表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

ep.1

 ――人は死ぬとき、案外あっさり死ぬものらしい。


 少なくとも俺の場合はそうだった。ブラック企業で三日連続の残業。帰宅してからいつものように乙女ゲームを起動し、推しヒロインのルートを進めながら、画面に向かって「リリアちゃんマジ天使……」などと呟いていたところまでは覚えている。だがそのあと、急に視界が暗くなって、気がついたときには真っ白な空間に立っていた。


 いや、正確には「立っている感覚がある」というだけで、どこにも重力を感じない。床は雲のように柔らかいし、空間はやたらキラキラしている。そして目の前には――どう見ても女神としか思えない存在がいた。


 金髪。白いドレス。背中には羽。全体的に神々しい光のエフェクト。ゲームだったら絶対に回復魔法とかくれるタイプのNPCだ。


 俺は少し考えてから言った。


「……女神だな」


「はい、女神です!」


 ものすごく元気よく肯定された。なんというか、想像していたよりノリが軽い。


 俺はとりあえず状況を整理することにした。ここはどう見ても現実世界ではない。ということは、可能性は二つ。夢か、あるいは――


「俺、死んだのか?」


「はい!」


 また元気よく即答された。テンポが良すぎる。


「佐藤太郎さん。あなたは過労と睡眠不足による心臓発作で亡くなりました」


「……やっぱりか」


 ブラック企業め。いや、まぁ薄々こうなる気はしていた。だが今さら文句を言っても始まらない。むしろ、オタクとしてはこの状況はある意味でチャンスだ。


 俺は女神を見た。


「転生、できるのか?」


 女神は嬉しそうにうなずいた。


「できます!」


 来た。異世界転生である。オタク人生三十年、ラノベもアニメも読み漁ってきた俺にとって、この瞬間はある意味で夢のイベントだ。女神が指を鳴らすと、空中にいくつものパネルが浮かび上がった。


 RPG世界。SF世界。スローライフ世界。ダンジョン世界。いろいろある。


 その中で、俺の視線はあるタイトルに釘付けになった。


『聖なる乙女と七つの聖約』


 俺が死ぬ直前までプレイしていた乙女ゲームだ。王道ファンタジー乙女ゲーで、平民少女リリアが王立学園に入学し、七人の攻略対象と出会いながら恋愛と世界救済を両立していく物語。王子ルート、騎士団長ルート、魔導師ルートなど、いわゆるテンプレの王道だが、作り込みが凄まじい神ゲーだった。


 そして俺は――このゲームを三百時間以上プレイしている。全ルート制覇。隠しイベント完全回収。つまり言ってしまえば、ゲームの未来はだいたい知っている。


 俺は即答した。


「これ」


 女神が首を傾げる。


「この世界でいいんですか?」


「むしろ最高だ」


 俺は拳を握った。乙女ゲーム世界転生。しかも内容を完全に把握している。これほど有利なスタートはないだろう。だがここで重要な条件がある。俺は真剣な顔で言った。


「条件がある」


「はい?」


「TS転生で頼む」


 女神が目をぱちぱちさせる。


「TS?」


「そう。性転換だ」


「ほうほう」


「つまり、男の俺が女になって転生する」


「なるほど」


「ヒロイン側で乙女ゲームを体験したい」


 これはオタクとして当然の願望だ。乙女ゲームをプレイしていると、一度は思う。「もし自分がヒロインだったら」と。攻略対象たちに囲まれながらイベントを体験してみたい。そんな願いを、今ここで叶えられるのだ。


 女神はうんうんとうなずいた。


「つまり!」


「うん」


「Tough Saintですね!」


 ……ん?


「タフ……?」


「はい! 屈強な聖人!」


 いや待て。俺はゆっくり言った。


「違う」


「え?」


「TSってのは――」


 その瞬間、女神がぱんっと手を叩いた。


「わかりました!」


「え?」


「お任せください!」


 嫌な予感がした。ものすごく嫌な予感がした。


「ではあなたを!」


 女神はキラキラした笑顔で宣言した。


「Tough Saintとして転生させます!」


「だから違――」


 その瞬間、視界が光に包まれた。真っ白な光。俺は慌てて叫ぼうとしたが、声は途中で消えた。


 そして次に目を開けたとき、俺は豪華な椅子に座っていた。


 まるで王座のような椅子だ。周囲には石造りの大広間。ステンドグラスから光が差し込み、やたら荘厳な雰囲気が漂っている。そして目の前には、黒い法衣を着た人たちがずらりと並び、全員が跪いていた。


「……?」


 俺は口を開いた。


「えーと」


 声が出た。だがその声は、想像していたものとはまるで違った。やけに低く、やけに渋い。


「……ほっほっ」


 ……ほっほ?


 今、俺、ほっほって言った?


 嫌な汗が出てきた。俺は震える手を視界の前に出す。しわしわだった。骨ばっていて、皮膚は明らかに年寄りのそれだ。


 ゆっくりと顔を触る。長いひげ。白い。完全に老人の感触だ。


 嫌な予感が爆発した。


「鏡」


 かすれた声でそう言うと、近くにいた神官が慌てて鏡を差し出してきた。俺はそれを見た。


 そこに映っていたのは、白髪に長いひげをたくわえた威厳ある老人だった。どう見ても七十代。どこからどう見てもジジイ。


 俺は静かに言った。


「……女神」


 誰も答えない。


「女神ぃぃぃぃぃ!!」


 心の中で絶叫した。どういうことだ。俺はTS転生を頼んだ。女になって乙女ゲームを体験したいと言った。青春と恋愛を満喫する予定だった。それなのに、なぜか鏡の中にいるのは立派な老人だ。


 隣にいた神官が恭しく言った。


「法皇様、本日の儀式の時間です」


「……ほう?」


「はい、アルフォンス法皇様」


 アルフォンス。


 その名前を聞いた瞬間、俺の頭の中でゲームの記憶が弾けた。このゲームには確かにいる。序盤に出てくる教会の偉い人。ヒロインに祝福を与えるだけの名脇役のおじいちゃん。


 アルフォンス法皇。


「……俺、こいつ?」


 俺は遠い目になった。TS転生。女の子になって乙女ゲーム。青春。恋愛。きゃっきゃうふふ。その夢がすべて崩れ去り、現実として残ったのは――七十二歳のジジイだった。


「よりによってジジイかよ!」


 神官たちが一斉にざわつく。


「法皇様!?」


「女神あの野郎!」


「法皇様!?」


「TSをタフ聖人と勘違いしやがった!」


 神官たちは完全に混乱しているが、俺は止まらなかった。どう考えてもあの女神のミスだ。Tough Saintってなんだ。俺の体を見ろ。どう見てもタフでも聖人でもない。ただの老人だ。


 いや、むしろTired Seniorだろう。疲れた老人。ブラック企業で死んだあとにジジイ転生とか、どんな罰ゲームだ。


 俺は深くため息をついた。だがそのとき、ふと視界に文字が浮かんだ。


 ――ステータス――

 名前:アルフォンス

 年齢:72

 職業:法皇


 魔力:∞(女神のバグ)

 神代魔導大全:解放済み

 全属性究極魔法:使用可能

 教会支配権:100%

 ――――――――――


 俺はしばらく無言でそれを見つめた。


 魔力。∞。


 無限。


 神代魔導大全。全属性究極魔法。教会支配権。


 ……どうやら女神は、TSの代わりにとんでもないチートを詰め込んでくれたらしい。


 俺は椅子の背にもたれた。なるほど、状況は理解した。俺は乙女ゲーム世界の背景キャラ。七十二歳のジジイ法皇。しかし魔力は無限で、しかも教会のトップ。つまり実質的にはかなり自由に動ける立場だ。


 俺はふっと笑った。


「ほっほっほ」


 神官たちが感動している。


「法皇様が笑っておられる……!」


「ありがたや……!」


 いや、そんな大した意味はない。ただ少し面白くなってきただけだ。


 乙女ゲーム『聖なる乙女と七つの聖約』。ヒロインは平民少女リリア。彼女はこれから王立学園に入学し、攻略対象たちと出会い、恋愛イベントを進めながら世界の危機に立ち向かうことになる。


 そして俺はそのすべてを知っている。


 イベントも。陰謀も。バッドエンドも。


 つまり――最高の観客席だ。


 俺は立ち上がろうとした。


「よっこいしょ」


 膝がバキッと鳴った。神官たちが悲鳴を上げる。


「法皇様!?」


 俺は膝をさすりながら苦笑する。魔力は無限だが、体は普通に老人らしい。最強の魔力とジジイの肉体。このギャップはなかなか厳しい。


 それでも、まぁ悪くない。


 どうせ恋愛イベントには参加できない。ならば陰から眺めて楽しめばいい。必要ならちょっと奇跡を起こして、イベントをいい感じに調整してやるのも面白そうだ。


 俺がそんなことを考えていると、神官が慌てて大広間に駆け込んできた。


「法皇様!」


「なんじゃ」


「王立学園の入学式で……奇妙な魔物が出現しました!」


 俺は眉を上げた。


 ゲームの知識を思い出す。入学式イベントに魔物なんて出てこない。つまりこれは、ゲームにはない展開だ。バグか、それとも女神の追加ミスか。


 俺は杖を手に取った。


「仕方ないのう」


 腰が鳴る。足も重い。だが魔力は無限だ。


「ちょっと奇跡を起こしてくるかの」


 乙女ゲームの舞台裏で、ジジイの無双が静かに始まろうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ