に、萌奈美の勉強部屋が設けられた。
それぞれの部屋にはインターホンが引かれ、用事がある時にはそれで使用人を呼び出すシステムにしたそうだ。
忘年会に誘われ、クリスマスの顛末と婚約の事を友人達に報告して来ると外出した萌奈美を見送った後、部屋の異動に面食らう俺にサキが笑って言った。
「旦那様が、構い過ぎるからですよ?」
「気付いてたのか?」
「当然です。お嬢様の感覚の方が、一般的ですからね」
「…そんな物か」
「本当に…女性への情の掛け方迄、大旦那様そっくりです」
「親父と!?」
「お気付きではありませんでしたか?」
「…全く」
「…お嬢様のお部屋には、鍵を取り付けました。破らないで下さいましね?」
「何で鍵なんか…」
「たまには、1人になりたい時もおありでしょうし…避難場所が必要なんですよ」
「…」
「今後、お嬢様にどう生活して頂くんですか?」
「…まだ決めてない」
「大学への復学は、年明けですか?」
「…」
「旦那様…お嬢様を、お母様の…マリア様の様に、閉じ込めて仕舞われるお積もりですか!?」
「…」
「自由にして差し上げないと、マリア様の様に…壊れてお仕舞いになりますよ?」
「……不安なんだ」
呆れた様な溜め息が吐かれ、サキの厳しい苦言が降り注ぐ。
「全く!疑心暗鬼も大概になさいませ、坊ちゃま!!」
「!?」
「お嬢様の不貞を、ご心配なのではないのでしょう!?」
「それは…心配していない。だが…萌奈美は小さくて…いつ襲われるかわからないし…」
「なら、お嬢様にわからない様に、護衛をお付けになれば済む事じゃありませんか!?」
「…それに…彼女は、直ぐに…俺から離れ様とする」
「…」
「…何事も自分で納得しないと動かないし…傍に居ても、この間の様に…全く話さなくなったり、躰に支障をきたしたり…」
「……マリア様の自殺は…クスリに因る発作的な物です。坊ちゃまを…見捨てた訳ではありません」
「わかっている!そんな事…」
「況してや、お嬢様が坊ちゃまを見捨てる等…考え過ぎです!」
「…」
「今迄、意のままにならない女性等いなかったから…お嬢様に対して、不安になられるのかもしれませんが……正直、お嬢様が坊ちゃまの境遇や性格を嫌だと思われていたら、今頃とっくに捨てられておいでですよ?」
「…」
「大きな愛で包んでやるのも、男の度量です!」
「そんな事は…」
「わかっていても、実践されないのであれば、同じ事です!」
「……わかっている」
再びホゥと溜め息を吐くと、頬に手を添えてサキは遠くを見詰める様な眼差しを投げた。
「実際、よく耐えておいでですよ…お嬢様は…」
「え?」
「幾ら旦那様の為だからと言って、2度も逃げ出した屋敷に帰るというのです。旦那様の前では普通に過ごされていますが、お1人になられると、全神経を研ぎ澄まして生活していらっしゃいます」
「…そんな」
「堂本様の意向で、旦那様がこちらにお住まいになっている事も理解しておいででした。ですからご自分も、もう逃げ出す訳にはいかないと…」
「…」
「それに致しましても神経を張り詰めておいでなので、その様な必要はないと申し上げたのですが、今迄もそうして生活して来たので気にしない様に…と、逆に気を遣われてしまいました」
「何か、対処方法はないのか?」
「人数が多いのがやはり原因かと思いまして…少しでも負担を軽減しようと数人解雇しようとしたのですが、自分の為なら絶対に止めて欲しいと止められました」
「…」
「旦那様の仰る様な、お嬢様の心安らげる空間になるには、まだまだ時間が掛かるのです。ですから逃げ込める鍵付きのお部屋や、ご友人と過ごされる時間が必要なのですよ」
「…そうか」
「大丈夫ですよ…ご卒業の頃には本当の我家になって、寛いでおいでです」
「…わかった、宜しく頼む」
そう頭を下げると、サキはにっこりと満面の笑みを浮かべた。
年が明け正月元旦…この日には、毎年屋敷に聖組に席を置く全員が訪れる。
それは、Saint興業になった今でも変わらない。
1人ずつから年始の挨拶を受け、その後広間で大宴会が始まる。
使用人達と共にテーブルや食器の用意に走り回っている萌奈美を、棗が腰から掬い上げて小脇に抱えた。
「何すんの!?棗さん!!」
「何すんのじゃねぇ!お嬢ちゃんこそ、何やってんだ!?」
「だって、会社の人が沢山集まるんでしょ?手が足りないから、手伝ってるんだよ!邪魔しないでっ!!」
「お嬢ちゃんは、こっちで大人しくしてろっ!」
「やぁだぁ〜っ!サキさぁ〜んっ!!」
広間での騒ぎに、俺の後ろに控えたサキが、呆れ顔で手を叩いた。
「何していらっしゃるんです、お2人共!?」
剥れた萌奈美を抱えた棗は、サキに小言を食らったていた中高生の頃の顔付きになって鼻白む。
「邪魔するんでしたら、お2人共退席して頂きますよ!」
「萌奈美、君はそろそろ着替えておいで」
「着替え?何で?」
「…お正月だからね」
ジーンズにトレーナー姿の萌奈美は、俺の言葉にキョトンとして棗を見上げた。
「…何で?」
「何でって…お前、その格好で挨拶受ける積もりか!?」
「挨拶って?」
「今日は、お嬢ちゃんのお披露目の席でもあるんだぞ!?」
「……」
「聞いてねぇのか?」
「…スーツでいい?」
棗に睨まれ、俺は苦笑して萌奈美に手を差し出した。
「おいで、萌奈美」
部屋に入り、クローゼットを開けながら口を尖らせる萌奈美に尋ねた。
「この間買った、ワンピースは?」
「クリーニングに出しちゃったよ…序でに、その前に着てたアンサンブルとスカート、コートも一緒にね!」
「…そっか」
「挨拶受けるって?お披露目って、何の事?」
「今日は、会社の人間全員が集まるからね…萌奈美を、俺の婚約者として紹介するんだ」
「…聞いてないし」
「正月に、何着る積もりだったの?」
「……」
「萌奈美?」
「…別に」
「……」
「……正月に晴れ着で初詣に行くのは…金持ちの発想なの!」
「…」
「年末は大掃除して、お節作って…元旦の朝はお雑煮作って、叔母さん達が初詣行ってる間に料理して、夕方からお客さんの接待で、一晩中お燗してお酒出して…夜中迄片付けて……正月三箇日なんて、ずっとそんな調子だったんだもん」
「…ごめん」
「別に…聖さんが悪い訳じゃないし…」
「初詣は?」
「……学校始まってから、帰りに行ってた」
ついつい忘れそうになる…萌奈美はあの家に居ても、家族として扱われていなかったのだ…。
「予定教えてくれてたら、クリーニングに出さなかったのに…」
「今度からは、ちゃんと知らせるよ…今は、今日と明日…何を着るか…」
「明日も?」
「明日は、百人町に…堂本組長の屋敷に呼ばれてるんだ」
「私も!?」
「そう…」
萌奈美が目を丸くした時、障子の外から声が掛かった。
「失礼します」
そう言って、サキが畳紙を持って部屋に入り、俺達の前に置いた。
「これは?」
「以前、大旦那様がマリア様に贈ったお着物です」
「お袋の!?」
「時間がありません。お嬢様!お手伝い致しますから、お召し物を脱いで下さい」
萌奈美は惚けた顔で、広げられた振袖に見蕩れていた。
「明けましておめでとう。本年も宜しく頼む」
次々に座敷を訪れる社員に、年賀の挨拶を返す。
俺の隣には、エメラルドグリーンの地に鮮やかな百花繚乱が描かれた中振袖をまとった萌奈美が、笑みを浮かべて皆の挨拶を受けている。
「本日を持って、相談役になった真木に代わり、棗修二が専務の職に就き、フローリスト『Garden JUJU』の代表取締役となる」
「おめでとうございます!」
広間に揃った皆が、一斉に俺の隣に座る棗に頭を下げる。
「続けて皆に紹介して置く。知っている者もいると思うが、彼女の名前は桜井萌奈美だ。先日、私は彼女と正式に婚約し、この屋敷で同居する事になった…萌奈美、皆に一言挨拶して…」
少し驚いた顔をした彼女は、手を着いて頭を下げると凛とした声を張った。
「桜井萌奈美と申します。未だ学生の身分ですが、聖さんと婚約させて頂きました。不束者ではございますが、どうぞ宜しくお願い致します」
「おめでとうございます!!」
皆の祝福の声に、萌奈美が深々と頭を下げた。
「あれで良かった?」
「流石だね、充分だよ」
無礼講になった席で俺に酌をしながら、彼女はヘニャリと笑った。




