ep.7
王立学園の門を出ると、夕暮れの王都が広がっていた。
石畳の道にはまだ人通りが多く、屋台の匂いと人々の声が入り混じっている。昼の賑わいが少しずつ落ち着き、夜の灯りが灯り始める時間だ。
俺は杖をつきながらゆっくり歩く。
隣には騎士団長ガイル。銀の鎧を着た長身の男で、歩くたびに金属の擦れる音が静かに響く。
しばらく無言で歩いていたが、やがてガイルが口を開いた。
「では、失踪事件についてお話しします。最初の失踪は三週間前、王都南区の仕立屋の娘です。年齢は十六、夜に店の手伝いを終えて帰宅する途中で姿を消しました」
「目撃者はおらんのか」
「いません。争った形跡もなく、持ち物も現場に残っていません」
俺は黙って頷き、杖をつきながら歩き続けた。夕暮れの空はゆっくりと暗くなり、店先の灯りが一つずつ点き始めている。
ガイルは続ける。
「二人目は二週間前、王都東区のパン屋の娘です。年齢は十五、これも帰宅途中に姿を消しました。状況は最初の事件とほぼ同じです」
「三人目は」
「一週間前です。王都北区の薬師の娘、年齢は十七。やはり夜の帰宅途中でした」
三件。
場所は南区、東区、北区とばらばらだが、共通点は明確だった。
若い娘。
夜。
一人で帰宅中。
俺は少しだけ足を緩めた。
「身代金の要求はないのか」
「ありません。遺体も見つかっておらず、目撃証言もない」
ガイルの声は淡々としているが、その奥に緊張があるのがわかる。
俺は空を見上げた。夕焼けはすでに消え、紺色の空が広がり始めていた。
「騎士団はどう見ておる」
「組織的な犯行と考えています。犯人は一人ではありません。手口があまりにも正確で、痕跡を消す技術も高い」
「魔術の可能性は」
「否定はできません。ただし現場から魔力反応は出ていません。魔導士にも調査させましたが、結果は同じでした」
俺は再び歩き出す。石畳に杖の音が静かに響いた。
魔力反応が残っていない。
つまり魔術を使っていないか、あるいは痕跡を消す技術を持つ者の仕業だ。
「魔術に慣れた者の可能性が高いの」
「その通りです」
通りには人が減り始めていた。夜が近づいている。
俺は少しだけ笑う。
「奇妙な話じゃな」
ガイルがこちらを見る。
「奇妙、ですか」
「娘ばかり三人、しかも年齢が近い。偶然とは思えぬ」
「私も同じ考えです。しかし目的が見えない。金でも復讐でもない、ただ娘だけを攫う」
俺は小さく息を吐いた。
その瞬間、頭の奥に一つの記憶が浮かんだ。
いや、記憶というより知識だ。
前世の記憶。
佐藤太郎、三十歳。
乙女ゲーム廃人。
そしてこの世界の元になっているゲーム、『聖なる乙女と七つの聖約』。
あのゲームの中盤、確かにこんな事件があった。
俺は思わず立ち止まる。
ガイルが振り返った。
「法皇様、どうかなさいましたか」
「いや、少し考え事じゃ」
再び歩きながら、頭の中で記憶を辿る。
あった。
確かにあった。
王都で若い娘が消える事件。学園生活に慣れた頃に発生する中盤のサブイベントだ。ヒロインの周囲で不穏な噂が広がり、攻略対象たちが捜査に関わることで物語が一段暗くなる。
事件の特徴は今聞いた話とほぼ同じ。
若い娘。
帰宅途中。
痕跡なし。
そして確か、この事件にはもう一つ共通点があった。
俺はガイルに視線を向ける。
「騎士団長、一つ聞く。攫われた娘たち、共通点は年齢だけか」
ガイルは少し考えてから答えた。
「もう一つあります。全員、わずかですが魔力を持っています。魔術師になるほどではありませんが、完全に無力というわけでもない」
俺は内心でため息をついた。
やはり一致している。
乙女ゲームの中盤サブイベント、【王都失踪事件】。
犯人は普通の人攫いではない。
闇の魔術結社。
若い娘の魔力を集め、禁術の儀式を行う連中。
確か名前は――黒月教団。
本来この事件は、ヒロインと攻略対象たちが協力して解決する。第一王子、騎士団長、魔導士。それぞれのルートで展開は変わるが、事件の核心は同じだった。
だが今、その中心にいるはずの娘――リリアは、まだ何も知らない。ただの学園の生徒として日常を送っている。
俺は小さく笑う。
世界はちゃんと進んでいるらしい。乙女ゲームの物語と同じ流れで。
ガイルが言った。
「法皇様、教会でも何か情報があればぜひお知らせください」
「わかった」
教会の尖塔が見えてきた。もうすぐ到着だ。
俺はゆっくり歩く。老いた足取りで。
教会の門の前で、ガイルが立ち止まった。
「ここで失礼します。本日はありがとうございました」
「気にするな」
ガイルは深く頭を下げ、王都の通りへ戻っていった。鎧の音が少しずつ遠ざかっていく。
俺は教会の門をくぐった。
庭は静かで、夜の鐘が鳴り始めている。昼の喧騒が嘘のような静けさだ。
俺は空を見上げる。
……女神め。
厄介なイベントをちゃんと残してくれたものだ。
まあいい。
今のところ、俺が出る幕ではない。本来この事件を解決するのは、若い連中の役目だ。
俺はゆっくり教会の扉を開いた。
老法皇の仕事は山ほどある。若者の冒険は若者に任せておけばいい。
……ただし。
本当に危なくなったら、その時は少しだけ手を貸してやろう。
◇
朝の鐘が鳴ると、王立学園は一斉に動き出す。
中庭を横切る生徒たち。廊下を急ぐ足音。教室から聞こえる椅子の音。朝の空気は少し冷たいけれど、太陽の光はやわらかくて、私はこの時間が好きだった。
私は本を胸に抱えて、教室の席に座る。
窓際の席。
ここに座るのも、だいぶ慣れてきた。
最初は視線が気になって仕方がなかった。平民が王立学園にいること自体が珍しいのだから、当然かもしれない。
けれど今は、少しだけ違う。
まだ視線はある。
でも、前ほどではない。
私は小さく息を吐いた。
「おはよう」
隣の席の女の子が声をかけてくれる。
名前はミア。貴族の子だけど、とても優しい。
「おはよう」
私も笑って答えた。
少しずつだけど、こうして話せる人も増えてきている。
そんなふうに思っていると、教室の扉が開いた。
先生だ。
年配の男性で、魔法史を教えている先生。教壇に立つと、教室が静かになった。
先生は出席簿を机に置き、教室を見回す。
「今日は授業の前に一つ話がある」
生徒たちが顔を上げる。
先生は少し真面目な顔をしていた。
「最近、王都で失踪事件が起きているのは知っているな」
教室がざわめいた。
私も思わず顔を上げる。
失踪事件。
その言葉は、昨日から王都のあちこちで聞こえていた。
先生は続ける。
「若い娘が三人、帰宅途中で姿を消している」
教室の空気が少し重くなる。
先生は腕を組んだ。
「まだ犯人は捕まっていない。騎士団が捜査中だ」
誰かが小さく息を呑む。
先生は生徒たちを見渡した。
「念のため言っておく。最近は一人で夜道を歩くな。帰るときは必ず誰かと一緒に行動すること」
「特に女子生徒は注意するように」
教室のあちこちで頷く声が聞こえる。
私は本を握りしめた。
少し怖い。
でも、学園の中は安全なはずだ。
先生は軽く咳払いをした。
「それでは授業を始める」
いつもの授業が始まった。
けれど教室の空気は、どこか落ち着かなかった。
授業が終わると、生徒たちは少しざわざわしながら席を立つ。
「怖いわね」
「本当に誘拐なの?」
「騎士団が動いてるなら大丈夫でしょ」
そんな声が聞こえる。
私は本を鞄に入れて、立ち上がった。
次の授業の教室へ向かうため、廊下へ出る。
その途中だった。
「ねえ」
声がかかる。
振り向くと、三人の令嬢が立っていた。
見覚えのある顔。
クロエ様の取り巻きの人たちだ。
私は少し緊張する。
一人が腕を組んだ。
「最近、ずいぶん元気そうね」
もう一人が笑う。
「法皇様に気に入られたから?」
周囲の空気が少し変わる。
廊下を歩いていた生徒たちが、ちらりとこちらを見る。
私は静かに言った。
「……別に、そんなことはありません」
「でも庇ってもらったんでしょう」
「庭園で」
三人がくすくす笑う。
胸の奥が少し痛くなる。
けれど、逃げるわけにはいかない。
私はゆっくり息を吸った。
「法皇様は、皆に同じように接しているだけです」
一人が眉をひそめた。
「言い返すの」
「生意気ね」
もう一人が私の鞄を指差す。
「平民のくせに」
廊下の空気が少し冷える。
周りの生徒たちは、遠巻きに見ているだけだ。
誰も止めない。
私は唇を噛んだ。
怖い。
でも。
逃げたくない。
「……私は」
言いかけた、そのとき。
「やめなさい」
静かな声が響いた。
三人が振り向く。
そこに立っていたのは、クロエ様だった。
金色の髪が陽の光を受けて輝いている。背筋を伸ばした姿は、やっぱり堂々としていた。
取り巻きの一人が慌てて言う。
「クロエ様、これは」
クロエ様は冷たい目で三人を見る。
「聞こえなかったの。やめなさいと言ったの」
廊下が静まり返る。
取り巻きたちは顔を見合わせた。
「でも、この子が」
「平民がどうこうという話は聞いていないわ」
クロエ様は腕を組む。
「くだらないことで騒がないで」
三人は戸惑った顔をした。
「……わかりました」
不満そうにしながらも、三人はその場を離れていく。
廊下の空気が少し緩んだ。
私はどうしていいかわからず、立ったままだった。
クロエ様は私を見る。
鋭い目だ。
でも、昨日より少しだけ違う気がした。
私は小さく頭を下げる。
「……ありがとうございました」
クロエ様は眉をひそめた。
「勘違いしないで」
冷たい声だった。
「別にあなたを助けたわけじゃない」
私は顔を上げる。
クロエ様は少しだけ視線を逸らした。
「興味がなくなっただけよ」
それだけ言うと、くるりと背を向ける。
金色の髪が揺れる。
クロエ様はそのまま廊下を歩いていった。
私はその背中を見送った。
胸の奥が、少しだけ温かい。
あの言葉はきっと、本当の理由じゃない。
でも、それでもいい。
私は鞄を抱え直す。
廊下の窓から、青い空が見えた。
王立学園での生活は、まだ始まったばかりだ。
怖いこともある。
でも、きっと大丈夫。
そう思えた。




