第16話
10月のショッピングモールのグランドオープンになっても、桜井さんの監禁生活は続いていた。
正直、社長はちょっとナーバスになり過ぎなんじゃないか、幾ら何でもやり過ぎなんじゃないか…そんな噂が社内でも囁かれている。
籠の鳥の桜井さんは、社長を気遣って何も言わない様だ。
掌の傷が治ると、以前の様に俺達に昼飯を作り、会議室で振る舞ってくれる。
最近のお気に入りは躰を動かすゲームで、誰かが休憩室に持ち込んだゲームで対戦ボクシング等をしながら皆と交流を図っていた。
「桜井さん、コレ下のコンビニから受け取って来ました」
「いつもごめんね…支払い、帰ってからでいい?」
「構わないッスよ」
会議室の隣の給湯室で、カレーを煮込む桜井さんに声を掛けた。
「今日はカレーだって、皆喜んでるッスよ」
「匂い、上迄行ってる?マズイかな?」
「構いませんって…下の警備の奴等も、後で来るって言ってました」
「早い者勝ちだよ…太一君、先に食べる?」
「頂きます!!」
俺がカレーを食べる間に、桜井さんは嬉しそうに俺が持って来た荷物を開けた。
「本ッスか?」
「そう…ネットで見て面白そうだったから。ホント便利だよね。欲しい物は、インターネットで何でも注文出来る」
以前は俺達が買い出しに行っていた食材や生活雑貨も、最近は桜井さんが全てネットで注文する様になった。
ただ商品は、自宅ではなく事務所の方に届く。
桜井さん個人の買い物等は、下のコンビニに届く事が多い。
刺客が配達人に変装するリスクを考え、社長がそうさせてるんだと兄貴が言っていた。
「あ…そうだ、コレ食べます?事務所にあったの持って来たんスよ」
「那智黒だ…ありがとう。誰か和歌山に行ったの?」
「さぁ?でも、何で和歌山なのに黒砂糖の飴なんスかね?」
「熊野で那智黒石が採れるからじゃない?」
「なんスか、ソレ?」
「ほら…碁石の黒い石だよ。アレが採れるの」
「じゃ、白い石は?」
「アレは石じゃなくて貝殻…碁石蛤の貝殻をくり貫いて作るらしいけど、高級なんで最近は硝子製が増えてるらしいよ?」
「へぇ〜、やっぱ桜井さんは学があるんッスねぇ!」
「違う違う…偶然知ってただけ」
「俺なんか中学もサボってばっかだったし、ラリってばっかの時もあったから、脳ミソ死滅しちまって…」
「脳は、使えば使う程活性化するんだよ?」
「そうなんッスか!?どうすればいいんッスか!?」
「簡単な所では、指先を使うってのもあるけど、ゲームとかで…アナグラムとかね」
「なんッスか、ソレ?」
「知らない?文字を置き換えて、違う言葉にするの。よく作家なんかが本名をアナグラムにして、ペンネームにするんだよ。ほら、この作家もそう…」
そう言って、本の裏表紙を見せてくれた。
「難しそうッスね…それに、紙と鉛筆がないと無理っぽいッス」
「じゃあ、連想ゲームは?」
「なんッスか、ソレは?」
「1つの言葉を連想させるのに、ヒントを考えるの。但し、ヒントに答えの文字は使えません」
「例えば?」
「ん〜、じゃあ『那智黒』で考えてみる?思い付く物、言ってみて?」
「えっと…飴、和歌山、熊野、碁石、黒い…」
「アウト!『黒』って字が入ってるから、『黒い』は使えないんだよ。しいて言うなら『白くない』とか?」
「成る程ねぇ…でも、どうしても出て来ない時には、どうするんッスか?」
「反則技なんだろうけど、マイナスを使うって手を子供の頃使ってたな…例えば『黒』って言葉が出ない時、隣に黒田さんって人が住んでたとして『お隣さんマイナス米を作る場所』とかね」
「あー、それなら出来そうッスね」
「それを、文章にするって方法もあるよ?」
「でも、マイナスって言葉入ったら、変じゃないッスか?」
「そこで『三角さん』が登場するの。帳簿なんかで、マイナスの時に△付けるでしょ?マイナスの言葉の前に『三角さん』が登場するの」
「例えば?」
「さっきの『那智黒』で、隣の黒田さんのバージョンだと…『和歌山の熊野にある有名な滝にお隣さんが出掛けたって聞いた三角さんが、米を作ってた土地はどうするんだって言ってた』とかね…」
「凄いッスね!」
「こうなると、暗号だよね」
「暗号ッスか!?それ、いいかも!!」
「じゃあさ、それぞれ暗号考えてお互いに答え合うってのはどう?問題はメールで送るの…やってみる?他にも色々あるよ?」
「ヤるッス!!」
それから、俺と桜井さんの暗号ゲームが始まった。
「どうしよう…下に友達が来るって連絡があって…少しだけでも会いたいって…」
昼過ぎに萌奈美から電話があり、申し訳なさそうな声が響いた。
「夏休みから会いたいっていうの、ずっと断ってたんだけど…急に休学して、引越しもして、何か可笑しいって疑われてて」
当然だろう…8月から約2ヶ月半、彼女の関係者とは誰とも会わせず、外出もさせずに生活させて来たのだ。
不自由な生活を強いているのを可哀想だと思いつつ、これも彼女の身の安全を図る為と納得させて来た。
「断ってたの?」
「最初は、住み込みのバイトって言ってた…休学して、引越ししてるのがバレて、知り合いの看病って言ってるんだけど…」
「ごめんね、嘘付かせて」
「それはいいんだけど、何か事件に巻き込まれてるんじゃないかって疑ってるの。今日会えなかったら、警察に相談に行くって…本当にやりかねないからさ…」
「……何時に来るって?」
「3時」
「じゃあ、8階のフレンチレストランに来てもらえばいい。連絡して置くから」
「いいの?」
「大丈夫…貸し切りにして置くから。安心して友達と会うといいよ」
「…ありがとう」
電話を切り、フレンチレストランに連絡を入れている所で、社長室に棗が入って来た。
詳細を説明すると、呆れた様に笑われる。
「過保護だって噂されてるぞ、セイヤ」
「仕方ないだろう…」
「まぁ、お前の気持ちもわかるが…お嬢ちゃん、よく堪えてると思うぜ?」
「…そうだな」
「警備付かせるんだろ?」
「気取られない様に頼む」
俺は指示を出し仕事に戻ったが、どうしても気になって3時を過ぎた頃フレンチレストランに向かった。
貸し切りにした店には、所々に警備の者が座り客の振りをして食事をしている。
丁度友人と会った直後の萌奈美は、嬉しそうに会話を始めた。
俺は、彼女達に気付かれない様な場所に座り、会話に耳を澄ます。
「元気そうで良かったわよ!何か変な事に巻き込まれたのかも知れないって、心配してたんだからねぇ!?」
「…ごめん」
「どうしてたの?学校も休学しちゃって…何があったのよ?」
「ん〜、まぁ色々?」
「ちゃんと説明しないと本当に怒るよ、萌奈美っ!!」
ショートカットのスレンダーな少女と、眼鏡を掛けたおとなしそうな少女が、萌奈美の前に座って詰め寄っていた。
「心配してたのよ…とっても…」
「ごめんね…バイト先潰れちゃって、夏休みに住み込みの家政婦のバイトしててさ…忙しくて」
「今は!?」
「知り合いのね…お父さんの看病してるの」
「それで休学ぅ!?」
「ん…」
「何のお病気なの?」
「…脳梗塞…マヒがあって、介護が必要なんだよ」
…驚いた…まさか、親父の介護をしているという事になっているとは!?
「でも萌奈美、奨学生でしょ?どうすんのよ?」
「…もう、奨学生じゃないんだよ。休学と同時に、学費払い込んだんだぁ」
「…へぇ〜」
訝しむ友人に、きっと彼女は笑いかけているのだろう。
「先輩がさぁ…メールしても、連絡来ないって…どうしてるんだって、私に怒るんだよね」
「あぁ…来てたけど」
「告られた?」
「ソレっぽい事言ってたけど、断ったよ?」
「本人、脈ありみたいな事言ってたけど」
「あの人…あんまり好きじゃないんだよね。だから、メールも無視したんだけど…」
「…っていうかさぁ…萌奈美、男出来たでしょ!?」
「えっ!?」
「ほら…やっぱり…誰よ、一体!?白状なさい!!」
「本当なの、萌奈美ちゃん?」
「…え……まぁ…」
「付き合いが悪くなる影には、必ず恋愛が絡んで来るのよ…駄目よ、ちゃんと白状しないと許さないんだからね!!相手は?大学の人?」
「…違う…社会人」
「どこで知り合ったの?」
「バイト先の……お客さん」
「あのカフェに来てた人!?」
「…うん」
「まさか、看病してるって……彼のお父さんって事?」
「えっと……まぁ…ね」
「ねぇ…それって、酷くない?」
「え?」
「結婚してる訳でもないのに、自分の父親の面倒見させてるってさぁ…都合良く使われてるだけなんじゃないのぉ?」
「違うの!それは、私がお願いしてやらせて貰ってるっていうか…彼が言い出したんじゃなくて…」
「ホントに?駄目だよ、都合のいい女になっちゃ…騙されてんじゃない?」
「…多分、平気」
「怪しいなぁ」
「大丈夫だって」
「お仕事は、何してる方なの?」
「会社の社長さん」
「何の会社ぁ!?」
「…色々…お花屋さんとか飲食店とかの経営?」
「…怪しいなぁ」
「大丈夫だって…このビルのオーナーだし」
「ウソっ!?超金持ちじゃん!!」
「だから、大丈夫だって言ってるのに…学費払い込んでくれたのも彼だし…」
「ホントに金持ちなんだ…」
「みたいだね。よく知らないんだけど…」
「……ここのビルの上に住んでるって……まさか、同棲してんの!?」
「……まぁ…そうなるかな?」
「嘘ぉ!?…ホントに!?」
「…はぁ…まぁ」
「まさか…凄く年の離れた…」
「あぁ…年は離れてるかな?」
「それ、ヤバいって!奥さんとか、子供とか居るんじゃないでしょうね!?」
「居ないと思うよ?聞いた事ないけど…」
「萌奈美…絶対…超ヤバいって…」
聞いていて吹き出しそうになるのを、俺は必死で堪えていた。
年の離れたヒヒ爺ぃと付き合っていると思い込んでいる友人にも笑えたが、萌奈美がかなり天然なのにも大いに笑えた。
そうか…女友達の中では、天然で通っているのか…。
「所で、萌奈美ちゃん…王子様は、もういいの?」
「あ…そうだよね!?憧れの王子様はどうすんのよ!まさか、二股!?」
「あの人は…そんなんじゃないもん」
「え〜っ!?だって、ずっと想って来たんでしょ?それに、クリスマスの約束って、今年じゃなかった!?」
「ずっと待ってたんですよね?会いに行くんでしょ?」
「行くよ、多分」
「じゃあ、やっぱり二股じゃない!!やるなぁ、もぅ…手玉に取ってるのって、案外萌奈美の方?」
「違うって言ってるのに!」
「でも、大切な方なんですよね?」
「うん…とっても大切な人」
…誰だ…一体!?
手玉に取るって、二股って…彼女は大切な人だと言った。
一体、憧れの王子様とは誰の事なんだ!?
「…ね……あそこに…とても素敵な方が座ってるの」
「え〜っ、どこどこ……あっ、ホントだ。スッゴいイイ男!!」
友人達の視線を追って、彼女が振り向き……途端に目を丸くして頭を抱えた。
「どうしたの、萌奈美?」
「具合でも悪いのかしら?大丈夫?」
心配する友人達を制し溜め息を吐くと、萌奈美は俺に聞こえる様に少し呆れた様な声を上げた。
「何をしているかな、そんな所で!?」
俺は観念して、笑いながら彼女達の席に近付いた。
「こんにちは、はじめまして。私、このビルのオーナーをしております、聖と申します」
「あっ…はじめまして!お邪魔しています」
そう立ち上がって挨拶する友人達の驚いた顔を見て、彼女は苦笑を漏らした。
「ね、憧れの王子様って誰?」
「盗み聞きって、酷くない?」
「様子見に行っただけだよ」
自宅に帰ると、少し呆れた様な顔をして萌奈美はソファーの下に座った。
「気になる?」
と笑いながら俺を見上げるのを、俺はいつもの様に後ろから抱え込んで座った。
「…気になるよ…君の事に関しては、俺は心が狭いから」
「そういえば、聖さんって案外焼き餅妬きだよね?前も、私が棗さんや太一君が好きなのかって疑ってたし…」
「覚えてた?…棗の事は、本気で疑ってた」
「有り得な〜い!!」
そう笑う彼女を、ギュと抱き締める。
「で…誰?王子様って?」
「ナイショ〜」
「萌奈美!」
「聖さんが思ってる様な関係じゃないよ」
「ホントに?」
「でも、私にとって大切な人…その人が居たから、私生きて来れたの」




