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―3―

 午後。

 呉葉はとりたてて命じられた仕事もないまま、裏庭の片隅に腰を下ろしていた。

 風に木陰が揺れる。もうじき秋だというのに、日差しはまだ強くて、空はどこまでも高い。


「こんなの、まだ田舎の方が気楽だった」

 ぽろっと本音が落ちる。


 都は、思っていたよりも窮屈だった。

 手伝いたくても、手を出すたびに止められる。

 なにが良くて、なにがダメなのか。


(……早く作法を覚えなきゃ)

 そうしないと藤を手伝えない。

 真っ白な指で、袖をぎゅっと掴む藤の姿が浮かぶ。

(アタシのせいで藤が怒られる)


 呉葉は、ふうっ、と息をついた。

 雲がのんびりと遠くへ流れていく。


 ──つい、だった。

 いつものように、胸の前でそっと両手を広げる。

 視界の縁が紅く染まり、体の芯がじわりと熱くなる。

 息を吹きかけると、冬でもないのに白い筋が浮かび、それが煙みたいにほどけて淡く光りだした。


 蝶の形。

 粉雪のような光を散らしながら、ふわりと薄れていく。


 里で、よくやっていた遊び。

 嫌なことがあったときは、いつもこうやって気晴らしをしていた。

 ……いつもの、癖。

 気を抜きすぎていた。近づく足音にも気づかないほどに。


「紅葉、常陸の方さまがお呼びに──」

 その声に、呉葉の肩が跳ねた。

 とっさに両手を閉じる。蝶は煙に戻って、すうっと消えた。


 振り向くと、藤が目を大きく見開いたまま立っていた。

 顔が青い。いや、白い。

「……今の、なに?」


「な、なんでもない」

 喉がごくりと鳴る。

 しまった、と思った表情を隠せていないことに、呉葉は自分でも気づいていた。


 呉葉の言葉で、藤の目が揺れた。

 直後に、藤の顔色が消える。

「じゅ……呪術……? 鬼……」

 後ずさりながら、震える声。

「ち、違う……」

 肺がぎゅっと締めつけられる。

 咄嗟に言ったものの、後が続かない。

 呉葉は必死で、言葉を絞り出した。

「これは、そんな悪い力じゃなくて……ただの遊びみたいなもので……」

「……遊び?」

 訝しむような顔。怯えるような目。

 藤はじっと呉葉を探るように視線を動かす。


「紅葉は……」

 やがて藤が口を開いた。

「鬼じゃ……ないん、だよね?」

「違う。鬼なんかじゃない」

 呉葉は即座に答えた。

「声を落として」

 藤が血相を変えて呉葉の唇に指を当てる。そして、さっと周囲をうかがう。

 ……裏庭は静かで、誰かが来る気配もない。

 それを確かめてから、やっと藤は指を離した。


 呉葉は藤に、身を折るように頭を下げた。

「今のこと、誰にも話さないで欲しい」

「…………」

「もし知られたら、アタシは都にいられなくなってしまう」

 呉葉はすがるような気持ちで、ためらいがちに視線を上げた。

 声が震えている。

 自分でもみっともないと思いながら、止められない。


 藤は迷うように視線を伏せた。

 なにかに迷うように、目が泳いでいる。

 その沈黙に呉葉はまた呼吸が苦しくなる。


「……今の力、ほかに誰かに見られたことは?」

 藤がためらいがちに口にした。

「ない。……と、思う」

 少なくとも、都で使ったのはこれが初めてだ。

 呉葉は藤の表情をうかがう。


 やがて藤が小さく頷いた。

「……わかった」

 少しだけ呼吸が楽になる。

「その力のことは、誰にも言わないから安心して。……でも、今みたいなことは絶対にもうしないで」

「ありがとう、藤」

 呉葉はほっとした。

「もう絶対にしない」

 肩の力が抜ける。それを見て、藤もやっと微笑んだ。


 ──ほんの、一瞬。

 藤の目が暗く揺らいだ。……ように、見えた。

 なにか言いかけて、いったんのみこんだ。だが、藤はもう一度低く口を開いた。

「……その力、って」

 藤はちらっと、低い声でささやいた。

「誰かを呪ったりとか……できるの?」

 呉葉は首を振る。

「やったことない。がんばればできるかもしれないけど、やっちゃいけないって言われてる。

 だから、やらない」

「そっ、か」

 藤は曖昧に微笑んだまま、小さくこぼした。



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