第34話
私は、彼の腕の中で告白を聞いていた。
「結局、堂本組長の所に登紀子が押し掛け、先代、先々代の聖の働きに免じ、皇輝の命だけは助けてくれと懇願し…皇輝に組を抜けさせ、一切の権限を取上げる事で納めたんだ」
「…」
「叔父貴は病気で急逝した事にし、俺は寺嶋組のシマも同時に引き継いだ。跡を継いだ時に、あの家を含む全ての不動産は俺の名義になった…だから、皇輝と登紀子を追い出そうとしたんだ。だが…俺が堂本の盃を受けた翌日、親父が倒れ…あんな状態になった。登紀子は親父を人質に、皇輝とあの家に住み続けて来たんだ」
「…」
「俺が叔父貴の息子であると、皇輝は本気で信じていた…それ程、叔父貴が元教え子だった母の事を、我が子の様に可愛がっていたのは事実だったからね。だが、それは絶対にあり得ない…叔父貴は、子供の頃の病気が原因で、無精子だったから…」
「…」
「皇輝親子は、多分知らなかった…若しくは、俺が聖の家の長男だと認めたくなかったんだろう……これで全部…もう、何も隠し事はないよ」
「………く…なぃ」
「え?」
「…聖さん……何も…悪く…ない…」
「…いや…そんな事はない…俺は彼を守れなかった…それに、俺の短慮が原因で叔父貴が命を落としたのは事実だからね」
「悪くない…悪いのは、殺したのは…あの男!あの男が責任転嫁しただけ」
「…そうだね」
「でも…あの男を殺したのは…私…」
「違うと言っただろう?萌奈美は、被害者だ」
「うぅん…私の言葉があの男を怒らせた…だからあの男に襲われて…近松さんが怒ってナイフで刺して…あの男が死んで…近松さんが流産して…お母さんが狂って……私も…」
「奴等は自業自得だ…萌奈美は、皇輝に呼び出され、太一を助け、監禁されて殴られ、ヤクを飲まされた…それだけだ」
「…」
「…まだ信じられない?」
「…」
「医者の診断書もある…何なら、今から産婦人科で調べて貰う?」
「…」
「なら、俺が調べようか?」
何を言ってるんだろう、この人は…私がどれだけ心を痛めて…そう思って涙を溜めて見上げると、透かさず顎を捉えてキスをされる。
「萌奈美にとっては大事な事なんだろうけどね…俺にとっては、取るに足らない事なんだよ……virginであろうがなかろうが、萌奈美は萌奈美だ」
「…」
「それよりも、君が話さない事や、俺の腕から逃げる方が、ずっと大問題」
「……話せる」
「うん、ちゃんと話して…考えてる事や、感じてる事、思ってる事…何でも、言葉にして」
労る様に背中を撫で下ろす手が心地いい…彼の胸に手を付けて微妙な距離を保ったまま、私はフワフワと漂う意識に抗いながら言葉を紡ぐ。
「……胸が痛い…苦しいの…」
「うん」
「……怖い…私の言葉で、誰かを傷付けるのが……聖さんの事…傷付けるのが怖いの…」
「俺は、平気だよ…」
「…嫌なの…もう誰も…傷付いて欲しくない……傷付けたくない…」
「大丈夫だよ…心配ない…」
「…嫌…怖い…嫌…」
沈み込む意識に抗えず、ズルズルと彼の腕の中に崩れながら、私は深淵に落ちて行った。
意識をなくす様にして眠りに着いた萌奈美を屋敷に連れ帰り、再び元の生活が始まった。
サキ達使用人の対応に最初は戸惑いを見せていた萌奈美も、しばらくすると穏やかな表情で少しずつ言葉を交わす様になって来た。
しかし俺に対しての態度は、北新宿に居た頃とは明らかに違う物だった。
俺が懇願すれば腕の中に収まるが、以前の様に収まり続ける事はない…相変わらず笑顔も見せてはくれないのだ。
「何考えてるの?」
「…別に」
「考えてるだろ?」
「…仕事…したい」
「大学に復学するんじゃなかった?」
「……」
「仕事して…ここから出て行く積もり?」
俺から視線を反らしたまま、萌奈美は小さく頷いた。
「駄目だって言ったよね?俺は、君を手放す積もりはない…そう言った筈だ」
「……」
「…やっぱり萌奈美は、俺が嫌いになった?」
「…そんな事…ない…」
「それなら、何故?結婚考えてくれるって、言ったよね?」
「……」
何も言わずに俯く萌奈美に、背筋が冷える。
「…違うの?」
「…少し、1人で考えさせて」
「2人の間の事は、一緒に…俺の腕の中で考えるって約束だったろう!?」
「……」
黙って俯く萌奈美に、俺は彼女の肩を掴んで揺さぶった。
「萌奈美…ちゃんと言いなさい!自分の言葉にして、声を出して…考えてる事を、ちゃんと言うんだ!」
「…聖さんとの事じゃない…私の事…だから、1人で考えたいの」
「…萌奈美…一体何を…」
「ごめん、聖さん」
俺の横をすり抜け様とする萌奈美の腕を掴む…すっかり細くなったその腕は、俺が少し力を込めると折れてしまいそうで…その掴んだ手に触れた萌奈美の指先は、氷の様に冷たかった。
「…仕事は…住む場所を確保する為?」
俺の指を解き、彼女は視線を落としたまま頷いた。
「…北新宿の…あの家に住むといい……部屋の中は、あの時のままだ」
「……」
「他に住む場所…ないだろ?」
「…でも」
「とことん俺から離れる積もりか、萌奈美ッ!?」
「……」
「短期間だけだ…ずっとは許さない!年末迄…年が開けたら、この家に連れ戻す」
「……」
「俺から会いに行くから…」
「…聖さんは…」
「何?」
「………何でもない…」
怯えた様な表情で、萌奈美は俺から離れた。
「それで、1人暮らしさせてんのか?」
「仕方ないだろう…あのまま屋敷に置いていても、壊れてしまいそうだったんだ…」
「全く…相変わらずだな、お前達は…」
「取り敢えずは、期間限定での別居だ」
「ずっとだと、お前が耐えられないんだろうが?…新しい秘書が、俺に泣き付いて来たぞ?社長が機嫌が悪い時には、どう対処すればいいかってな」
「…何言ってる」
「お前、カリカリして眉間にずっと皺が寄ってるぞ…」
眉間を擦るセイヤに、俺は冷たい視線を投げ掛けた。
「相変わらず、雁字搦めな愛し方してるんだろ?そんなだと、お嬢ちゃんに逃げられるぞ?」
「そんな事は…」
「ないって言えんのか?」
「…あるな…萌奈美の事に関しては、俺は暴走するから」
「…年が明けたら、少しは時間的余裕も出来るだろうが…せめて、誕生日位は2人で過ごせよ」
「…俺は…その積もりだがな…」
「まぁいい…久々に、ご機嫌伺いに行って来る」
そう言って、俺は北新宿の部屋を訪ねた。
「よぉ、元気か?」
「…久し振りだね、棗さん」
「何だ、元気そうじゃねぇか…ほれ、土産だ。ロクなもん食ってねぇだろ?」
そう言って、手に下げた紙袋を渡した。
やつれたな…それが、久々に彼女を見た第一印象だった。
痩せたのは勿論だが、顔色が悪く覇気がない…。
「ありがとう…珈琲でも飲む?」
「おぅ」
「…聖さんに頼まれた?」
「って訳でもねぇが…まぁ、何だ…太一も気にしてたしな」
「太一君、元気?」
「あぁ…花屋の仕事覚えるのに、躍起になってる。メールしていいのかって、アイツなりに気ぃ使ってたぞ?」
「いつでもどうぞって言っといて。暗号ゲームも、太一君の暇な時に作って送ってって…」
「本当に落ち着いたみてぇだな?」
「…少しはね」
「で…何でセイヤと話せねぇんだ?」
そう俺が尋ねると、彼女は苦笑しながら珈琲カップを差し出した。
「私ね…今凄く臆病者でさ」
「は?」
「自分の言葉で…人を傷付けるのが…怖いんだよ」
「…」
「言った事に間違いはない…それは自信あるけど…言い方キツかったりするでしょ?」
「……まぁ…な」
「あの時にもね…もっと違う言い方してたら、あんな事件にならなかったかも知れないと思うと、やりきれなくて…このまま一生涯黙って過ごそうかと…本気で考えたの」
「そりゃ又…極端な…」
「だって、誰も責めないんだよ?私の為に…死人迄出して…然もその身内に世話になってるって…申し訳なくて、居た堪れないっていうかさ…」
「…」
「許せない人達だったけどね…それでも、自分さえいなかったらって思ったり…でも、そうすると聖さんが不幸なまんまだったって事だし…」
「…」
「……それに…私自身も…汚されちゃったしね」
「違うって言われたろ?信じてねぇのか?」
「…気遣ってくれてるの…わかるもん…」
「頑固な奴だな、全く」
「そんなこんなで、グルグルしてるの…今」
「…なるほど」
珈琲カップを持ち上げると琥珀色の液体を啜り、彼女はフゥと溜め息を吐いた。
「自分で…何とかして立ち上がらないとしょうがないって思うんだけどね……色々と、制約を付けたがるの…聖さん」
「あぁ…」
「もう私を狙う人がいないなら、私は1人で暮らしても平気な訳でしょ?」
「まぁな」
「でも、絶対駄目だって…気持ちわからないじゃないけど…私が1人で暮らしたからって、聖さんと別れるなんて思ってないんだけどね」
「束縛されるのが、嫌なのか?」
「ん…心地いいんだけど…それに甘えて縋る自分が嫌なのかな…」
「そうだろうな、お嬢ちゃんなら」
「…ハイハイしてる赤ん坊が、掴まり立ちして自分で立ち上がって一歩を踏み出すのって、自分でやらなきゃ出来ない事じゃない?…それを途中で抱き上げて、自分で歩かなくていいって…そういう感じなんだよ、聖さんって」
「あー…わかるわソレ…過保護過ぎなんだろ?」
「ここに来る前に、うっかり言いそうになったの…『聖さんは、私の事…縛り付けて飼う積もり?』って…」
「そりゃ又…」
「言わないでよ、絶対に…凄く傷付いちゃうから」
「まぁな」
「別々に暮らすの…無理かなぁ?」
「不安なんだろ、セイヤは…お嬢ちゃんが離れるんじゃねぇかって、ビクビクしてんだよ。お嬢ちゃんの命狙う奴が、この先絶対に出て来ねぇって保証はねぇからな」
「そうなの?」
「…俺達は、どこ迄行ってもヤクザだ。セイヤも、とうとう腹を括ったみてぇだしな」
「…そっか」
「だから余計に…離したくねぇんだよ」
「…あの家に…住まなきゃ駄目なんでしょ?」
「上から言われたらしいぜ?嫌なのか?」
「……」
「先代も年明けには施設に入るらしいから、気にしなくても…」
「何、ソレ!?」
「聞いてねぇか?伊豆のリハビリ施設に入るらしい」
「……私のせい?」
「違う違う…専門の介護の方がいいのを、本家の女狐が人質同然に幽閉してたんだ。是非世話をしてぇって女もいるし…いいんじゃねぇか?」
「…ならさ…あの家に帰るなら、部屋を別にして貰えないかな?」
「何で?」
「何でって…あり得ないって言うかさ…無理だよ、私…」
「それは、セイヤと話すんだな。俺を介するんじゃなく、直接話し合え」
「…うん」
赤くなって俯く彼女に、思い出して俺は言った。
「クリスマスには、一緒に過ごしてやれよ?」
「クリスマス?」
「そ…アイツの誕生日」
「そっか……でも、今年はちょっと…」
「何だよ、何かあんのか?」
「……先約があってね」
「誰と?予定ずらせねぇのか?」
「…無理かな」
「お嬢ちゃん…その日がセイヤにとってどんなに大切な日か、わかって言ってんだろうな!?」
「……」
「どんなにモテ捲ってた時も、アイツはクリスマスだけは誰とも過ごした事はねぇんだ!!本気の相手じゃねぇと、クリスマスで誕生日なんて特別な日…過ごす気になれなかったんだ!!俺が、どんだけお膳立てしてやってもフイにしてたんだぞ!?」
「……」
「今年は…お嬢ちゃんと過ごす積もりだって…」
「聖さん、知ってるよ…私が、クリスマスに予定がある事…知ってる」
「キャンセル出来ねぇのか!?」
「…その日ね…待ち合わせた人と会えたら、私…きっと立ち直れると思う。元の…強い自分に、戻れる気がするの」
「……」
「でも…きっと忘れられてるから……来ては貰えないかな」
「来ねぇ奴を待つのか?」
「私には、忘れられない事だったから……その人が居たから、今迄頑張って来れたんだよ。これからも…きっと頑張れると思う…何があっても、強く生きられると思うの」
「…セイヤとソイツ…どっちが大事なんだ!?」
「……比べられないよ」
クスリと彼女が笑うのを見て、俺はカチンと来て睨み付けた。
「聖さんには、午前中にプレゼント渡すって伝えてよ」
「そういう問題じゃねぇ!!」
俺はそう言い捨てて、部屋を出た。




