第10話
夕方、本家から呼び出しを食らい、心の中で悪態を吐いていた。
又縁談話か…然も相手は目の前に居る女の姪だと抜かす。
近松のぞみ…日本人形の様な美人だが、ただそれだけの女…抗う事も知らず、皇輝との強引な躰の関係をいつまでも切れずにいる憐れな女…そんな女を俺に押し付け様というのか…。
いつもの様にのらりくらりと躱していると、不意に皇輝が声を掛けた。
「そう言えば、最近毛色の変わった女と付き合ってるらしいな?」
「何の事だ?」
「隠すなよ…マンションに女子大生囲って、皆で宜しくやってるみてぇじゃねぇか?」
コイツ…やはり、狙ったのはこの親子か!?
「やはり血は争えないねぇ、ナイト…卑しい血は父親に…淫乱な血は母親そっくりだよ」
挑発に乗るまいと、何も言わずに睨み付けると、能面の様に張り付いた笑顔を向けて来た。
「だけどね…私の姪を娶せるのに、余計な塵を着けたままじゃ困るんだ。何と言っても、のぞみは正統な聖の血を引く娘だからねぇ」
…何と言った、この女!?
「掃除が必要なら、いつでも手を貸すぜ、兄貴?」
ニヤニヤと笑う皇輝を殴らないのが、不思議な位動揺している自分がいた……落ち着け…奴等の挑発に乗ってはいけない…頭の隅で警鐘が鳴る。
「そうそう、後で真木が来るんでね…お前の所の棗を寄越してくれるかい?」
「棗に…何のご用です?」
「アレもいい歳だろ?そろそろ身を固めてもいい頃だよ。誰かいい娘をと思っていたら…真木の所の美津子が去年出戻って来てたろ?丁度いいと思ってね」
俺ばかりか…今度は、棗迄引き込む算段か!?
「美津子さんは、確か…36と聞いていましたが?」
「37だよ。幸い子供は出来なかったそうだ…相手が種無しだったのが幸いだったね」
「棗は、私と同じ29です。幾ら何でも、年上過ぎじゃありませんか?」
「何言ってんだい…金の草鞋を履いてでも探せって言うじゃないか?こんなにいい縁は、ありゃしないよ」
「…では、直接棗にお話し下さい。但し、棗が断っても一切構いなしと致します。棗はウチの社員ですので…」
「真木もそうだろ?お前の所の専務で、棗の上司だ」
「社長である私の采配で、事は納めます!」
「そうかい…だが、お前の身辺整理はキチンとして置いておくれ」
奥歯を噛み締めて席を辞しマンションに帰ると、ダイニングテーブルで棗と彼女が楽しそうに食事を囲んでいた。
彼女がこのマンションに来て、明かりの付いた部屋に帰る事が、こんなにも心が暖かくなるものなのかと驚いた。
家に帰ると、彼女の笑顔と笑い声が待っている…棗や他の奴等との関係も良好で、事務所の中での雑談でも『昨日はこんな物を馳走になった』『こんな事を話して笑い合った』と、普段強面で怖れられる男達が破顔して話す。
「事務所に活気が出て来ましたね、社長」
経理を任せている菊池が俺に言った。
菊池は大学の後輩で、俺が社長に就任してから雇い入れたウチの『金庫番』だ。
菊池の他にも、弁護士資格を持っているがイソ弁も出来ずに居る奴や、腕はいいが事務所経営の成り立たない弁護士やヤメ検を雇い、示談や交渉事に当たらせる事務所を作り、警察を辞めた奴や警備員経験者を中心に研修を行い、警備の会社も作った。
フローリストの経営は、シマで地価が高く成り立たないと訴える花屋の話を聞いて思い付いた。
同じ立場の花屋を集め、仕入れのノウハウや生花の取り扱い等の話を聞き、全て吸収して雇い入れ大きなフローリストを作った。
アイデアを出し合い、コストを押さえ…若い奴等に花の配達や管理を覚えさせる。
いずれは、このフローリストも一般企業として成り立つ様に…少しずつ皆の足が洗える様に…。
彼女の目がキラキラと輝き、棗に注がれるのを見て胸がツキンと痛んだ。
「何の話?」
俺の顔を見た途端に、しまったと言うように目を逸らす棗に釘を刺す。
仕事の事、俺自身の事…余計な話をしない様に言っているのに…。
気をきかせて彼女が寝室に行くと、俺は棗に本家での出来事を話した。
憤慨する棗は、スーツを着て髪を撫で付けると本家に向かった。
出掛けに彼女が、棗に『格好いい』と言いながら軽口を叩き合う姿に、胸の中がモヤモヤとする。
疲れているんだろうとシャワーに入り、溜め息を漏らした。
彼女がマンションに来て、もうすぐひと月が経つ…棗達が彼女との距離を着実に縮める中、俺だけが同じ場所で留まっている様な気がする。
初日にベランダの手摺から飛び降りようとした彼女を助け、腕の中に抱いて眠り…翌日には告白し、キスをして抱き締めた。
ただそれだけ…以降同じベッドで過ごしても触れ合うというには程遠く、何も進展はなかった。
嫌われてはいない…笑いながら叩かれたり、抱き付かれたり…その場限りのスキンシップは有る。
冗談で始めた出勤前の抱擁も、以降許してくれている。
彼女を手元に置いて、毎日笑顔を見て…夢見た生活は手に入れた筈なのに…。
人間は欲深い生き物だ…1つの欲求が満足されると、更なる欲求に身を焦がす。
彼女に触れたい、抱き締めてキスをして…全てを自分だけのモノにしたい…。
シャワーから上がると、鼻歌混じりに食事の後片付けをする彼女の後ろ姿に胸が締め付けられ、つい絡み出すと止まらなくなって…ソファーに押し付ける様に悪態を吐いた。
瞠目していた彼女の瞳が、やがて怒りに燃え…火花が散るかと思う勢いで頬を叩かれ…俺の頭は一気に醒めた。
しかし、彼女の怒りは収まる筈もなく…。
「何トンチキな事言ってるかな、この人はっ!?」
彼女の声が、リビングに響き渡る。
「棗さんは、聖さんにとって大切な部下で親友なんでしょっ!?そんな人を信じなくて、一体誰を信用すんのよっ!?」
「……萌奈美ちゃん」
「馬鹿馬鹿しいったらないわ……私、帰るからっ!!」
「えっ!?」
今、彼女から一番吐かれては困る言葉が飛び出し、俺は狼狽した。
「このひと月近く、何もないし…夏休みも終わるしね。いい機会だわ!」
「駄目だっ!!まだ…」
狙っている相手が、ようやく判明したのだ…だが、皇輝が実行犯でないのは明白で…。
「私の事も、棗さん達の事も信用出来ない聖さんとなんて、一緒に居たくないのっ!繁ちゃんからも帰って来てってメールあったし!」
そう言って寝室に向かおうとする彼女の前に立ち塞がり、俺は首を振った。
「駄目だよ、萌奈美ちゃん…本当に、危ないんだ…」
彼女は踵を返し、リビングのカーテンを勢い良く開け、ベランダに出る。
馬鹿な事をした…俺が反省する間もなく…それは起きた。
パシュンと弾ける様な音と共にビシリと硝子が鳴り、続いて彼女の躰ギリギリに飛んで来た弾丸と共に窓硝子が砕け散る。
1回に2発の発砲…プロか、手慣れた者の狙撃に違いない!!
「萌奈美ッ!?」
部屋の電気を消して、外からの視界を眩ます…呆然とベランダに立ち尽くす彼女を目掛け、再び狙撃の手が伸びる。
硝子が割れる中ようやく彼女の背中を掴み、硝子の散らばった床をズルズルと引き摺りキッチンの奥迄後退して、彼女の躰を思い切り抱き締めた。
「大丈夫かい、萌奈美ちゃん!?怪我はない!?」
「…」
相手は向かいのマンションから狙ったのだろうか…屋上か、非常階段からか…。
玄関のドアが勢い良く叩かれ、外で警備をしている部下が叫ぶ。
「大丈夫ですかっ!?社長!?お怪我はっ!?」
「大丈夫だ!!向かいのマンションからだ!!直ぐに向かわせろ!!」
キッチンから大声で叫ぶと、安心した様な声音の後、憎々しげな声が響いた。
「下に居る奴等が向かってます!!捕まえて、きっちり落とし前付けさせますっ!!」
暗い部屋の中で、彼女は俺のバスローブをしっかりと握っていた。
「大丈夫だよ…もう平気だからね」
「…」
「萌奈美ちゃん?」
「…」
何も答えない彼女に、最悪の想像をしてしまい、華奢な躰を揺さぶりながら叫んだ。
「萌奈美ちゃん!?平気なの!どこか怪我した!?」
「…」
「萌奈美ッ!?返事をしろッ!!」
「…」
「萌奈美ッ!?萌奈美ッ!!」
腕を上げた彼女が、細い指先で俺の喉元に触ると、その手がそっと頬に触れた。
彼女が動いた事で、ようやく安堵の溜め息を吐き、暗闇の中再び彼女を抱き寄せる。
「…萌奈美」
ゆっくりと顔を近付け、吐息が掛かる近さでもう一度呼び掛けた。
「…mon amie」
柔らかい唇を塞ぐ様にそっと唇を重ね、やがて深く彼女に口付けた。
余程怖かったのか、俺が貪る様に何度も口付けても、彼女は文句ひとつ溢さない。
それどころか俺の胸に縋り付き、やがて熱い吐息と共にトロトロに熟れた舌で、拙いながらも俺に応えた。
やっと触れ合えた喜びと、彼女の反応に歓喜する…然も、玄関のドアを叩く音に渋々唇を離すと、俺の唇を追う様な仕草で顎を上げたのだ。
「…堪らないな、そんな風に誘うなんて…でも、少しだけ待っておいで」
そう言って立ち上がろうとすると、離れるのを拒む様にバスローブを握り締められた。
…可愛いな…いつもの気の強い素振りを見せる彼女も可愛いが、こうやって甘える彼女は新鮮だ。
頬を包み込んで再び唇を重ねると、俺は暗闇の中手探りで玄関に向かい鍵を開けた。
「申し訳ありません、社長!取り逃がして…」
頭を下げていた部下が顔を上げた瞬間、強張った表情を見せた。
「社長っ!?どこを遣られたんですっ!?」
「えっ?」
外の明かりに照らされた俺のバスローブは、胸と腹が真っ赤に染まっていた。
「……ッ!?」
「社長っ!!」
踵を返す俺を追って、部下が部屋の明かりを点けながら追い掛けて来た。
そして…キッチンの隅で猫の様に身を丸めて、腕の傷を舐める彼女を見付けた時の驚きと、冷水を浴びせられた様な後悔…。
「…駄目だ、萌奈美ちゃん…」
俺に背を向けたまま、彼女は傷を舐め続ける。
「萌奈美ちゃん…止血をしないと…」
「…社長、お嬢さん…様子がおかしくないですか?」
止血をしようとネクタイを引き抜く部下が、背後でボソリと言った。
「萌奈美ちゃん!?」
呼び掛けても何の反応も示さない彼女を見て、背後から聞きたくない言葉が吐かれる。
「ほら…まるで、聞こえてないみたいだ…」
「萌奈美ッ!?」
彼女の肩を掴むとビクッとして顔を上げ、血に濡れた唇のまま俺を見上げて笑って見せる。
俺は何も言わずに、彼女の躰を抱き締めた。
「失礼します」
社長室に入って来た棗の背後に居る真木の姿を見て、俺は怒りを隠せずツカツカと歩み寄り、ネクタイを掴むと絞め上げた。
「社長!?」
棗が慌てて止めに入るのを、俺は睨み付け威嚇する。
「…真木…覚悟は出来ているんだろうな…」
久しく封印していた感情が、躰の奥底から烈々と沸き上がる…。
荒い息が静かに治まると同時に頭の中がクリアに醒め、口角が吊り上がり視界が広がる。
「ヤメロッ!?セイヤッ!!」
俺の顔を見た棗が叫び、俺と真木の間に割って入った。
「退け…棗…」
醒めた瞳で睨み付け、ポケットの中のバタフライナイフを取り出し、手の中で操り振り上げた。
「…っ!!」
突然横から飛び込んできた小さな躰が、俺の腰をホールドしてタックルを掛ける。
引き剥がして床に転がしても、彼女は尚も立ち上がり、俺に抱き付いた。
『何も聞こえない』…そう俺の携帯の画面に打ち出された字を見た時の衝撃…彼女の二の腕の肉を抉り取る様に付けたられた裂傷…。
「止めろっ、お嬢ちゃん!?今、セイヤに近付くなっ!!」
「…聞こえない」
「えっ?」
「聞こえない…お前の言葉も、俺の声も…何も届かない」
まとわり付く腕を引き剥がし、その躰を壁に叩き付けた。
「セイヤッ!?」
棗が叫んだ時、立ち上がった彼女は俺の正面…棗と真木の前に立ちはだかった。
「…退け…萌奈美」
「止めろよっ、セイヤ!!」
「退け」
肩で息をする彼女は、まるで姫君を守る勇者の様に、両手を広げて刃物を持った俺と対峙する。
そして、俺が正面から構えていたナイフの刃を…左の掌で握り締めたのだ。
「ッ!?」
…これは……デジャヴュ!?
彼女の掌から流れ落ちる血を見て虚を突かれた俺に、彼女は…あの時の彼と同じ様に、俺に右腕を回して抱き締めた。
「……無鉄砲な事…するなって言ったろう?」
棗と真木から引き離し、俺は彼女を抱き締めて溜め息を吐いた。




