初恋
潤子は、気が気でなかった。拓也の視線が気になるのだ。こっちを向いて欲しい。正直な潤子の心境であった。
拓也の席は、彼女のふたつ向こうだ。横から見る彼の顔は凛々しい。かっこいいのである。しかし、現実問題として、彼は黒板を注視して、彼女に目もくれない。あえて気を引くのも遠慮された。そのまま授業は続き、そして、残酷にも終礼のチャイムが鳴ってしまった。
「へへっ、ねえ、潤子?」
と、隣の由紀恵が、意地悪く声を掛けてくる。ニヤニヤしている。
「さっきの授業中、必死だったね?分かる、分かる」
「何よ?」
「思い切って告白すれば?スカッとするかも」
「冗談言わないでよ、あんた、本当に女心を分かってんの?」
「はいはい」
問題の拓也は、親友たちと雑談している。実に愉快そうだ。潤子は何だか恨めしくなって、席を立った。
潤子は、高校2年生である。
もう季節も秋である。枯れ葉が舞い散り、そよ風の吹く秋。彼女は、教室の窓辺から見える白樺の木々をボンヤリと眺めていた.............。
その日の放課後である。拓也は、親友の哲二や健一と一緒に帰宅していた。道は、高校そばの国道の舗道である。車の行き来が激しい。
探り屋の哲二は、拓也を振り向いて、
「お前、まだ彼女いないのか、怪しいな?」
控えめな健一は、無言だ。
すると、拓也は学生鞄を持ち上げて、
「来年は3年生だろ?そろそろ、大学の受験勉強始めないと」
「お前、相変わらず、真面目だな?恐れ入るよ」
「どこの大学、目指してんだ?」
と、健一が尋ねた。
「いいや、まだ。模試を受けたら、よく考えなきゃ」
「ふーん、大学かあ」
と、哲二は考え深げだ。
帰宅した潤子は、帰るなり、キッチンの冷蔵庫に突進した。こうなったら、気分転換に何か食べてやる。冷蔵庫の扉を開けると、目の前の苺のショートケーキがある。ラッキー。潤子は、貪り食った。食べながら思った。拓也君と一緒に学校から帰れたらなあ。仕方ないかなあ。でも、ありがとう、ケーキさん。美味しかったわ。
翌日である。1時限目の授業が終わり、休憩となった。潤子は、友だちの由紀恵とダベっていた。
「昨日、近所にクレープのお店出来たんだ。今度、潤子も誘うから?」
「本当?美味しかった?」
「うん、生クリームにキーウィで、生地がモチモチだもん。やみつきね?」
「ねえ、君たち?」
ふたりが見上げると、そこに拓也がいた。
「ちょっと、いいかな?」
突如、潤子が席を立って逃げ出した。拓也は、呆気に取られている。慌てて、由紀恵があとを追う。
潤子は、近くの女子トイレにいた。見つけた由紀恵は鏡の前で、
「チャンスじゃない?何、逃げてんのよ?答えなきゃ」
「何か恥ずかしくてさ」
「分かるけど、駄目ね、潤子って」
「でも、あたし頑張る」
「その意気、その意気、いいぞ」
2時限目の授業は、数学の抜き打ちテストであった。生徒たちから一斉に不満の声が上がる。
答案用紙のプリントが配られる。配っていたのは、当の拓也であった。隣の由紀恵が足で潤子をこづく。潤子は頷いた。
潤子の番だ。何気なく、拓也が潤子にプリント用紙を渡した。
「ありがとう」
と、潤子は言った。すると何気なく拓也が微笑んだような気がしてならなかった。思い切ってよかった。まずまずよね。
昼休みである。小鳥たちのさえずりが、けたたましく鳴いているようだ。
高校のグラウンドの校舎と反対側にある学食で、長い机にすわり、潤子と由紀恵は、仲良く天ぷらそば定食を食べていた。
「だからさ」
と、由紀恵が意気込む。まるで自分事のようである。
「ここで押しの一手よ。何か話しかけるきっかけがなきゃ」
「きっかけ?」
「だから、何かないの?最近、生理止まったとかさ、入れ歯なくしたとかさ?」
「悪い冗談はやめて」
「ごめん、ごめん。でもさ、恋って本人の問題だもんな、難しいよ?」
午後の休憩時間である。
机で片肘をついて、潤子はボンヤリともの思いに耽っていた。そういえば、最近、趣味のデコシール集めもキティちゃんグッズも買ってないなあ。以前までは、よく友だちと買いに行ったのに。
そういえば、由紀恵がいない。どこ行ったんだろう。と思って、キョロキョロしていて驚いた。何と、拓也が、クラスメートの綺麗な子と仲良く話しているではないか。これは大変だ。
潤子は、やにわに机の教科書を引っつかむと、スタスタと拓也の所へ行き、
「藤岡君、あたし、分からない問題があるんだけど、教えてくれない?」
「うん?」
と、拓也がこちらを見上げた。そして、潤子の広げた教科書を見て、
「ああ、物理か、これ分かんないのかい?これは、斜面を滑り降りる物体の運動エネルギーを求めるんだな?それじゃあ...................、まずは運動エネルギーは1/2mv2乗だから、速度を求めるには、斜面の角度から三角関数を使い、そこから斜面の摩擦力を引いて...................」
よく分からんが、正直、拓也のそばにいれて嬉しかった。拓也がいる。しばらく、潤子は陶然とした気分で立ち尽くしていた..........................。
「お前、仲いいじゃないか、ええ?」
と、哲二が言った。探るような眼差しである。
「いつの間に、あいつと出来てたんだよ?」
「そんなんじゃないよ。勉強を教えただけだよ、勘違いするなよ」
「袖振り合う縁も、って言うからなあ」
と、今度は健一がダメ押しをする。呆れて、哲也は席を立った。ふたりがあとを追う。
午後の最後の授業である。
授業は、歴史である。平安時代の武家社会について、教師が朗々と語っている最中だ。隣の由紀恵が、潤子を肘で小突く。何だろうと、辺りを見渡して驚いた。よく見ると、拓也がじっとこちらを見ている。やだ、恥ずかしい。拓也君ったら、あたし、意識してる。何でこれ?嬉しいけど、不思議な気分。あれ、またノート見てるか、おや、またこっち向いた。やだ、本当に。恥ずかしくなっちゃう。思わず潤子はいたたまれずに、下を向いたのであった.........。
「ねえ、スイーツ食べようよ?」
さっきから、由紀恵がうるさい。まるで、青洟を垂らしたガキである。食べたい、食べたいの一点張りだ。
潤子は、思いあまって、
「そんなに食べたけりゃ、ひとりで行けば?迷子になるかもよ?」
「そりゃ、つれないよ。愛する我が子を戦場に送るなー!!」
場所は、駅ビルの隣にあるショッピングモールのホールである。何本ものエスカレーターが列を成して並んで上がっていく。通路の両側には、色とりどりの専門店が所狭しとひきめしあっている。
「1階じゃないわね。あれ?どこだっけ?」
と、潤子はエスカレーターわきの地図のパネルを覗いた。どうやら3階の中央あたりらしい。
「腹が減っては戦に勝てずっていうじゃない?ねえ、まずはスイーツ食べようよ?」
「自分のお肉でも食べてれば?最近、ウェスト周り大きくなったわよ」
これは痛いところを突かれたらしい。急に由紀恵がシュンとして黙り込んだ。
潤子が目指す店は、「WORLDS CHOCOLATE CRAFT」である。以前より、彼女が目をつけていた注目の店だ。世界中の有名なチョコレートを集めて生産や販売をしている店なのだ。ふたりは、華やかな色彩の店内に潜入する。とは言っても、目的は拓也のためにチョコを買うことなのだが。
ショーケースの中で、賑やかに並ぶ色とりどりのチョコレートを眺めながら、馬鹿面をした由紀恵がボンヤリしている。潤子は、ケースのパネルを見て、
「世界三大チョコ大国って、ベルギー、フランス、スイスだって、知ってた?いろんなチョコがあるのね、プラリネ、トリュフ、ガナッシュ、ジャンデュイア。キャンディー包みのリンツはスイスの会社で有名だし、あとアメリカのハーシー社もそうね?あれ?由紀恵?」
いつの間にか、由紀恵は若い女店員の前へ行って、
「あの、試供品あります?」
と、チョコをねだっている。そして、ひと口、チョコを頬張って、
「これも美味しいよ、これにしなよ、あたしのお勧めだけど?」
「それ、どれですか?」
と、潤子が店員に尋ねた。すると、
「はい、こちらになります」
と、ショーケースの中を指し示した。綺麗なハート型をしたチョコだった。ベルギーのマルコリーニ社の「クールブラン」という作品らしい。ハート型かあ、でも、恋の告白にはちょうどいいかも?よし、由紀恵の言うとおりにこれにするか?
「じゃあ、それ下さい?」
「毎度ありがとうございます。あの、プレゼント用でございますか?」
「青い包装紙とリボンにして?」
「はい、承りました」
結局、由紀恵は、パンケーキ2皿と、チョコパフェと、フルーツカクテル2杯と、あんみつ2杯をペロリと食べた。
「あんた、よくそれだけ食べられるね?」
すると、由紀恵は、
「別腹、別腹。まだいけちゃうんだから。それよりさ、そのプレゼント、露骨だね。ハートなんて」
「うるさい。乙女の純情な気持ちよ。でも、馬鹿にならないわね、このチョコの値段」
「愛に比べれば、お金なんて?」
「生意気言うんじゃない」
「へへっ」
翌日の放課後である。潤子は、両手に昨日のプレゼントを握っている。
「ねえ、藤岡君?」
「うん?」
と、拓也が見上げた。
「これ、この前、勉強教えてくれたお礼に。それに.............、あたしの気持ちも入ってるから」
「そっか?ありがたく貰っとくよ。でも、勉強で分かんないところあったら、いつでも聞きに来いよ、教えるから」
「うん」
「これ、恋の告白だよな?間違いないよな?」
と、哲二が非常階段の手すりにつかまってうるさい。
拓也はチョコを見て無言だ。
健一が気をきかせて、
「お前も正直な気持ちを返せよ。でないと、彼女に悪いぞ」
「うん」
と、拓也が言った。
翌日の放課後。
潤子と由紀恵が、今度一緒に行くホラー映画の話題でキャッキャッと盛り上がっていると、そこへ鞄を持った拓也がやって来た。驚いて潤子が見上げると、
「ねえ、一緒に帰らないか?」
と、誘ってきた。すると急に、由紀恵が思い出したように、
「あっ、そうだ。真由美にこの前借りた本返さなきゃ」
と、とっとと行ってしまう。残された潤子は、頬を赤く染めながら、
「うん、帰ろ?」
窓の外では、柔らかな木枯らしが吹いていた。校舎を去っていくふたりの後ろで、いつまでも優しく枯れ葉がクルクルと回っていた.....................。




