第35話
12月24日当日は、寒波の影響で朝から身が引き締まる様な寒さだった。
『本日のお天気は…午前中は晴れ、午後には雲が広がり、夕方から雪もちらつく寒い1日となるでしょう』
天気予報を眺めながら朝食の珈琲を飲んでいる俺に、サキがスッと細長い箱を差し出した。
「お誕生日、おめでとうございます。旦那様」
「あぁ…」
「本日のご予定は?」
「午前中は、事務所に行く。夕食は必要ない」
「畏まりました。…今年も、棗さんのプレゼントはアレですか?」
「だろうな…ホテルの予約だけで、支払いは俺持ちって…そんなのプレゼントになるのか?然も、毎年無駄にして…」
「今年は、無駄にならないのでは…」
「…」
「私のプレゼントも、いつも通りです」
「俺はもう、子供じゃない…って言うか、お前一体何本作らせてるんだ?」
包みを開けると、真新しい光を放つ特注のバタフライナイフが出て来た。
「あちらも後継者不足で…でも、やっとお弟子さんが入られた様ですよ?」
「うん…流石だな。手に馴染む…」
俺の最初のナイフは、母が死んだ時に叔父が護身用に持たせてくれた。
使う内に、どうしても歪みやガタが来てしまうバタフライナイフを、サキはこうして毎年贈ってくれる。
「まだまだ…必要なのですね」
「…当分はな…仕方ない」
「必要なくなる迄、贈らせて頂きます。それで、ご自身とお嬢様をお守り下さい」
そう言って、サキは母親の様な表情で笑った。
昼前に事務所にやって来た萌奈美を見て、俺の胸は痛んだ。
真っ白いコートにブーツ、ハイネックの黒いアンサンブルにパールのチョーカーをして、赤いタータンチェックのプリーツスカートを着こなした彼女が、大きなリボンを掛けた箱を抱えて入って来た。
「今日は、いつになく可愛いね」
「そう?ありがとう」
以前の様に受け答える彼女に安堵すると同時に、その格好は俺以外の男性に向けての物だと思うだけで、胸が掻き毟られる思いだった。
「はい、メリークリスマス!」
そう言って大きな箱を俺に渡して、彼女は笑う。
「大きいね」
そう言ってガサガサと箱を開けると、中から赤毛のぬいぐるみが出て来た。
「…狐?」
「銀狐探したんだけどなくってさ…狐のぬいぐるみって、みんなその色なんだね」
「可愛いな…萌奈美みたいだ」
「私?…それ、お腹の中に膝掛けが入ってるの。オフィスでも車でも…ベッドでも使えるでしょ?」
「ベッドで?」
「抱き枕に使えない?」
「…萌奈美の代わりって事?」
「考え過ぎ…でも可愛いでしょ?」
「確かに可愛いけどね…俺は、血の通った生身がいいな」
そう言ってぬいぐるみを置き、萌奈美を抱き締め様と近付くと、彼女は手提げ袋の中からもう1つの包みを出して俺に渡した。
「こっちは、お誕生日プレゼント」
「2つも?無理しなくて良かったのに…」
「じゃあ、要らない?」
「いぇ、ありがたく頂きます」
細長い箱の中には、グレーのグラデーションのサテン地に、黒の織り柄で木立と動物が星空を見上げる意匠のネクタイが入っていた。
「どうかな?男の人のネクタイなんて初めて選んだから…どんなのがいいのか、良くわかんなくて」
「素敵だよ、ありがとう」
「良かった…聖さん、明るくて派手な色のネクタイとかしてるの見た事ないし…」
「萌奈美が選んでくれたら、どんな色でもするけど?」
俺は自分のネクタイを引き抜くと、新しいネクタイを首に掛け、彼女に向き直った。
「結んでくれる?」
「無理だよ!した事ないもん」
「教えるから…」
たどたどしい手付きで真剣にネクタイを結ぶ萌奈美を見下ろして、俺は笑いながら話し掛けた。
「女性が男性にネクタイを贈るのって、相手の男性を縛り付けたいって意味があるの…知ってた?」
「知らないよ!…そんな積もりないもん」
「そうなの?…それは残念」
「縛って欲しいの!?」
「そうだよ…萌奈美になら、縛られたいかな?」
「…」
結び終わったネクタイの形を整えると、彼女は微妙な顔で笑った。
「うん、やっぱり素敵だ…ありがとう。じゃあ、俺からのプレゼントね」
鏡を見てそう言うと、俺は机の後ろに用意した箱を差し出した。
「嬉しい!何?」
「開けてご覧?」
厚みのある箱を開けた萌奈美は、目を丸くして驚いた。
「嘘っ!?コレ…本物?」
「勿論…本物の『Silver Fox』だよ」
俺は箱の中から取り出した、大きな銀狐を1匹丸々使った襟巻きを彼女の首に巻いた。
「凄い!いいの!?」
「あぁ…今日は寒いから…巻いて行くといい」
フワフワとした毛皮の感触を楽しみながら、彼女はありがとうと言って襟巻きの狐の顔にキスをした…そのキスは、狐じゃなくて俺にするべきキスなんじゃないか?
「…ランチは?」
「大学の友達と、待ち合わせなの」
「そう……王子様との待ち合わせは、何時?」
「…わかんない…時間決めてないし」
「どこで待ち合わせ?」
「…内緒…聖さん、又覗きに来るもん」
「…会わせたくないの?」
「いゃ…会うのは…無理だよ」
そう言ってクスクス笑う彼女を少し憎らしいと思いながら、努めて平静に質問する。
「来るかどうか、わからないんだろ?」
「棗さんに聞いたの?」
「…」
「そうだね…10年も前の子供との約束なんて…覚えてる人の方が珍しいと思うよ?」
「10年?そんな前の話なの!?」
「そう…10年前のクリスマスに約束したの…イイ女になれって言ってくれた」
「…」
「イイ女になれたかどうか、確認して欲しいって頼んだの。そしたら、10年後に出会った場所で会おうって…言ってくれた」
「…萌奈美」
「私には…ずっと心の支えだった。彼の言葉と約束を支えに、生きて来たの……だからね…」
「…7時に電話する…彼と会えたら、無視してくれて構わないから」
「…」
「もし、彼が来なかったら…俺とデートしてくれる?」
「…いいの?…私…」
「俺には…萌奈美と過ごす事が、何より最優先だからね」
彼女の赤くなった頬に手を添えると、俺はゆっくりと口付けを落とした。
「で、黙って行かせたのか?」
「萌奈美は、自分で考えて行動しないと納得しないからな」
「甘やかせ過ぎだ!一言、行くなと言えば良かったんじゃねぇのか!?」
「…」
「女は、案外そんな言葉を待ってるもんだ」
「納得して…戻って来てくれるなら…それでいい」
「全く…惚れた弱みとは、良く言った物だ…」
棗は、呆れた様に俺にメモ用紙を渡した。
「誕生日&クリスマスプレゼントだ」
「いつもの通り?」
「恒例だろ?電話1本で元手は掛からねぇ。但し、早い内から予約を入れなきゃなんねぇのが、玉に瑕だがな」
「使った試しがない…」
そう言ってメモ用紙を受け取ると、棗が苦笑を漏らす。
「今年は、お嬢ちゃんが相手だとわかってたからな…夏に気に入ってたから、パークハイアット東京を予約したんだが…あの事件の時に拉致された場所だからなぁ…」
「…今年も、無駄になるかも知れない」
「キャンセルは、自分で電話しろよ?序にピーク ラウンジも予約しといたからな…連れて行く約束してたんだろ?」
「まぁな…」
メモ用紙を無造作にポケットに入れると、溜め息を吐いて窓の外を眺めた。
どんよりと垂れ込めた雲から、チラチラと雪が落ちて来た…。
「暗いと思ったら…降って来たのか」
「雪のクリスマスなんて、何年振りだ?」
「さぁ?」
萌奈美と一緒なら…ホワイトクリスマスだと、はしゃいで喜んだろうに…。
「そういゃ、あの時も雪が降ってたな」
「いつの事だ?」
「ホラ…俺が、初めてお前にホテル取ってやった…」
「何年前の話だ?」
「俺が、お勤めから出て来て直ぐだったから…彼此10年近く経つんじゃねぇか?先代から褒美だって、高級ホテル用意して貰ってウハウハでよ…それに引き換え、お前は相変わらず時化たクリスマスしか送りそうになかったから、俺がホテル取ってやったんじゃねぇか」
「予約だけって聞いて、何だそりゃって…女連れだったから、殴る事も出来なかった…確か、寒い中外で待たされて…」
「連れが、夜景が見たいっつったんだよ!待ち合わせ場所に行ったら、雪が降ってて…お前、機嫌最悪で…」
当時を思い出したのか、棗は笑いながら言った。
「だけど、あの時は役に立ったって言ってたろ?」
「え?」
「何だ、覚えてねぇのか?あの時お前、迷子のガキを助けてやったって…後で言ってたじゃねぇか」
「そうだったか?」
「待ち合わせた公園のベンチで、泣きながら寝ようとしてたって…何か、助けが呼べないガキを、仕方なく面倒見て…」
「……あぁ…あったな…確か、ネグレクトに合ってる子供で、家に送ってやったら誰も居なくて……鍵も…持ってなかったんだ」
「折角クリスマスの夜にホテル取ってやったのに、ガキと泊まったって言うから…何やってんだって言ったら、一応女だったって…」
「……」
「おい、セイヤ…?」
「……」
「大丈夫か、お前?真っ青だぞ!?」
躰から力が抜け、立っていられなくなって…デスクの椅子に沈み込む。
…そうだ…確かに…。
「大丈夫か?」
「……助けた…成り行きだったんだ……英語しか話せない子供で、誰にも助けて貰えなかったと…学校に連絡しても通じなくて…仕方なく家に送って行った…」
「セイヤ?」
「一緒に住んでいる親戚に、ネグレクトに合ってた……昼から何も食べてないって…だから、ホテルでルームサービスを取って食事させた」
「……」
「親が死んで…自分の事を理解しようとしない周囲に馴染めないと…涙ながらに話す子供の愚痴を聞いている内に、何甘えてるんだって苛ついて……大人ぶって説教して…」
「…おぃ…それって…」
「一緒に風呂に入って気が付いた…男の成りしてたから、気付かなかったんだ……女だとわかって、しまった言い過ぎたって…イイ女なれなんて戯れ言を言った。…どうしたらいい、棗……守って貰えないなら、泣き寝入りせずに、意思を通せる程強くなれなんて…俺は、自分自身の事で手一杯で……子供に八つ当たりしたんだ!!」
「…」
「あれが…萌奈美だったなんて……思いもしなかったんだ!!」
「お前…昔の自分に、嫉妬してたのか…」
「…幼い萌奈美を追い詰めたのが……まさか自分だったとは…」
「だが、お嬢ちゃんは感謝してるって言ってたじゃねぇか!?お前の言葉があったから…生きる支えだったって、俺にもそう説明してたぞ!」
「…何て事だ……俺は出会って…いや、再会してから、真逆の事を言い続けて来たんだ…昔の俺と、真逆の事を言って…」
萌奈美と過ごして、時折デジャヴュを感じていたのは、その為か…。
何故気付かなかった!?
何故思い出せなかったのか!?
確かに、小学生の子供だった…そう、萌奈美もさっき10年前の約束だと言っていたではないか!?
「お嬢ちゃん…気付いてたのか?」
「わからない……いや…気付いていたのかも知れない」
「全く…気付いてんなら、何で何も言わねぇんだっ!?」
「……」
「…どこで待ち合わせなんだ?」
「…」
「セイヤっ!?」
「…10年後に、2人が出会った場所で……当時の俺は、そう言って約束したらしい」
「直ぐに、電話してやれ!」
「…いや……俺が迎えに行ってやらないと…萌奈美は待ってる…ずっと待ってるんだ…」
「なら、急ぐぞ!」
「えっ!?」
「お前に…そんな状態で、運転なんてさせられる訳ねぇだろうがっ!?」
「…」
「それにお嬢ちゃんは、この寒空の中…公園のベンチでずっと待ってんだぞ!?」
「…頼む、棗」
「おぅよ!!」
俺は彼女から貰った狐のぬいぐるみを掴むと、棗の運転する車で公園に向かった。
公園の駐車場ではなく正面入口に乗り付けた棗は、サイドブレーキを引きながら俺に言った。
「行って来い、セイヤ…あの頃と違って、路駐出来ねぇからな。俺は、ここで待っててやる。…お嬢ちゃんにも、文句言ってやりてぇしな」
「…わかった」
俺は、ぬいぐるみの腹から膝掛けを取り出すと、車を降りて一目散に自分が待ち合わせに指定したベンチに走った。
雪の降る…すっかり陽の落ちた公園のベンチで……萌奈美は、どれだけ心細い思いをしているだろう!?
公園の一番高い場所にある、小高い丘の展望エリアに向かう階段を、俺は息を切らせて駆け上がった。




