ep.3
王立学園から使者が来た。
俺は椅子の背にもたれながら、深く息を吐いた。
「……やっぱりそうなるか」
ついさっき、ちょっと浄化魔法を撃っただけである。魔物を消しただけ。しかも水晶越しの遠隔操作。だが王立学園からすれば、空から奇跡の光が降ってきて魔物が消えたのだ。原因が教会に結びつくのは当然だろう。
俺はちらりと神官たちを見た。
全員、ものすごく感動した顔をしている。
「さすが法皇様です……」
「やはり神の御業……」
「我らの祈りが届いたのですね……」
違う。
ただの浄化魔法だ。
俺は心の中で突っ込んだが、口には出さない。言ったところで信じてもらえないだろう。むしろ威厳が崩れるだけだ。
神官の一人が言った。
「法皇様、学園の使者をお通ししてもよろしいでしょうか」
「うむ」
どうせ断る理由もない。むしろ顔を出しておいたほうが今後動きやすいかもしれない。
やがて大広間の扉が開き、一人の男が入ってきた。王立学園の制服を着た壮年の男だ。おそらく教師だろう。男は俺を見るなり、床に膝をついた。
「法皇アルフォンス様。このたびは我ら王立学園をお救いいただき、誠にありがとうございました」
俺は内心でため息をついた。
「気にするでない」
とりあえず、法皇っぽいことを言っておく。
「困っている者を助けるのは、教会の務めじゃ」
神官たちが感動している。いや、そんな大層なことではないのだが。
教師は顔を上げた。
「実は王立学園の校長より、ぜひ法皇様を学園へお招きしたいとの申し出がございます」
「ほう」
「本日の奇跡について正式に感謝を申し上げたいと」
俺は少し考えた。
王立学園。
乙女ゲームのメイン舞台。
ヒロインのリリアが通い、攻略対象たちが集まり、そして悪役令嬢クロエが暗躍する場所だ。
(正直、めちゃくちゃ行きたい)
三百時間プレイしたゲームの舞台である。オタクとしては聖地巡礼みたいなものだ。だが同時に、問題もある。
俺は今――
七十二歳のジジイ法皇。
長距離移動は普通にきつい。
俺は立ち上がろうとした。
「よっこいしょ」
膝がバキッと鳴った。
神官たちがまた悲鳴を上げる。
「法皇様!?」
「大丈夫じゃ……ちょっと関節が神の試練を受けておるだけじゃ」
俺は膝をさすりながら言った。内心では別のことを思っていた。
(女神……マジで膝どうにかしてくれ)
TS転生を頼んだのにジジイにされただけでも酷いのに、膝までポンコツである。
だがまぁいい。
魔力は無限だ。
歩くのが面倒なら――
「転移すればいいか」
俺はぽつりと呟いた。
神代魔導大全の知識が頭の中に流れ込んでくる。転移魔法。空間移動。距離など関係ない。むしろ俺の魔力量なら、王国ごと移動させても余裕らしい。
(いや、それはやらん)
さすがに世界観が壊れる。
俺は教師を見た。
「学園へは、いつ行けばよい?」
教師の顔がぱっと明るくなった。
「できれば本日中にでも!」
……元気だなこの人。
だが、ちょうどいいかもしれない。入学式のあとなら、ヒロインや攻略対象たちもまだ学園にいるはずだ。
俺はうなずいた。
「よかろう。行こう」
神官たちがざわつく。
「法皇様が直々に……!」
「ありがたや……!」
いや、ただ見に行くだけだ。
だが口には出さない。威厳が大事だ。
俺は杖を手に取った。
「では少し失礼するぞ」
そして小さく呟く。
「転移」
次の瞬間、視界が光に包まれた。
◇
王立学園。
正門前。
光が消えたとき、俺は石造りの大きな門の前に立っていた。
教師が目を丸くしている。
「おお……転移魔法……」
「ほっほっ」
俺は適当に笑ってごまかした。
(便利すぎるなこれ)
門の向こうには広い中庭が見える。噴水があり、花壇があり、立派な校舎がそびえている。完全にゲームで見慣れた景色だ。
俺は思わず呟いた。
「おお……本物だ」
教師が首を傾げる。
「法皇様?」
「いや、なんでもない」
危ない危ない。オタク心が漏れるところだった。
俺たちが門をくぐると、周囲の生徒たちがざわめいた。
「法皇様だ……」
「本物……?」
「今日の奇跡の……」
生徒たちは完全に聖人を見る目で俺を見ている。そのとき、人混みの中から一人の少女が前に出てきた。
栗色の髪。
少し素朴な制服姿。
俺は一瞬でわかった。
リリア。
ヒロインである。
リリアは緊張した様子で俺の前に立つと、深く頭を下げた。
「法皇様……」
声が少し震えている。
「今日は……ありがとうございました」
俺はしばらく彼女を見つめた。
ゲームの中で何度も見てきたヒロイン。
だが今、目の前にいるのは本物だ。
(うん、やっぱり可愛い)
立ち絵より可愛い気がする。いや、たぶんオタク補正だろう。
俺は優しく言った。
「顔を上げなさい」
リリアはおそるおそる顔を上げた。
澄んだ瞳だ。
俺は少し笑った。
「無事でよかった」
リリアの目が少し丸くなる。
「え?」
「魔物は危険じゃったろう」
「は、はい……」
「だが、君は逃げずに周りを見ておった」
俺は水晶で見ていた。リリアは最後まで周囲を確認しながら動いていた。典型的なヒロイン気質だ。
リリアは照れたように笑った。
「そんな……私、怖くて動けなかっただけです」
俺は心の中で頷いた。
(うん、ヒロインだな)
そのときだった。
後ろから高い声が聞こえた。
「まあ」
俺は振り向いた。
そこに立っていたのは、豪華な金髪の少女だった。高価そうなドレス風の制服。自信に満ちた表情。
クロエ。
悪役令嬢である。
クロエはリリアを見下ろした。
「平民が法皇様とお話するなんて、随分と大胆ですのね」
……来た。
典型的な悪役令嬢ムーブだ。
リリアが慌てて頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……!」
クロエは鼻で笑った。
「身の程をわきまえなさい」
俺はその様子を見ながら、心の中でため息をついた。
(ゲーム通りだな)
クロエは序盤、平民のリリアを目の敵にする。これが後のイベントの伏線になるのだ。
だが今、俺がここにいる。
クロエが俺に視線を向けた。
「法皇様。お見苦しいところをお見せしました」
俺は少し考えた。
そして、にこりと笑った。
「いや、構わん」
クロエは少し驚いた顔をする。
俺は続けた。
「身分は違えど、皆この学園の生徒じゃ」
周囲の生徒がざわつく。
クロエの眉が少し動いた。
「平民も貴族も、同じ学び舎で学ぶ仲間」
俺は杖を軽くついた。
「そうであろう?」
しばらく沈黙が流れた。
クロエはゆっくり頭を下げた。
「……お言葉、胸に刻みますわ」
だがその目は笑っていない。
(おお、怖い)
俺は心の中で苦笑した。
悪役令嬢は健在らしい。
だがそのとき、俺の感覚がぴくりと動いた。
空気の奥。
魔力の気配。
俺は目を細めた。
(……またか)
どうやら今日のトラブルは、まだ終わっていないらしい。




