第八章外伝:女騎士の危機
クリスとエアリーズに迫った危機の話です。
多少の性描写があるのでお気を付けください。
微かに漂う松明の油の匂い。
鉄同士が擦れて聞こえる不快な音。
……追っ手?
静寂な森からは有り得ない気配を感じ、クリスは目を醒ます。
直ぐに愛用の短剣をとり、草叢の中に身を屈める。
三人の追っ手はこちらにはまだ気付いていない様だ。
「あそこに馬が繋いであるぞ!」
大木に繋がれていた馬のもとへ駆け寄る。
「近くで休息を取っているやもしれん、近くを探すぞ」
「隙を突いて馬に乗るかも知れないな。可哀想だが死んでもらうぞ」
兵士の一人が、馬の首に短剣を突き刺す。
短く小さいいななきの後、大きな音を立ててその場に倒れる。
クリスは慌てて皇子の方を見るが、深い眠りに就いている様で、静かに寝息を立てていた。
……剣士二人と斧兵か。剣二人なら何とかなるけど…。…斧兵が先ね…
草叢の中に身を隠しつつ、音を立てずに斧兵の背後へ忍び寄り、その刄を突き立てる。
が。
「後ろだ!」
剣士が叫ぶ。
その声を聞いて、斧兵は身を捩った。
「ぐぉっ」
「くっ、外した!」
背中越しの心臓への狙いは外れ、斧兵の脇腹へと突き刺さった。
「ぬうん!」
脇腹に突き刺さった短剣を引き抜く。
刹那に無防備になったクリスの腹へ、力の込もった拳が叩き込まれる。
「くぅっ」
体中の空気が外に絞り出され、数瞬呼吸が止まった。
斧兵はクリスの両手首を掴み、強引に大木の幹に打ち付ける。
両手からぶらさがる形で身動きを封じられた。
兵士達の顔に宿る、下卑た笑み。
「お嬢ちゃんの割には良い体してるじゃねえか。俺の脇腹傷つけた代償、その体で払ってもらおうか?」
兵士達の視線がクリスの肢体に集中する。
歳を経て成熟した女性と、未だ成長途中の少女の半ばの様なクリスの体は、クリスの整った美しい顔と相まって、男たちを欲の獣に堕とすには十分過ぎる魅力を放っていた。
……最早これまで。
女性騎士の間には、敵にその身を囚われた時、自害するという鉄の掟が存在する。
男たちにその身を辱められない様にする為だ。
死んでしまった者と交わると言う事は、この大陸では百刑に値するため、死してしまえばその身体を辱められる事は無い。
舌を噛み自害しようとするクリスであったが、男の空いたほうの手に顎を抑えつけられ、口を開くこともできなくなってしまった。
「おっと、まだ死ぬんじゃねえぜ。お楽しみを逃すかってんだ」
「そうそう。今死んでみろ?直ぐにこの皇子様もそっちに送るぜ?」
そう吐き捨てる剣兵の足元には、泣きながらクリスを見つめるエアリーズの姿があった。 何という屈辱であろうか。幼い主の前で三人の男に嬲られるとは。
男は軽い金属で出来た胸当てを剥ぎ取り、先程の短剣をクリスの胸元に突き付ける。
「大人しくしてろよ。俺たちが優しくしてやるからよ」
男の手に持たれた短剣が、自らの持ち主の服を切り裂く。
もう駄目だ。露になった自分の胸元を見てそう思ったクリスは、絶望感や己に対する怒りに、目を閉じる。
その時、視界の隅に一条の光が閃いた。
その光の正体を確認したとき、クリスは男の手首から離れ、その場に座り込んだ。
否、〈男の手首ごと〉離れたのだ。
「うわあぁあぁぁ! 手があ!」
掌があるはずの手首から噴出す血を見て、男は叫ぶ。
男の体と手首を切り離した物の正体は、一本の矢であった。
しかし、その矢の大きさは通常のそれとは遥かに異なる。
小槍の穂先ほどもある鏃に、通常の三倍はある太さのシャフト。
普通の弓では引けない、明らかに個人の為の、特注の物であることが見て取れた。
そして、クリスはこの矢を扱う人間を知っている。
「おうおうおう、上等じゃねえか。俺の恩人の妹に手を掛けようたぁなあ?」
巨大な、正に巨人が引く物であるかと思えるような弓を構えたまま、矢を放った男が言う。
「キンカラ殿!」
自由になった口を開き、その男の名を呼ぶ。
「すまねえなクリス嬢。もう一寸早く駆け付ける積りだったが…。一寸待ってな! 俺らがそいつ等片すからよ!」
キンカラ、と呼ばれた男の後ろには、剣と宝玉を携えた二人の女性の姿が。
「大丈夫ですか? クリス様!」
剣を構えた、未だ若い、凛とした長い黒髪が特徴的な十四、五位の少女が叫ぶ。
「許せないわね。あのような男達は千刑に値するわ」
宝玉を構えた、成熟した雰囲気を放つ女性が嘲りを込めて呟く。
「よし、俺はあの斧野郎を潰すからお前等あの剣やってくれ」
「解りました! お父様!」
「…了解。行くわよ、マリア」
宝玉を携えた女性が、言霊を紡ぐ。
「焔皇ガルシアスの僕たる焔の精よ、その怒りの業火を以て、かの罪深き者を裁く剣を創り出さん!」
言霊の力により現れた灼熱の炎は、少女の構える剣へと進み、その刀身を包む。
草食動物は、至近距離で肉食動物に出会うと、恐怖と絶望感により身体が動かなくなるという。
今正に三人のセスカ兵は、その状況に出くわしてしまい、身動きが取れなくなってしまった。
「食らえ! 女の敵!」
少女の気合と共に振られる焔を纏った剣は、身動きが出来ぬ男達の鎧を焼き、その身を両断した。
「オラオラオラ! 手前らは自分より非力な嬢ちゃん相手にしか出来ねえのか!」
いつの間にやら人間の身長ほどもある巨大な剣を握ったキンカラが、斧を持った男と格闘している。
斧を持った男はかなりの手練なのだろう、巨大な剣から繰り出される斬撃を斧で何とか捌いている。
しかし片手を失った代償は大きい。徐々に捌ききれなくなり、手に持った斧を弾き飛ばされてしまった。
尻餅を付く格好で座り込む斧兵の喉元に、長大な剣の切っ先を突きつける。
「わ、悪かった。お願いだ。もうしないから許してくれ!」
無様に命乞いをするセスカ兵。
「ん〜? なんだってぇ? おう、どうするよシヴァ?」
キンカラは答えを求める様に宝玉を持った女性の方を向く。
「私が決めることではありませんわ、あなた。此処はクリスに聞くものでしょう?」
シヴァと呼ばれた女性が、何食わぬ顔で言う。
「お母様! そんな甘い事を! クリス様はあと少しで酷い目に遭うところだったのですよ?」
「それはそうだけど、飽くまで本人に決めてもらわなくては。どうする? クリス」
マリアから受け取った布を胸元に巻き、皇子を抱いているクリスに答えを促す。
「シヴア様…そうですね。キンカラ殿、ご自由にお願い致します」
「おっしゃ任せい!女性陣と皇子殿はあっち向いてな。かなり血生臭くなるからよ」
と、悪魔の笑みを浮かべてキンカラが言う。
その笑みを浮かべた先には、先程の下衆な表情とは打って変わって恐怖におののいた斧兵の姿があった。
「ひぃっ。や、やめてください!」
「んー? お前等クリス嬢に何してたのかなー? 一思いにやられるのと、じっくりたっぷりに苦しむのと、どっちが良い?」
次の瞬間、この世のものとは思えぬ絶叫が森の中を突き抜けた。
「そういえばシヴァ様、なぜ此処に?」
「あらお言葉ね。あなた達の部下の若い騎士が私たちの家に息も絶え絶えに入ってきたわけ。治療が終わったらいきなりあなた達の事言い始めて、探してたのそしたら馬の啼き声を聞いた訳」
訳もないように言うシヴァ。
「その啼き声の元へ行ってみたら、クリス様があんな目にあってる所を発見したんです!」
マリアが言葉を次ぐ。
クリスよりも二、三歳下であろうか、汚れを知らぬ純粋な瞳に涙を含ませて言った。
「そう。有難うマリア。心配を掛けちゃったわね」
慈しむ様な微笑みを讃えながら、礼を述べる。
「なあ、クリス嬢。レオン殿は何処だい?」
全身を血で深紅に染めたキンカラが尋ねる。
「兄上ですか?そういえば…まさか、一人であの大勢を?」
「何処だ? ちょっとヤバいなそいつぁ。俺は援護してくるから、お前等先にクラウスに戻ってろ」
「たしか、この辺りから真直ぐに西へ向かった先だと思います。…キンカラ殿、兄をお願いします」
縋るような目でキンカラに懇願した。
「大丈夫だ、レオン殿はしっかり助けるからな。安心して待ってろ」
そう言い残すと、キンカラは大弓と大剣を背負って森の奥深くへ駆け出した。
「さて、私達は先に戻りましょうか。うちの王様にも報告しないといけないし。皇子様の謁見はレオン君が帰ってきてからでも良いでしょう」
「そうですね、お母様。エアリーズ様もクリス様も疲れているようですし、今日はぐっすり休みましょう」
シヴァはクリスからエアリーズを受け取り、クラウスへと歩いていく。
「シヴァ様、キンカラ殿は大丈夫でしょうか?」
少し不安になって、クリスが聞いた。
シヴァはクリスの方を向き、笑ってみせた。
「大丈夫よ。紅の勇者。それがあの人の通り名だもの」