第29話
「さっきは本当にビックリしたぞ!?しずかさん裏切って口説くのが、まさか男とはな…」
ゲラゲラと笑う松浪組長の盃に、俺は苦笑しながら酌をした。
「しかし…初めて見たが、噂通りのいい腕だな、聖?」
「恐れ入ります」
「いゃ、親父…あんなもんじゃありませんよ。コイツは…翔ぶんです」
「翔ぶって…見た事があるのか?」
「あの時は、本当にそう思った…月光を浴びた銀狐が、薄笑いを浮かべて翔びながら売人を倒し、売人の持っていたヤクを撒き散らす…野郎が闘う姿を見て、美しいと初めて思いました。その頃から、俺はコイツが欲しくて堪らなくなった…」
「偉く惚れ込まれたな、聖?」
「…初耳です。いつご覧になったのですか?」
「ん?10年以上昔になるか…お前の親父に聞いたら、自慢の息子だと言われた。ご所望なら差し上げるが、この生業を嫌っているので、ご自分で落として下さいとその時に言われてな」
驚いた…そんな昔から…。
「で、口説き落とされたってか、聖!?やっぱり、お前…組長の愛人だな!」
そう言って笑う松浪組長に、堂本組長と森田さん迄もが笑った。
ピリピリという着信音に、森田さんが廊下に出て行く。
何か進展があったのだろうか…。
桐生会長の電話に出た松島から、皇輝と萌奈美は桐生会の2次団体の所有する、大黒埠頭近くのマンションに居るとの情報を得た。
直ぐに警察に連絡し、堂本の人間も数人現場に向かったのだが…。
「組長、マンションは…蛻の殻だったそうです」
「ガセだってか?」
「いぇ…サツの鑑識が入り調べた所、その場に居たのは間違いない様です」
「チッ…移動したってか…」
堂本組長が悪態を吐いた時、襖の向こうから声が掛かった。
「失礼致します…聖さんに、会社からお電話なんですが…」
「何だ、お前…電源切りっぱなしだったのか?」
「申し訳ありません」
そう断って電話に出ると、いきなり棗に怒鳴られた。
「何してる、セイヤ!?」
「済まない…何かあったか?」
「何かあったかじゃねぇぞ!!お嬢ちゃんの発信機が、動き出した!」
「何だとっ!?」
「警備から連絡が入って俺が駆け付けた時には、警備の奴等とサツと、それと弁護士の代理人だって言う…とんでもない人物が三つ巴で争ってて…」
「何があったんだ!?」
「何せ、不味いんだって…その人がサツを殴り付けて、今そっちに向かった!!不味いぞ、セイヤ…抗争になりかねねぇ!!」
「はぁ!?お前、何言って…」
俺が棗と電話口で言い争っていると、玄関の方からワァワァという騒ぎが聞こえ、一気に場が緊張した。
「組長っ!!大変です!!」
「何だ、騒がしい!」
「出入りですっ!!」
「何だとっ!?」
「違うっつってんだろうがっ!!鬱陶しいっ!!」
いきなり現れた大柄な男性に、座敷の面々が一様に目を剥いた。
「いょう…久し振りだな、堂本?」
「柴っ!?テメェ、何しに来やがった!?」
ニヤニヤと笑いながら対峙する2人に、森田さんが廊下で物騒な物をちらつかせる奴等を制して下がらせた。
「仕事だ、仕事…」
「何でも屋のか?」
「調査会社と言ってくれ…今日は、弁護士の連城さんの代理で来たんだよ」
「仁のか!?佐久間の弟が、仁とどういう関係がある!?」
驚く松浪組長に、森田さんが説明をする。
「連城さんは、榊の事件の折りに、柴さんの奥方を助けられたのです。その後、仕事をご一緒される関係になったと伺っております」
そうかと納得する松浪組長に一礼すると、彼は俺に向き直りニヤリと笑った。
「久し振りだな、ナイト?」
「…ご無沙汰しております『ファング』」
「何だ?お前達も顔見知りか?」
「こいつがまだ中坊の頃からな…」
「ウチの警備会社にいらしたのは『ファング』でしたか」
「棗が血相変えてたぞ…それはそうと、仕事の話だ。お前の探してる娘の発信機から、信号が出だした。イヤリング型で、一対になってる代物らしいな?」
「はい。片方で3時間しかバッテリーが持たないそうです。昨日は3台発信機が起動してました。内2台はサツが回収してます。今又起動始めたという事は、萌奈美は無事だという事ですね!?」
「…起動を始めて、3時間…ここに来る直前に信号が途切れた。大黒埠頭から高速に乗って…新宿に戻ったらしいが…警察が信用しなくてな」
「どういう事です!?」
「大黒埠頭近くのマンションにガサ入れに行って、結局空振りで帰って来たしな…管轄外で、神奈川県警とかなり揉めたらしい。信号を追った先が新宿だってんで、警察じゃ頭からフェイクだと思い込んで動かねぇんだ」
「…」
「刑事課も組対も、課長と主任がキャリアのガチガチでな…失敗怖がって、動きやがらねぇ。お前の会社で、人質の安全優先で動きやがれって現場の同期をぶん殴って、先に見付けてやるって啖呵切って出て来たんだ」
「オメェ…そんなんだからサツを辞める羽目になったんだろうが!?」
「煩せぇ!テメェに言われたくねぇんだよっ!!」
堂本組長に向かって吼える柴さんが、俺に向き直って言った。
「信号が途切れたのは、ここから目と鼻の先だ…次に移動されたら、本当に行方がわからなくなっちまう。行くぞ、ナイト!!」
「はいっ!!」
「待て、聖!!お前は、動くなと言った筈だ!」
「しかしっ!?」
「動くな…お前は、ここで待機しろ!」
「…ッ…」
「何言ってんだ、堂本ぉ!?お前、もし…しずかが同じ立場だったら、何を置いても駆け付けるだろうがぁっ!?」
「そうだっ!!そして、拉致した奴等を切り刻む…絶対に許しちゃ置けねぇ!!」
「なら…」
「馬鹿か、テメェはっ!?だから聖を行かせられねぇんだろうがっ!!今、聖に皇輝を会わせて見ろ…コイツは、確実に皇輝を殺っちまう!!」
「…」
「聖は俺と似てる…だからわかる…。もしも俺が同じ立場だったら、森田が俺に殺されるのを覚悟で止めるだろうよ。だがな…聖の周りには若い奴等ばかりで、まだそうやって止める奴が育ってねぇ!!まだ時間が足りねぇんだよ!!コイツは、俺が惚れ込んで口説き落とした、ウチの隠し玉だ!サツなんかに持って行かれて堪るか!?だから俺が守る!!文句あるかっ!?」
胸が痛い程の想いが…熱い想いが…溢れる…。
逃げ回っていた俺に…ヤクザの世界を嫌って、組を解散させようとしていた俺に…こんなにも熱い想いを寄せて育ててくれようとしている人がいる…。
俺は…初めて、この人の想いに応えたいと思った。
…そう、俺なりの方法で…。
堂本組長の前に進み出ると、俺は三つ指を付いて頭を下げた。
「有難うございます…そんなにも想って頂いていたとは…正直思いませんでした」
「…」
「しかし…やはり迎えに行ってやりたいと思います」
「…聖」
「私しか頼る者のいない娘です。私は、彼女の帰る場所すら奪ってしまった…何があっても、守ってやらなければなりません」
「…」
「コレは、堂本組長にお預け致します」
俺はポケットからバタフライナイフを取り出すと、堂本組長の前に置いた。
「申し訳ありません」
「…親が子供を守るのは道理だろう?俺達の家業では尚更にな…」
「有難うございます」
「同じ様に、お前も子供達を守らなくちゃならねぇ…今、お前がサツなんかに捕まれば、聖組は解散するしかねぇぞ…わかってるな?」
「承知致しております」
「ならいい…子狐を救い出して、俺の所に連れて来い」
「有難うございます」
俺は堂本組長に深々と頭を下げ、柴さんと共に屋敷を出た。
…気持ち悪い…胃がひっくり返る様な感覚に、私は胃液を吐いた。
耳元に聞こえるゴウゴウという音も、光が撹拌される様にチカチカと瞬くのも、世界が歪んでしまった様にしか思えないこの視界も…全て麻薬によって引き起こされた現象だ!
ブンブンと振り回される様な感覚も、この頭痛も吐き気も、全身の毛穴が全て広がった様なゾワゾワとした感覚も、麻薬によって過敏になった躰が反応しているだけだ!!
正気を保つ為に噛み締めている唇と口内は血塗れになり、滝の様に流れる汗に、水分を欲して喉がヒリ付く…。
「詰まんねえ女だな…叫び声ひとつ上げやがらねぇ」
「…そりゃどうも」
「然もダウナーにしかならねぇって、どうよ?お前、不感症か?」
「…大きなお世話」
「それとも、まだ足りねぇのか?コレは『HDS』って言ってな…三上組が扱おうとしてた『ヘブンズ・ドア』を改良して経口タイプにした合成麻薬で、今じゃハマで人気のセックス・ドラッグだ」
そう言って、皇輝は私の口を抉じ開け、5錠目の麻薬を私に飲ませた。
口の中の唾液でサッと溶ける麻薬に、又新たな吐き気を催す。
「…最低!」
「最高の間違いだろ?のぞみは、これがないと生きて行けない程嵌まってるぜ?多分、これがないと達けない程にな」
そう言って、馬鹿にした様に笑う。
「…やっぱり…最低よ、貴方…」
「俺よか、兄貴の方が余程最低だろうが?」
「何言ってんの?貴方みたいな人間と、比べんじゃないわよっ!」
「興奮すると、回りが早いぜ?お前、熱もあるみてぇだしな…」
スルリと首筋を撫でられ、ゾワリとした感触に吐き気を催して、空えずく。
「…何だ、お前…知らねぇのか?」
「…何が?」
フフンと鼻を鳴らしすと、皇輝は勝ち誇った様に笑う。
「俺なんか可愛いもんだ…ヤクを扱う位が、関の山だからな」
「…私の事…殺そうとしてる癖に!」
「俺は依頼しただけだ…木田は失敗したがな」
「…」
「今度は、お前自身に引導渡して貰う…詰まりは、自殺して貰うって事だ」
「卑怯な奴!」
「だがな…実際に手に懸けるよりはましだろう?兄貴みたいにな…」
「!?」
何言ってるの、この人…頭、可笑しいんじゃないの!?
「兄貴はな…お前の恋人は、卑怯な人殺しだ」
「…嘘よ」
「本当の事だ…親父も真木も、棗だって知ってる。然も殺したのは、テメェが一番信頼していた叔父だって言うのが笑えるじゃねぇか!?」
「…叔父って…大学教授してた…寺嶋って人?」
「なんだ、知ってるじゃねぇか!?兄貴は跡目を継ぐ時…その叔父貴を殺した……本当は、父親かも知れねぇのにな!?」
どうだと言わんばかりに笑う皇輝を見て…私は…込み上げる笑いを押さえられなかった。
「何笑ってんだっ、このアマッ!?」
「だって…馬鹿馬鹿しい…」
「何だとっ!?」
「聖さんは貴方みたいな卑怯者じゃないよ!自分が罪を犯してたら、キチンと自首するだろうし、どんなに秘密にしておかなければならない事でも、自分が犯した罪なら私に話す筈!況してや、寺嶋さんがお父さんって!?あり得ない!!」
「何故だっ!?」
「不義の子って事でしょ?なら聖組なんて絶対に継がないし、お母さんの事だって叔父さんの事だって恨む筈だもん。聖さんは、寺嶋組の人達もちゃんと引き受けて、社員として面倒見てるし…上納金って言うの?それも払ってる筈だよ?それに自殺したお母さんの事も…昔から愛してるしねっ!!」
「…」
「貴方みたいな人の言う事、私が信じる筈ないのよ!!お生憎様っ!!」
「クソッ!!」
そう言うと皇輝はナイフを投げ捨てて私にのし掛かり、着ている物を引き裂いた。
「何すんのっ!?」
「せめてもの嫌がらせだ…観念しなっ!!」
躰中を弄る手に、吹き掛かる息に、悪寒が走る。
「容姿も性格も悪いわ、不感症だわ…いい所1つもないけどな…それでも兄貴の女なんだ!お前にも、兄貴にも、最高の嫌がらせだろ!」
「止めてよっ!気持ち悪いっ!!近松さんだって居るのよっ!?」
「のぞみは平気さ…俺のする事に、文句なんて言わねぇ…残念だったな…最後に抱かれるのが兄貴じゃなくて…」
素肌を辿る掌の感触に、嫌な汗が吹き出る。
気持ち悪い…嫌だ…嫌……感覚を切れ…全ての感覚を切ってしまえ!!
視覚も、聴覚も、触覚も、嗅覚も、味覚も…全てを切って…何も感じなくすればいい…。
沸き上がろうとする子宮の疼きも、胸の痛みも、感情も、心臓さへも…全て…。
沈み行く意識の中、のし掛かる皇輝の体重と振動、ヌルリとした感触に血の匂い。
そして、ポタリと落とされる熱い滴と、私の涙が溶け合った。
「…聖…さん…」
最後の声は、言葉になっただろうか?
出来るならもう一度…その腕に抱き締めて貰いたかった…。
耳元の皇輝の悪態と絹を割く様な悲鳴を聞きながら、私は…闇に飲み込まれた。




