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天使は銀狐に囚われて  作者: Shellie May
14/40

第14話

『眠るのが怖い、目を閉じるのが怖い』

愚図(ぐず)る彼女を(なだ)める様に抱き込んでやり、半ば気を失う様に眠りに着かせたのは明け方近くだった。

俺の懐に潜り込む様にして眠る彼女を見て、俺は彼女を甘やかせてやりたいんだと自覚する。

何にせよ、翌日には家に帰るという彼女を何とか説き伏せ、あれから半ば強引にこの部屋に監禁している。

彼女が愚図(ぐず)る度、怖い夢を見て(おび)える度に、手足を絡める様に抱き締め、指を絡め、額に口付けたまま何度も大丈夫だと囁いた。

見上げる彼女の唇を捉え舌を絡め…やがて彼女はトロンとした表情を浮かべ、穏やかに俺の胸に顔を埋める。

それ以上、進みそうで進まない関係に、苛立つ様な安心する様な、何とも複雑な感傷に浸っていた。

そんなホテルに監禁生活4日目の朝、枕元に置いてある彼女の携帯の着信音が鳴った。

フリップを開けると画面に『糸子叔母さん』と表示されている。

彼女の叔母だ…俺は仕方なく通話ボタンを押した。

「もしもし?」

「はい、桜井の携帯ですが?」

「貴方、誰?」

「私、桜井さんの大学の准教授をしております、聖と申しますが…ご家族の方ですか?」

「萌奈美の叔母で、筒井と言います。あの…萌奈美は?」

「申し訳ありません。桜井さんは、昨日より別の場所で作業して貰っているのですが、生憎携帯をこちらに忘れて移動されてまして…何か、急用でも?」

「あの…あの子は、いつ帰りますか?」

「申し訳ありません。もうしばらくこちらでの作業が続きます。伝言ならお伝え致しますが?」

「そうですか…まぁ…今時の子は、何というか…薄情っていうのか、ドライっていうのか…ねぇ、先生。そう思いませんか?」

「そうでしょうか?」

「10年ですよ?あの子の両親が死んで、私達が面倒を見る様になって、10年…それがねぇ…こんな風に掌反されて…幾ら賢くて大学に行っててもねぇ…」

「あの…お話の主旨が見えないのですが?」

「まぁ構いませんよ。あの子に伝えて下さいな。私達は、今日富山に発ちます。取り壊しは来月の15日になるから、必要な物はそれ迄に引き取らないと根刮(ねこそ)ぎ潰されちまうって」

「えっ?」

「ひと月も勝手な事してるんだから、これからも勝手に生きて行きゃあいいんですよ!今後一切、私達とは縁も切れたと思えってね!!それじゃ、お邪魔様!!」

「もしもし!?筒井さん!?」

一方的に言いたい放題言って切ってしまう、お前の方が可笑しいだろう!?

しかし…どういう事だ?

携帯を閉じた途端、胸元から見上げる視線とぶつかった。

彼女の携帯で話していたのだ…気まずい顔を見せた俺に、彼女はヘニャリと笑って見せた。

『叔母さんから、電話があったよ』

そう彼女の携帯に打ち込んで見せると、納得した様に頷く。

『どういう事?』

『引越しするんだって。叔父さんの郷里に帰るんだってさ』

『家は?』

『売ったみたい。上物は潰して、更地にするんだって』

『知ってたの?』

『繁ちゃんが、メールで教えてくれた』

『だから家に帰るって…何で言わなかったの!?』

『言ったら、どうにかなった?』

確かに…事情がわかった所で、彼女を帰す訳には行かなかった。

『今日引越しだそうだ。来月15日に、取り壊しが決まったから、それ迄に荷物を取りに来る様にって言ってた』

『わかった』

再び俺の胸に顔を埋める彼女の髪を撫でてやる。

…俺は…彼女の帰る場所さえ奪い取ってしまったのか…。

居た(たま)れない気持ちで彼女を抱き締めて、額に口付けながら呼び掛けた。

「…萌奈美」

不意に俺を見上げて目を丸めると、彼女はベッドを飛び下りてリビングに走る。

何だ?

何があった!?

訳がわからず追い掛けると、彼女はリビングのグランドピアノを開けてキーを叩く。

「萌奈美?」

「…」

黙ったまま色々なキーを叩き続け…俺に向かってニヤリと笑い、ピースサインをして見せる。

「治った!!」

そう言って、俺の胸に飛び込んで来た。

「治ったよ!聖さん!!」

彼女を思い切り抱き締めて、何度も何度も呼び掛ける。

「萌奈美…萌奈美…」

「ごめんね、心配掛けて…もう大丈夫だよ」

「…萌奈美…」

「最速だよ!こんなに早く治った事ないもん!!」

「良かった…」

「一杯聞きたい事あるの!話したい事も、一杯ある…でもね、先ずは顔洗って、朝御飯食べよ!!」

相変わらずの切り替えの早さと、ポジティブな思考…。

「あ、でも1つだけ質問」

「何?」

「いつの間に、私の事呼び捨てになったの?」

「そこ!?」

俺は、久し振りに大笑いした。



「一緒に暮らそう」

「今迄だって、一緒に暮らしてたじゃない」

「そうじゃなくて…」

何となく言いたい事はわかるけど…。

「バイトならするよ」

「…」

「部屋借りるにしても、仕事探すにしても、もう少し(たくわ)えがないと厳しいから」

「仕事って…大学は?」

「辞める」

「何で!?」

「家賃払って、生活費稼いで…学生の片手間のバイトじゃ、(まかな)えないよ。それに、まだ学校行けないんでしょ?」

「…休学すれば?」

「私、奨学生だしさ。それにね、元々目的があって大学受験した訳じゃないし」

「どういう事?」

食後の珈琲を飲みながら、聖さんが微妙な視線を投げ掛ける。

「希望の就職先がなかったの。寮が完備されてる所を希望したんだけど、事務職は寮の空きがなかったし…完全寮完備なのは、警察官と自衛隊だけだったんだよ…両方共、私アウトだし」

「体力的に?」

「それもあるけど…コッチがね」

そう言って、私は左耳の耳朶(みみたぶ)を引っ張った。

「殆ど聞こえないからさ」

「え?」

「アレ…知らなかった?駄目なんだよ、こっち側」

言ってなかったっけ…そう思いながら、固まっている聖さんに笑い掛けた。

「子供の頃からね。だから、時々聞こえなくなるのかも」

「…そう」

「これでも高校では結構成績良かったんだよ。それで、先生が勿体ないから大学受けろって…それで受けただけなの」

「英文学コースの方だよね?教師になりたいとか?」

「全然…ただ英語に浸りたかっただけ。でも、何か違うって気がしてさ…模索してたんだよね」

「取り敢えず4年、頑張ってみれば?」

「それは、金持ちの発想。時間もお金も勿体ないよ」

「そんなもん?」

「そんなもんです。どうせならさっさと見切りつけて、次のステップアップに備えて、お金儲けした方がいいよ」

「ふぅん…やっぱり、一緒に暮らそう」

「…話、聞いてた?」

「聞いてたよ。独り暮らしするにしても、生活費や家賃大変じゃない」

「聖さんに援助してもらう理由ないし!」

「好きだから」

「あのねぇ…私達、付き合ってもないし、恋人でもないでしょ?」

「あんなにキスしたのに?」

何言ってるかな、この人はっ!?

一気に顔が熱くなるのを自覚すると、吐かれる声が裏返った。

「ひっ、非常事態だった訳だしっ!」

「成る程…そう来るか…」

「何よ?」

「いや、てっきりね…」

「何?」

「萌奈美も…落ちたかと思って」

「はぃ?」

「……恋に……落ちたかと思ったんだけどな」

「……ふぇ?」

「自覚…ない?」

…脳ミソが…沸騰(ふっとう)するというのは…現実にあり得るのだろうか!?

目の前の人は、テーブルに肘を付き、顔を支えながら眼鏡とカチューシャを取ると、ニッと微笑んだ。

「可愛いなぁ…そんな反応されると、(たま)んないんだけど?」

「かっ、からかってる!?」

「全然…喜んでるんだよ?」

「……ちょっと待って」

「萌奈美?」

「待ってってばっ!!」

落ち着け、私!?

ペースを崩されて、パニックになっているだけじゃないの!?

この動悸は何!?

顔から、火が噴いてるみたいだし…。

ダイニングテーブルから立ち上がり、ソファーに場所を変えて落ち着こうとした。

ところが、事もあろうか元凶になる相手が追って来て、私の隣に身を寄せて座って来たのだ。

「…萌奈美」

思わず立ち上がると、腕を引かれて膝の上に座らされ、腰をホールドされてしまう。

「萌奈美」

「…」

「いい加減、降伏しなさい」

「だって…私、聖さんの事…何も知らないもん」

(こだわ)るね…そこ」

「だって…」

「ねぇ…萌奈美の目の前の俺を、好きにはなれない?」

「え?」

「仕事上、どうしても言えない事もある…わかるよね?」

「…」

「個人的な事も絡んで来るんだ…どうしてもね…世襲制(せしゅうせい)みたいな所もあるし」

「…」

「聞かせたくない事も、沢山あるんだよ」

「…」

「萌奈美に見せてる俺は、()の俺なんだ。ヤクザの組長でもない、会社の社長でもない…俺の()の姿」

「…」

「そして…もうひとつの姿で、萌奈美を傷付けた」

そう言って、聖さんは私の左の掌に巻いた包帯の上にキスをした。

「新宿の街を、(いき)がって歩いていた…『Silver(シルバー) Fox(フォックス)』と呼ばれていた頃の俺」

「え?」

「狐ってね…単独で行動するんだ」

そう言って聖さんは、私の躰をそっと抱き締めた。

「親父に反発して、徒党(ととう)を組むヤクザに反発して…独りで新宿の街を、義賊(ぎぞく)気取って喧嘩(けんか)に明け暮れてた時期があったんだ」

「…」

「幻滅した?」

「…少しビックリ…でも、納得…かな」

「正直だね。優柔不断で、寂しがり屋で意地悪な俺も、切れやすくて粗暴な俺も…()の俺なんだ」

「…うん」

「そんな男でもいい?君の恋の相手になれる?」

「…話せる事は、少しずつでもいいから話して」

「わかった」

「他の人から話聞いても、怒らないでよ?」

「…善処(ぜんしょ)します」

「……普段は、眼鏡とカチューシャ付けて」

「どうして?」

「…」

「それは…約束出来ないかな」

「何でぇ?」

「萌奈美の照れた顔が、見られるから…」

意地悪そうにニィッと笑うと、私の髪を撫でて…そっと後頭部を包み込む。

「…萌奈美」

「…」

緊張する私に、艶やかなアッシュブラウンの髪が掛かる。

睫毛の長い切れ長な目が、私を(とら)え…赤い唇が私を奪う直前に、小さく呟いた。

「…mon(モン) amie(ナミ)

途端にフニャッと力が抜けて…彼に支えられる様に唇を奪われた。

彼の舌が、私の口腔を縦横無尽(じゅうおうむじん)に暴れまわる…舌を絡められて(くすぐ)られる…今迄何度もして来た行為が、急に恥ずかしく、ドキドキと心臓が跳ね上がる。

やっとの思いで胸に手を付いて、押し離れた。

「…いやぁ」

「どうして?」

甘く尋ねながら、尚も音を立ててキスをする彼から逃れ様と俯いた。

「……音が」

「音?」

そうなのだ…こんなに淫猥(いんわい)な音がするなんて、思ってもみなかったんだもの!

今迄は、全く聞こえてなかったから…何て大胆な事をしていたんだろうと、又顔が熱くなる。

Bebe(ベーベ)ちゃんだな…」

「いきなり子供扱い!?」

「大丈夫…俺が、1から教えて上げるから…」

止めてぇ…そのエロい声!?

「…可愛い…萌奈美…」

だから…吐息と共に(しゃべ)んないでぇ!!

「聖さんっ、聖さんっ!!」

「何?」

「私…もぅ…」

「ん?」

「……許容範囲超え…」

「…」

クスクスと笑い出した彼は、やがて涙を流して大笑いし、私を抱いて額に口付けた。

「やっぱり可愛い」

「…」

「俺はね、君をトロトロに甘やかせてやりたいんだ」

「何よ、それ…」

「俺がやりたい事」

「そんな事言ったら、付け上がるかも」

「いいよ」

贅沢三昧(ぜいたくざんまい)するかもよ?」

「大丈夫だよ」

「…」

「一緒に暮らそう…大学も、急いで辞める必要ないんだ。ゆっくり将来の事考えてから、結論を出したらいい」

「…でも」

「大人としての忠告だよ」

「…わかった」

「取り敢えず、休学届を出させて置くから」

「…うん」

「奨学金も気にしないでいい…一旦俺が払い込むから。萌奈美は、将来少しずつ返してくれたらいい。利子が付かない分、安上がりだし…いいね?」

「…わかった」

急に、金持ちの恋人とパトロンを持った気分だ。

「私は…何をすればいいの?」

「別に何をっていう事は…」

「何すればいい!?」

与えられるばかりの関係なんて…何だか凄く怖い気がした。

それを汲み取ってくれたのだろう…聖さんは、どこか痛い様な笑顔を見せた。

「じゃあ、毎日美味しい珈琲を淹れてくれる?」

「そんな事でいいの?」

「大事な事だよ…俺に取ってはね」

「わかった」

「それと…」

「何?」

「俺の傍に居て欲しい…君は俺の活力源で…傍に居てくれるだけで、間違った選択をせずに済むんだ」



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