第17話
先日、大学の友人が心配して訪ねて来た…まさか、聖さんが盗み聞きしてるなんて思わなくて、色々と言ってしまったのだけれど…。
思い掛けず懐かしい人の話題が出て、心が暖まる思いがした。
聖さんは、頻りに誰なのかと詮索していたが…詮索された所で、こちらが困ってしまう。
何せ、彼の素性も…顔さへも殆ど覚えていないのだから…。
覚えているのは、大人の素敵な男性だった事、英語が堪能だった事、あの雪のクリスマスの寒さと、彼の言葉…そして温もりだけ。
その交わした言葉と約束を頼りに、幼い私は生きて来た…辛い事、悲しい事…両親が亡くなり英語しか話せなかった私が、日本で生活して来れたのは、一重にその人のお陰だった。
そうだ…約束のクリスマスは今年……愛する人を見付け、幸せになった、成長した私を見てもらえるだろうか…。
洗面所の切れた電球を太一君が交換してくれるのを、脚立を支えて見ていた時、玄関のチャイムが鳴った。
「誰かな?」
「あ…事務所で受け取った荷物を、誰か持って来たんスよ、きっと…」
「じゃ、悪いけど…ここお願いね」
「ウッス」
洗面所に太一君を残し、私は玄関に向かった。
「お待たせしましたぁ」
そう言って勢い良くドアを開けた…いつもなら、厳つい男の人が荷物を持って立っている筈だから。
何故この時、ドアのスコープで確認しなかったのか…命を狙われているというのに、安全に守られているという傲りがそこにはあったからだ。
「……貴女…誰?」
見下ろされた人物に、私は息を呑んだ。
透き通る様な白い肌、腰まである長い黒髪、黒目勝ちな潤んだ瞳、紅く濡れた唇…枯草色の辻が花を着こなした、匂い立つ様な…それでいてどこか危う気な美女が立っていた。
「…あの……」
「貴女、誰?」
再度、同じ質問がされる…いつもなら、ここで貴女こそ誰だと切り返していただろうが…私は最初から彼女の雰囲気に呑まれていた。
「…お兄様は?」
答えない私に、その人は質問を重ねる。
「…お兄様って……聖さんの事?」
「…」
埒が明かないと判断したのか、その女性は私を押し退けて部屋の中に入って来た。
「えっ!?あ…ちょっと!」
通り過ぎるその人からフワリと薫る、甘いプワゾンの香り。
甘く官能的な…大人の香り…。
「…お兄様は…いらっしゃらないの?」
部屋の中に入り込んだ女性は、リビングの中央に立つと私を振り向いて尋ねた。
「…聖さんなら、今日は新宿の事務所に行かれている筈です。それより、どちら様ですか?」
「あら…その質問を先にお尋ねしたのは、私よ?」
「…桜井萌奈美と言います」
「近松のぞみよ」
洗面所から出て来た太一君が、青い顔をして私に首を振った。
「…聖さんに、何のご用ですか?」
「下見に来たの」
「下見?」
「お兄様、新しいお家に引越されても、なかなか呼んで下さらないから…こちらから、わざわざ出向いたのよ」
そう言って、リビングから続く部屋のドアを開けようとする。
「何するんです!?」
「何って…下見よ?部屋を見ないと、荷物を運び込めないでしょ?」
「は?」
ドキドキと動悸がする…これ以上聞きたくないと、頭の中で警鐘が鳴る。
「…どういう事です?」
「だから…新居を下見に来たの」
「貴女の…という事ですか?」
「私達のよ…お兄様と私の新居」
振り返り、美しい人がほんの少しだけ口角を上げた。
「…太一君」
「へぇ!?」
「大至急、聖さんに連絡取って」
「わかりました!!」
太一君は、つんのめりそうになりながら、走って玄関を出て行った。
「聖さんの婚約者…という事で、間違いないんでしょうか?」
「えぇ」
「伺っておりません」
「そぅ?」
ソファーに悠然と座った彼女は、膝にレースのハンカチを広げ、優雅に珈琲を飲んでいる。
「貴女は…私の存在をご存知だったんですね?」
「何故そう思うの?」
「余り、驚かれませんでしたから…」
「…名前は知らないわ。でも、部屋に入り込んでいる女性が居るのは、伯母様に伺っていたから」
「婚約者に裏切られたとは、思わないのですか!?」
「別に…女性の1人や2人、男の甲斐性でしょう?実際お兄様の父親である伯父様も、数人の愛人をお持ちだったわ」
「聖さんは…そんな人間じゃないわ!」
「どうかしら…男なんて、皆同じ様なものよ」
「虚しくないの?そんな結婚」
「あら…私はお兄様を愛してるわ、昔からずっと…。それより、貴女こそ何故ここに居るの?」
「え?」
「お兄様ったら、お可哀想に…貴女の事、夏からずっと追い出せずにいたのね。まさか、新居に迄付いて来るとは、思ってもいなかったんでしょうけど…」
「…何言ってるの?」
「何が目的?お金が欲しいの?それで居座ってるの?」
「ちょっと待って…私は…」
「お金なら私が払うわ。幾ら欲しいの?」
そう言って、鞄の中から小切手帳を出し、ペンと共に私に差し出した。
「好きなだけ、書き込んで頂戴」
「…馬鹿にしないで」
「馬鹿になんてしてないわ。ただ私は、貴女に早く出て行って欲しいだけ」
そう言うと、スッと立ち上がり、私の荷物を置いてある部屋のドアを開けた。
「ここの荷物、今日中に片付けて下さる?」
「…」
「消毒して、ベビーベッドやベビー箪笥も置いて…子育てに向いてない部屋だけど、新しく家を新築する迄は仕方ないわね」
「……何…」
「急いでるのよ…花嫁衣装を着るのに、大きなお腹じゃみっともないでしょ?」
そう言うと、愛おし気に下腹を擦る。
「……嘘…」
「再来月には帯を巻かないといけないの…だからナイトお兄様との結婚式の前に、同居する事にしたのよ。勿論、伯母様も賛成して下さったわ。明日には、荷物を運び込む予定なの」
そう言って彼女は、艶やかに微笑んだ。
「自宅に、近松のぞみが乗り込んで来た」
太一からそう連絡があり、俺は棗と共に急いで自宅に戻った。
「萌奈美ッ!?」
駆け込んだ自宅のリビングには、近松のぞみが悠然と座っていた。
「ご機嫌よう、お兄様」
「…こんな所で、何をしている?」
「新居の下見よ」
平然と答えたのぞみは、能面の様な笑顔を貼り付かせた。
「…萌奈美は?」
「あちらで、荷造りしていらっしゃるわ」
のぞみを睨み付け、俺は萌奈美の部屋をノックしたが、全く反応を示さない。
棗と顔を見合せ強引に部屋に入ると、言葉通り中では萌奈美が荷造りの真っ最中だった。
「……萌奈美」
「…」
「…萌奈美?」
「…」
「返事をしてくれ!」
「おぃ…まさか、又聞こえなくなったんじゃ…」
「えっ!?」
「……聞こえてるわ」
「萌奈美!?良かった…」
「……良かった?そうね…自分で言わなくて済んだんだもんね…大丈夫ょ?お金なんて要求しない。される様な事してないし、寧ろ私がお金返さないといけないのよね…」
「萌奈美、何言ってるの?」
「…荷物さ…住所決まったら取りに来るから…会議室にでも積んどいてよ。本は、処分してくれて構わないから…大学も、やっぱり辞める事になるだろうけど、きっちり借りたお金も返すから」
「萌奈美!?」
背後から抱き締め様とすると、気配を察して思い切り拒まれる。
「嫌っ!!」
「…萌奈美」
「抱き締める相手が…違うわ」
言葉を交わす間、萌奈美は一切俺の顔を見ようとしなかった。
棗に頷き萌奈美を託すと、俺はリビングに取って返した。
「萌奈美に何を言った!?」
「新居の下見に来たと伝えたわ。伯母様が、変な娘が入り込んでいるけれど気にする必要はないと仰ったの。でもお兄様、あんな娘が宜しいの?余り趣味が宜しくないけれど、囲うなら別の場所にして頂きたいわ」
「…煩い」
「あら、お兄様がお聞きになったのよ?私はあの娘に、穏便かつ早急に出て行って頂きたいと話しただけ。聞き入れて頂けた様で嬉しいわ…これでお兄様と私の結婚には、何の障害もないわね?」
「俺は、お前と結婚しない!」
「するのよ」
「お前が結婚したい相手は、俺じゃない筈だ!」
「…私は、ずっとお兄様の事を愛してたわ」
「嘘だ!」
のぞみはツッと立ち上がり、ゆっくりと俺に近付き抱き付いた。
「嘘じゃない」
「離れろ!」
「お兄様のお嫁さんになる事が、私の夢だった」
「何を言っている…お前は皇輝と…」
「愛してるわ」
「離れろ、のぞみ!!」
「…嫌よ」
「目を覚ませ、のぞみ!!お前が結婚したい相手は、皇輝だろう!?」
「お兄様が好き…」
「最初はそうだったかもしれない…だが、ずっと皇輝と関係を続けていた。お前も周囲の人間も、いずれは皇輝と結婚すると思ったからこそ、続けていた関係だった筈だ!!今更俺を巻き込むな!!」
「……皇輝さんと伯母様が…私に言ったの」
「…お前は、皇輝と結婚したいんだろう!?」
「…駄目だと言われた…お兄様と結婚しろと言われたわ」
「又流されるのか、のぞみ?」
「違うわ…私は、お兄様を助けに来たの」
「何を言っている?」
「2年前、お兄様が伯父様の後を継いだ時にも、私との話が持ち上がった…あの時、お兄様が私に仰ったわ。『俺は誰とも結婚しない。例えお前と一緒になっても、俺は決して子供を作らない』って…覚えてる?」
「…あぁ」
「その後お兄様は、女性を全く近付けなかった…アメリカに行く前には、あんなに女性を侍らせていたのに…」
「何が言いたい?」
「伯母様と皇輝さんが、お兄様はEDなんだと仰ったわ…だから子を成せないのだと」
「っ!?…勝手な事を…」
「大丈夫よ、お兄様…私がお兄様に嫁げば、全てが解決するわ」
「のぞみ?」
「私なら、お兄様を救って差し上げられる」
そう言って、愛おしむ様に下腹を撫でた。
「だって…ここにはもう、お兄様と私の子供が居るんだもの」
「何…だと?」
「大丈夫よ…この子は『聖の子供』だと、伯母様も皇輝さんも仰ったわ」
「冗談じゃない!!その子は、皇輝の子供だろうがっ!?」
「『聖の子供』よ、お兄様…この子が、次代の聖組を担うのよ」
「お前はそれでいいのか、のぞみ?それが、お前の思い描いていた未来なのか?皇輝と共に、その子を育てたいんじゃないのか!?何故抗わない?人の言いなりになるんだ!?」
「…私は…幸せになりたい」
「のぞみ…その相手は、俺じゃない!!」
「この子を産みたいの!!」
「産みたいなら、1人で産めばいい!!だが俺の子供としては、絶対に認めない!!」
「だって…伯母様が…」
「自分の気持ちだ!!お前は、どうしたい!?」
見上げたのぞみの顔を見て、俺はゾッとした…切り揃えられた前髪の下から覗く瞳は、まるで暗く深い空洞の様だ…。
「皇輝さん仰ったわ…私がお兄様に嫁いだら、又会ってくれるって…愛してくれるって」
「…お前」
「お兄様は優しいから、きっと私を拒めない…だから大丈夫だって…今迄通りだって仰ったもの!でも、お兄様との話が破談になったら、もう会ってくれないって…近松への援助も切るって…」
「人身御供か…皇輝の奴!?だが、お前が皇輝と一緒になれば、解決する話だろう!?」
「…皇輝さん……婚約されるの…」
「なっ!?…誰と!?」
「……知らないわ……だから、私とは結婚出来ないって…伯母様に言われたの」
ゆるゆると俯きながら、のぞみは言った。
「私、お兄様の事が好きよ…あの頃と同じ様に愛してるわ。でも、皇輝さんと離れられない…知ってるでしょ?」
「駄目だ」
「私は…幸せになりたいだけ……お兄様と結婚して、この子を産んで…皇輝さんと愛し合いたいだけよ…」
「帰れ、のぞみ…帰ってあの親子に伝えろ!!俺は絶対に屈しない!!お前達の勝手にはさせないとな!?」
突き放したのぞみが、俺に空洞を向ける。
「お兄様も、私を捨てるの?」
「何を言っている?」
「…近松の家も、この話しを了承した…私は、お兄様の所意外に頼る場所はないのに…」
「のぞみ…流されるんじゃない。幸せは、誰かに頼って手に入れるんじゃなく、自分で勝ち取るものだ」
「…お兄様」
「以前の俺なら、お前を受け入れたかも知れないが…俺も、命を懸けて守りたい女性が出来た」
「…」
「俺は、萌奈美以外愛せない…この家に入れるつもりもない…帰れ!!」
「ナイトお兄様!?」
「棗!!」
俺は隣室に居る棗を呼び出した。
「のぞみを、本家に送り届けてくれ」




