第32話
「桜井家の墓って、どこに在るの?」
「変わった事知りたがるんだね、聖さん」
クスクスと笑いながら腕の中の萌奈美が見上げる。
最初に歌舞伎町で会った時の事を、萌奈美は覚えていない…あの時、翌日に両親の墓参りに行くと言っていたのを何となく思い出して尋ねたのだ。
「いい所に在るんだよ…江ノ島の近く」
「雑司ヶ谷じゃないんだ」
「違うよ。江ノ電のね、江ノ島の1つ手前の腰越って所のお寺に在るの」
「そうなんだ」
「江ノ電って好きなの…何か、オモチャの電車みたいで、家の軒先ギリギリを走るの…乗った事ある?」
「かなり昔にね…今も、変わらないんだ」
「変わってないよ…ぶつかりそうで、ヒヤヒヤするんだけどね」
そう言って、又クスクスと笑っていた。
「いっつもね…お墓参りして、江ノ島行ったり、鎌倉散策して帰るの」
「どっちがメイン?」
「勿論、お墓参りだよ!」
そう言って萌奈美は、膨れっ面を見せてヘニャリと笑った。
俺は…あの笑顔を、いつから見ていないんだろう…?
会社訪問の為に携帯の電源を落としているのか、それとも態となのか…インカムを装着して鎌倉方面に車を飛ばしながら、俺はひっきりなしに携帯のリコールボタンを押し続けた。
誕生日や両親との記念日、そして命日には、墓参りに行く…私が中学生の頃から続けている、年中行事だ。
中高生時代は、丁度学校の試験が終わった頃が誕生日だった…家に居ても誕生日等誰も祝ってはくれないが、その日ばかりは丸1日好きな様にして過ごした。
学校をサボり、電車に乗って墓参りをして…うろうろと辺りを散策して回る。
不審がられ補導され掛けた事もあるが、両親の命日に墓参りに来たんだと訴えると、『それは大変だったね』と、子供の私に皆が同情して見逃してくれる。
7回忌は寺のご住職に頼み、私1人で行った…ご住職がお経を上げてくれて、お供えに持って行ったお菓子を一緒に食べてくれた。
事情を把握しているご住職が、久々に墓参りに来た私を破顔して迎えてくれる。
「久し振りだね、萌奈美ちゃん。7月のお盆以来だ」
「…ご無沙汰しております、ご住職様」
自然に出た自分の声に…頭を下げて挨拶をしながら、私は驚いていた。
「大学はどうだい?楽しいかい?」
「それが…今、事情があって休学しています。もしかしたら、このまま退学するかもしれません」
「どうしたんだい?」
本堂横の庫裏に招かれてお茶を頂きながら、私はかいつまんで事情を説明した…勿論、命を狙われたり、監禁されたりという事はベールに隠したが、ご住職は何となく察して下さった様だった。
「色々あったんだね」
「ちょっと、普通じゃ経験出来ない様な事…沢山経験しました」
「そうかい…」
「私ね…強くならなきゃいけないって、ずっと思って来たんです。自分なりに努力もしたし、昔の弱い自分から脱出したと思ってた…でも、私の不用意な言葉が…とんでもない事を引き起こして、沢山の人が不幸になったり迷惑掛けたり…私…怖くて。自分の吐く言葉が…凄く怖いんです」
「…萌奈美ちゃん、前にも言ってたね。強くなるって…そして、自分の言動に責任を持つと言ってなかったかい?」
「実践してたの…私なりに考えて、言葉も…行動も…ずっと、実践して来たのに…」
「じゃあ、その吐いた言葉は、間違った事を言った訳ではないんだね?」
「…そうです」
「同じ事が起こった場合、萌奈美ちゃんは反対の事を言うのかな?」
「言わない!…絶対に…」
「ならば、君はその言葉に…やはり責任を持つべきかもしれない」
「…」
「真実は、時に人を酷く傷付ける…萌奈美ちゃんがそういった類いの事を言ったのなら、言われて傷付いた人間にも責任がある」
「…酷い言い方をしたの…でも許せなくて……絶対に譲れない事だった…私の本当の気持ちだったし…」
「又…耳が聞こえなくなったりしたのかい?」
「耳も目も両方…今は…」
「今?今も何かあるのかい?」
「私…ずっと、話せなくて……うぅん、きっと話すの怖くて…声出してなくて…」
「…萌奈美ちゃん…もしかしたら、寝れてないんじゃないかな?」
「…余り」
「少し、休んで行くといい。今、布団を用意させるから」
「でも…」
「何なら、泊まって行ってもいいんだよ?ここで、しばらくゆっくりして行ってもいいんだ」
「…」
「話せたという事は、ここは落ち着ける場所だという事だろうからね。ゆっくり休んで…元気を取り戻すといい」
「…有難う…ございます」
私はご住職の言葉に甘えて、久し振りに深い眠りに着いた。
当てがあった訳ではない…行き違いになる可能性も十分にあった。
だが、何としても探しに…迎えに行かなければならないと、本能的に思ったのだ…でなければ、手遅れになると…。
腰越付近に到着し、ナビで付近の寺院を検索して訪ねて回る…その寺に着いた時には、陽はとっぷりと暮れていた。
「夜分畏れ入ります。少しお尋ねしたい事がありまして…」
「何でしょう?」
「今日こちらに、桜井萌奈美という女性が、墓参りに訪れませんでしたか?」
穏やかな表情を見せていた住職が、少し顔色を変えた。
「失礼だが、どなたかな?」
「私は、聖夜と申します」
そう挨拶をして、名刺を渡しながら言い添えた。
「桜井萌奈美は、私の婚約者です」
名刺に見入っていた住職が驚いた表情を見せ、俺を本堂に誘った。
「あの…萌奈美は、こちらに?」
「居りますよ。少し疲れている様でしたので、奥で休ませて居ります」
「…そうでしたか」
安堵した様な俺の表情を見て、住職は穏やかに尋ねた。
「萌奈美ちゃんが、どの様な生活をして来たのか…貴方はご存知ですか?」
「はい…多分、全てを把握しています」
「何か、大変な目にあった様ですね?」
「私の責任です」
「…」
「先程お渡しした名刺には、Saint興業という会社名を記しておりますが…私の生業は…極道です」
俺は、住職に全てを話した…俺自身の事…萌奈美を見初めた事が原因で、彼女が様々な事件に巻き込まれ命を狙われ続けた事…そんな中で、互いの気持ちを確め合った事…。
目の前の住職は目を見開いて驚いたが、何も言わずに俺の話に聞き入った。
「その事件なら、ニュースや新聞で見ましたが…まさか萌奈美ちゃんが巻き込まれていたとは…。もう危険はないのですね?」
「大丈夫です。今回の事件に置いては、問題ありません。しかし引き取った屋敷の使用人が、私の手違いで彼女の事を誤解した様で…辛い思いをさせてしまいました」
「萌奈美ちゃんは、とても臆病な子なんですよ。誰にも守って貰えず、自分で身を守るしかないあの子の持っている物は、言葉だけだったんです。あの子の言葉は、自己防衛の為の武器であり防具…だが…今回の事件で、その武器も防具を剥ぎ取られてしまった様です」
「何か…言っていましたか?」
「自分の不用意な言葉が、事件を引き起こしたと悔いているのです。沢山の人を不幸にし、迷惑を掛け…自分の吐く言葉が凄く怖いと言っていました」
「…」
「内容迄は話してくれませんでしたが、何でも酷い言葉で相手を責めた様で…だがそれは、相手の事が許せない、絶対に譲る事が出来ない事だったそうです。萌奈美ちゃんの本当の気持ちだったとも、言っていました」
「…私の事を…庇ってくれたのだと聞いています。その為に、逆上した弟に…殺されそうになりました」
「私はね、聖さん…貴方の職業がどうあれ、あの子が人を好きになれた事を喜んでいるのですよ」
「…ご住職」
「色々ありましたからね。人間不振になって…臆病で、傷付きそうになると飛んで逃げる。捕まると、鉄壁のガードで牙を剥くんです…心を託せる相手を見付けられずに朽ちて行くのではないかと、この年寄り以外に心を開けないのではないかと、心配しておりました」
「…」
「貴方に向けるキツイ言葉は、あの子の強がりです。本当のあの子は、とても可愛らしい女性ですよ」
「存じております」
住職はにっこりと笑うと、本堂横の庫裏に案内してくれた。
「まだ…休んでいる様だ。何なら、お2人共に泊まって行かれても良いのですよ?」
「いぇ…ですが、もう少しだけ…この部屋をお借り出来ますか?」
「勿論です…どうぞ、ごゆっくり」
襖を閉めると、俺は萌奈美の枕元に座り、彼女の頬をスルリと撫でながら囁いた。
「…萌奈美…ごめんね……又君を傷付けた」
ゆっくりと瞼が開き、ぼんやりと虚ろな瞳を揺らせていた萌奈美の焦点が、ゆっくりと合って行く。
「…萌奈美…起きた?」
「…」
「迎えに来たよ」
「…ぇ」
まだ事情が飲み込めていない様な顔をした萌奈美が起き上がるのを待ち、俺は手を出して言った。
「手を出して、萌奈美」
ゆっくりと差し出された手を、指を絡めて握り締め、再び彼女に言った。
「抱き締めていい?」
少し眉を寄せ躊躇する萌奈美に、三度言った。
「抱き締めさせて…じゃないと、君を押し倒しそうなんだ」
握り締めた掌に力を込めると、彼女は瞳を揺らせて小さく頷いた…それを確認すると、思い切りその躰を引寄せて抱き締めた。
「…萌奈美」
情けない事に、俺は震えていたのだ…彼女を失ってしまうかもしれない焦燥感に苛まれ、触れ合う事の出来ない寂しさで、躰中の血が凍り付きそうになっていた。
唇を避ける様に、顔中にキスを降らせると、彼女は目を閉じたまま俺の唇を追う様な仕草を見せる。
「…mon amie」
柔らかな唇を食む様に…上唇から下唇へ…そして食みながら少し吸い上げ、音を立てて啄んでやる。
これ以上は、暴走して歯止めが効きそうにない…俺は彼女を抱いたまま布団の上に座り直し、両足で彼女を囲い込む様にして抱き締めた。
「……寂しかった」
腕の中の小さな躰に、少し拗ねた様に話し掛けた。
「…萌奈美が、俺から離れ様とするから…」
「…」
「何故言ってくれなかったの!?」
「…」
「…ごめん…俺が悪い…俺がちゃんと言ってなかったから、サキ達が誤解してたんだ。でも、もう大丈夫だから…だから、仕事探して部屋を探して…屋敷を出る事なんて考えないで!」
腕の中から俺を見上げる萌奈美の額に、キスをしながら言った。
「柴さんから、連絡があったんだ」
彼女は、顔を擦り寄せる様に俺の胸に顔を埋める。
「俺は…独占欲が強いから…萌奈美が俺から離れて暮らすなんて…もう、考えられないんだ」
「…」
「萌奈美の好きな様に生活していいんだよ…誰にも、何も言わせないし…もう皆、萌奈美の立場を理解しているから…」
「…」
「サキはね…子供の頃、使用人の中で俺の唯一の理解者だったんだ。その為に、長い間不遇な扱いを受けてきた。今回女中頭に抜擢されて、その重責に…空回りしたんだと思う」
「…」
「大丈夫だよ…元々思いやりのある女性だから…」
コクンと胸の中で頷いた彼女に、確認する。
「…もう出て行こうなんて、考えないね?」
俺は、瞳をさ迷わせる彼女の顔を覗き込んだ。
「又…以前の様に…こうやって抱き締めて…キスしてもいい?」
少し躰を強張らせ、胸に手を付く彼女の背中を、そっと撫でてやる。
「皇輝達の事は、気にするなと言っただろう?」
フルフルと首を振る萌奈美に、頬をスルリと撫でながら顎を引き上げた。
「のぞみの事も、登紀子の事も…皇輝が死んだのも……萌奈美に責任がある訳じゃない…」
「…」
「…俺の事を…庇ってくれたんだろう?」
「…」
「叔父の事で…叔父が俺の父親だと…俺が…叔父を殺したと……皇輝に言われたんだろう?」
萌奈美の瞳が恐怖の色に染まり…全身をワナワナと震わせて俺の腕の中から逃れようともがいた。
「落ち着いて、萌奈美!大丈夫だから!!」
首を激しく振り暴れる彼女を、ガッチリと俺の躰に縫い留める様に抱き締める。
「落ち着け…のぞみに聞いた……大丈夫、大丈夫だから…」
そう言いながら、震える彼女の額にキスをして、徐々に降りて唇を捉えると深く口付けを交わす。
「…皇輝の言葉を…信じないと……言ってくれたんだろう?俺の事を…信じてるって…」
ポロポロと涙を流しながら頷く萌奈美に、何度も口付けを落とした。
「…全て話す…俺が最高機密だと…萌奈美に言えなかった事、全て話すよ」




