第23話
3日間程、聖さんは私に付きっきりで看病してくれた。
食事から洗濯、風呂の用意迄甲斐甲斐しく世話を焼き、それ以外の時間は私を腕に抱いて一緒にベッドに横になった。
「仕事は?大丈夫なの?」
「平気だよ…こういう時は、事務所と同じ場所に住んでいて良かったと思う」
「本当は、嫌だったの?」
「ん〜…もっとプライベートに侵食するかと思ってたんだけど…そうでもなかった様だね。萌奈美は、ここに住むのは嫌?」
「そんな事ないよ…どこでもいい」
「いずれは、自分のシマに帰るよ…事務所も自宅も…でも、しばらくはここに住む方が安全だからね」
「…私の為?」
「そればかりじゃない…俺はまだまだ新参者で、色々ね…俺の事を煩いと思う輩が多いんだ」
「命狙われたりしてるって…」
「聞いたの?…余計な事を…」
「大丈夫なの!?」
「平気だよ…殆どが、脅しだからね。極端なのは、本家位だから」
「…」
「ここに居る限り、本家も下手に動いては来ない…のぞみの件は、イレギュラーだったけど…」
「…」
その名を聞いてヒクリと肩を震わせた私を、聖さんは優しく背中に腕を回して抱き寄せてくれた。
「のぞみは、皇輝の母親の妹の娘で…俺とは、戸籍上の従妹になる。近松という不動産会社の一人娘でね、箱入り娘なんだ。幼い頃から本家にも出入りしてたから、俺にとっても妹の様な存在だった」
「…」
「大人しい娘でね、小さな頃から好意を持たれているのは知っていたが…その内に、皇輝の手が付いた。最初は嫌々関係を持たされている様だったが、あの娘は自分で考えて行動するという事をしないんだ…いつも強いモノに流されている」
「…」
「本家が近松に援助しているのもあるんだろうが…本家の言いなりの人形なんだよ」
「…可哀想って…思った」
「だが、あの娘も25になる大人の女性だ。抗う事を全くしない彼女にも原因がある…一番悪いのは、そんな彼女に付け込む本家の連中だが…」
「…助けて上げられないの?」
「…無理だよ…彼女が本当に愛しているのは、腹の子の父親である皇輝だ。…それに俺が愛してるのは、萌奈美だから」
「…」
「萌奈美が、責任感じる事はないよ」
「そんな事、思ってない」
「そう?案外、優しいと思って」
「案外って何!?」
「褒めてるんだよ」
そう言って、私の首筋にキスをして来る…首筋を辿る唇が耳の後ろを掠め、耳介をカプリと甘噛みされた。
ゾクッとする甘い痺れが背筋を走り、フッと息を漏らすと透かさず聖さんが腰を強く抱き寄せる。
…求められているのだとわかっている…私だって、内心抱いて欲しいと思っている。
だけど…躰がどうしてもそれを拒む…躰が心を裏切って暴走する…。
温かかった血潮が急激に温度を下げ、躰中を悪寒が走りガクガクと震え出すのだ。
「…萌奈美」
「ちっ…ちがっ…違う…違うのっ!」
「わかってるよ…心配しないで…」
居た堪れなくて寝返りを打った私を、背後から優しく抱いてくれる腕にもビクリ反応してしまい、私は涙を隠す様に起き上がった。
「萌奈美?」
「…シャワーして来る」
そう言って、そそくさとベッドを降りてバスルームに逃げ込んだ。
熱いシャワーを全開にして、躰中が赤くなる迄躰をゴシゴシと洗う。
シャワーより熱い涙が止めどなく流れ続ける…あの手は…あの唇は、愛しくて堪らない人の物だ!!
叔父の物である筈もないのに…。
叔母の目を盗む様にして私に触れ様とする叔父の手を逃れる為に、子供の慣れない手で部屋に内鍵を取り付けた。
風呂に入るのも、叔母が帰るのを待って入った。
2人きりにならない様に、必死に逃げ回った。
「萌奈美ちゃん、寂しいんだろ?叔父さんが慰めて上げよう」
「覚えてるだろう?萌奈美ちゃんは感じやすくて…叔父さんが好きなんだろう?」
「ほら…出ておいで…気持ちいい事して上げるよ?」
そんな事知らない!!
感じてなんかない!!
気持ち良くなんてない!!
叔父のまとわり付く様な視線と、叔母の形相と怒りが蘇る…淫乱と罵り、あの女と一緒だと祖母の悪口を吐き散らし、殺されるかと思う程打ち据えられた。
口を塞いでも、あの恐怖と嫌悪感から逃れられず、私は腹の底から声を絞り出した。
「わあぁぁぁーーーっっ!!わあぁぁーーーっ!!わあああぁぁぁーーーーーっっっ!!」
出し切った所で、目の前が真っ暗になり……私は深淵に落ちた。
涙を溜めた萌奈美がバスルームに駆け込むのを見て、しまったと後悔した…だがここで俺が謝罪の言葉を口にすれば、彼女は余計に傷付くだろう。
それよりも、やっと戻って来た萌奈美が俺を避ける事が心配だった。
突然、物凄い叫び声がバスルームから発せられ、俺は慌てて寝室を飛び出した。
「萌奈美ッ!?どうした!?萌奈美ッ!?」
バスルームのドアを叩いても、何も反応がない。
「萌奈美、開けるよ!?」
一言そう断ってドアを開けると、勢い良く流れるシャワーに打たれ萌奈美は床に倒れていた。
急いでシャワーを止めて彼女の息を確かめ安心すると、俺は萌奈美の名前を呼び続けた。
「萌奈美ッ!?萌奈美ッ!!」
貧血だろうか…俺は水を出して彼女の手を冷やしてやり、側にあったタオルを濡らして顔を拭き額を冷やしてやった。
少し眉を潜め呻く萌奈美に安堵して、バスタオルで躰を拭ってやる…所々赤く傷になった皮膚が痛々しい、まだ大人に成り切れていない天使の様な裸体をタオルで巻くと、俺は萌奈美を抱き上げベッドに運び、パジャマに着替えさせた。
「…mon amie」
キスの雨を降らせながら髪を拭いてやると、目尻からポロリと涙が流れる。
「mon amie」
「…ダディ…怖いよ…」
萌奈美の口から、英語が紡がれる。
「…どうしたの?」
釣られて、同じ様に英語で尋ねてやると、彼女は父親に尋ねられたと思ったのか、顔を歪めて憤かりながら答える。
「…叔父さんが…」
「叔父さん?」
彼女を虐待していたのは、叔母だとばかり思っていたが…。
「……触って…来るの…」
「えっ!?」
…性的虐待!?
そういう事なのか!?
「…叔母さんが…打つの……萌奈美悪い子だってぇ…」
叔父の所業は叔母の知る所となり、叔母は夫ではなく萌奈美を責めたと言う事なのか…。
何て事だ…確か彼女が叔母夫婦に引き取られたのは、小学3年生の時と言っていた。
この幼い物言いは…引き取られて間もない頃という事か?
「…mon amie」
「…ダディ……マム…早く来て…早く……お迎えに…」
ポロポロと涙を溢しながら腕を伸ばす萌奈美を、俺は力一杯抱き締めた。
「もう大丈夫だ…もう怖くない…」
「…騎士様が…強くなりなさいって…」
ドキリとした…一瞬、自分が呼ばれたと思ったからだ。
「…強くなるから…私の騎士様…助けて…」
「あぁ…勿論助ける…何があっても守るから」
萌奈美はホゥと息を漏らすと、安心した様に俺の胸に潜り込んで呟いた。
「…私の…騎士様…」
彼女の髪を撫でながら抱き締め、その呟きを聞いて…何だか擽ったい様な不思議な感覚を覚えた…これは…デジャヴュ?
そんな風に呼ばれた事等ないのだが…何だ、この記憶は…?
それにしても、子供心に死を望む程辛い思いをして来たのかと、胸が掻きむしられる様な思いがした。
目の前に萌奈美の叔母夫婦が居ない事に安堵した…居れば、自ら制裁を加えてしまいそうだ…。
普段眠りの浅い萌奈美が、それから丸1日は昏々と眠り続けた。
「…お休みの所、申し訳ありません……堂本組長から呼び出しが掛かりました」
翌日の昼過ぎ、事務所の棗から携帯に電話が入った。
昼前に起きた萌奈美は、どこかぼんやりして俺の傍から離れ様としない。
「太一をこっちに寄越してくれ」
「それが…夕べから連絡が取れません」
「どうしたんだ?」
「夕べ生花の配達に行ったっきり、戻って来ないそうで…」
「…棗」
イライラとした口調の棗は、秘書課長の顔をかなぐり捨てた。
「…何の連絡も入れねぇなんて、アイツらしくねぇ。俺の携帯にも出ねぇとなると…何かあったと考えて、まず間違いねぇんだ…」
「…」
「俺は今から新宿の事務所に行って、太一の昨日の配達先なんかを確認してぇんだが、いいか?」
「構わない。こっちの采配は、俺が指示を出してから百人町に向かう。お前は、太一の捜索に専念しろ」
「わかった」
慌ただしく電話を切ると、ソファーの隣りで俺に寄り掛かる様に座る萌奈美に声を掛けた。
「萌奈美…ちょっと出掛けて来る」
ポヤンとした雰囲気で見上げた萌奈美は、夢見心地で頷いた。
「1人になるけど…平気?」
「…太一君は?」
「ちょっとね…行方がわからないらしいんだ」
「…」
「躰が辛い様なら、寝てて構わないよ」
「…平気」
そう言ってフラリとキッチンに立つと、彼女は珈琲豆を挽き出した。
支度を整えてリビングに戻ると、部屋の中に珈琲の香りが溢れている。
「…どうぞ」
出勤前の珈琲タイム…いつもより幾分まろやかなブレンドは、萌奈美の今の心境なんだろうか?
玄関で靴を履く俺を見送る萌奈美が、背後から声を掛けて来た。
「…聖さん」
「ん?」
「……キスして」
スーツの上着の裾を少し引っ張り、いつもより目尻の下がった甘い表情の萌奈美が、甘える様な仕草で見上げる。
本当は行って欲しくない…そう言いたいのだろうが、言葉に出す事をせずに甘える彼女が愛おしい。
顎を引き上げ、包み込む様に甘い口付けを与えると、嬉しそうに微笑みを浮かべる。
「…大丈夫?」
「うん…平気」
「いい子で待ってて…」
「うん」
もう一度音を立ててキスをして、俺は自宅を出た。
インフルエンザは躰から抜け、肺炎もきっと治ったと思う…後は、少し残った咳が止まれば完治だろう。
なのに…今日は起きた時から何となくフワンフワンしている。
昨日の昼にシャワーをした…その後の記憶が、プッツリと途切れている。
「凄く良く寝てたんだよ…躰が、睡眠を欲してたんじゃない?」
起きた時、聖さんは明るい笑顔でそう言った。
気怠いのは沢山泣いたからだろう…起きた時、顔が浮腫んでいた。
聖さんが沢山のキスをしてくれる…今日のキスは特別に甘い…何となくあやす様に甘やかせる、そんなキスをしてくれる。
…私、何かしたのかな?
彼を喜ばせる様な事はしていない…強いて言うなら、又抱かせて上げられなかった苦い記憶しかない…。
「まぁ…いっか…思い出せない物は、しょうがないよね?」
聖さんが外出した後、久々に家事をして一息付いた所で携帯を取り出した。
チャラリと音を立てるストラップは、この間聖さんが買って来てくれたお土産だ。
キラキラと輝く沢山の雪の結晶は、銀色の台座にラインストーンをあしらった物で、クリスタルのカットビーズと一緒に留めてある。
お土産なんて初めて…彼はこのストラップを、どんな顔をして選んで買ったんだろう?
見ていると、自然に笑顔になってしまう。
携帯のフリップを開けると、数件のメールが来ていた。
その中に…太一君からのメールが入っていたのだ。
…さっき、行方がわからないと言っていた様な気がするが…メールを開くと、いつもの暗号ゲームの様だった。
このビルに移って来た頃、脳を活性化させる為と称して連想ゲームを教え、互いに問題を作ってメールで送り回答しあう…そんな遊びを太一君と続けている。
暗号ゲームと名付けた太一君は、最初こそ滅茶苦茶な文章で私を翻弄したが、最近は大分と日本語らしい文章を送ってくれる様になった。
「辞書なんて開いたの、小学校以来ッスよ!!」
携帯に登録した電子辞書を見せて、笑いながら色々調べるのが楽しいと言ってくれた。
…だが、先日新しい問題を作成して送ってくれたのは、確か太一君だった筈だ。
私は、まだ回答を送っていないのに…。
順番を間違えたのか…今迄こんな事はなかったが…。
『今度のデートは 南雲中将が晴れって言った山 に行きませんか?俺と2人が嫌なら クラス の奴等と一緒に行きましょう。それとも 千代田の堀の中 の方がいいですか?三角が 住む のはもうひとつと言っていた青山の方がいいですか?あそこなら夜は キラキラ していて綺麗です。桜井さんは 白無垢 がいいですか?今度 お兄さん に トトトト と伝えて下さい』
解読した私は青ざめた。




