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―4―

「これは、アタシが会津から来たときにつけていた紐だ」

 呉葉は匂い袋の紐を指先でつまみあげ、高くかざした。


 手触り。

 初めてつけてくれたときの、母の指先。

 それを思い出す。


「目立つといけないからって、藤が白い紐に取り替えてくれたんだ」

「……それが、なにか?」

 低く冷たい声。

 藤の表情は扇の影で見えない。

 それなのに空気はぴりっ、と張っている。

 呉葉の喉が鳴る。


「藤に預けたまま、忘れていた。それが、どうして匂い袋の紐とすり替わっているんだ?」

「わたしが知るわけがないでしょう」

 藤が睨みつけた。

 白砂の庭はやけに明るい。なのに呉葉の胸の中には、暗い火が燃えている。

 呉葉はまっすぐに藤を見上げた。


「いいや。あんたは知っている」

 維茂が間を切った。その視線は、まっすぐに藤を刺している。

 維茂は、経基、御母堂、そして背後の女房たちの顔を順番に眺めた。



 維茂はさらに続けた。

「木の呪詛人形に書かれていた『常陸』の文字。

 もし、呉葉が藤の文字の癖を真似たんだとしたら、自分の匂い袋の紐を呪詛人形に使う意味がわからない。

 沈香の匂いから秩父を疑わせるなら秩父の字を真似るはずだ」

 誰かがごくり、とつばを飲み込む。


「ところが、あんたは紅葉から預かった紐のありかを知っていた。匂い袋がどこにあるかも知っていた。紅葉が練習した文字の紙も、手にできた。

 そして──」

 庭が静まり返っている。

 誰ひとり、言葉も、音も、発しようとしない。


 維茂は、はっきりと告げた。

「紅葉の紐と匂い袋の紐をすり替え、紅葉の書いた紙を、紅葉の葛籠に仕込むことが出来た人物。

 それは、あんただけだ」

「…………っ」

 藤は口をひらきかけて、言葉を失った。

 扇の骨がきしむ音が、呉葉には聞こえた気がした。


「お、同じ色なだけで、紅葉の紐とは限らないでしょう?」

 藤が声を絞り出す。

 すかさず呉葉は返した。

「いや、アタシのだ」

「どうしてそう言えるの!」

 藤が叫ぶように声を荒げた。


 呉葉はすうっと息を整えた。

 そして大きく目を開き、藤を見据えた。

「この紐、端っこのほうがちょっとだけ青いだろ?

 ……見えなかったら、家司に確認してもらってくれ」

 指で端をひねって見せる。光が当たったところだけ、青が滲む。

「母が染めるのに失敗したんだ。だから、わかる。……これは、アタシの紐だ」

 藤の顔から色が抜けたように見えた。

 次の瞬間庭の砂のように、真っ白になる。


 女房たちの肩が揺れ動き、ざわめきが波を打つ。

「まさか……」

「藤の方さまが?」

 ひそむ声。藤の扇を持つ手が震える。

 藤は後ろへ威圧するような視線を向けた。しかし、ざわめきは収まる気配がない。


 藤はじっと呉葉を見た。続いて、ぱっと経基へ向き直る。

「濡れ衣です!」

 経基の目が藤のほうを向いた。

 冷たい、乾いた目。感情の入る隙間がない視線。

 藤の喉が、ひゅっ、と鳴ったのがわかった。


「わ、わたしはただ……家を守るために──」

 すがるように藤は声を上げた。


「お前の実家のある下総は、今年はひどい不作だそうだな」

 維茂が横から差し込む。

 刃のように静かで冷たい声。

 藤の目が大きく見開かれた。

「オレも同じ坂東の生まれだ。あのあたりのことは、よく知ってる。……あんたの家は、先の戦乱で敗北した側にいたよな?」

 藤の目が必死に言葉を探してさまよう。

「だが、その家は持ちこたえている、と聞いた。あんたが局の要になったことで仕送りが増えたんだろう」

 維茂は静かに目を伏せた。

 藤の目は大きく見開かれたまま、止まる。


「常陸がいなくなったあと。

 次の局の要候補である秩父と、経基のお気に入りである紅葉の両方を追い出す。

 そうなれば、自分が追い出される不安もなく、それどころか局の要にもなれる。

 ──それが、藤の狙いだったんだ」

「違い、ます……」

 藤はかすれた声を落とした。

「そんな恐ろしい真似、わたしにできるはずがありません」

 そして顔を伏せ首を横に振る。


 かと思うと顔をばっと上げた。

 経基に向かって必死に叫ぶ。

「殿、今すぐ維茂さまを命令違反で処罰してください! これは明らかな朝廷の討伐令違反です!」


「藤」

 経基が目も合わせずに、低く落とした。

 その一言だけで、藤がびくっと黙る。

「維茂の言い分を、返せるなら返して見せよ」


 藤は呼吸の仕方を忘れたように黙り込んだ。

 扇を持つ腕がだらりと下がり、うなだれたまま動けない。

 女房たちも、御母堂も、ただじっと、藤を見つめるだけだった。


 やがて経基が静かに告げた。

「藤に尋ねる。

 秩父の方に呪詛の冤罪を仕かけ、紅葉の方にその罪をなすりつけたと考えていいのだな?」

 藤の指先がかすかに震えた。

 扇がぽとり、と床に落ちる。


「……お待ち、ください」

 か細い声。

「わたしは、そのようなことは……」

「していない、というのか?」

 淡々と経基は重ねる。

「では誰がやったというのか。説明してみせよ」

 藤の喉が詰まる。

 目はうつろに下に落ちたまま、言葉が出てこない。

「わたし、は……」

 藤は喉から声を絞り出した。

「しんじて……ください。わたしは、本当に、家のために──」

「あなたの言う家とは、当家のことですか。それとも、あなたのご実家のことですか?」

 穏やかな声で、御母堂が刺した。

 藤は体をぴくっとさせて、口を止めた。

「……答えられないということは、そういうことなのだな」

 経基の声が、冷たく突き刺さった。


 女房たちは、しん、と静まり返っている。

 御母堂も目を伏せたまま、下を向いて黙り込んだ。


「藤」

 呉葉は声を出した。

 ただまっすぐに藤を見る。

「どうしてこんなことをしたんだ」


 藤はうなだれたまま、肩を小さく震わせていた。

 呉葉の喉の奥が熱くなる。

 怒り。寂しさ。痛み。

 いろんな感情が一気に押し寄せてくる。


 藤がようやく視線を上げる。

 泣きそうな、弱々しい目。

 その目の奥を呉葉は探る。

 優しかった藤を。仕事を教えてくれた藤を。

 厳しいけれどずっと見てくれた藤を。

 胸の奥底が、爆発しそうに熱い。


「都に来てなにもわからなかったアタシに、藤はいろんなことを教えてくれた。

 藤がいてくれたから、アタシは都でがんばろうって思えたんだ。

 なのにどうして──」


「……あなたに」

 ぽつりと藤がこぼす。

 その目に光が宿っている。

 ……とても、暗い光が。

 藤のやさしさの奥。ずっと隠してきた、濁り。弱さ。あがき。

 その中身が、割れて飛び出している。


「あなたに、滅びかけた家の辛さなんかわからない」

 藤は呉葉をにらみつけた。

「戦で負けた側についてしまった家の、荒れた領地に手もつけられない貧しさも、泥の中に踏みつけられる悔しさも!」

「わからない」

 呉葉は即答した。

 それでも目はそらさない。

「けど、アタシならそんなことを理由にしない」

 藤の瞳が揺れる。

「アタシなら、つらい過去も、しんどい思い出も、間違ったことをする言い訳に使ったりしない」

 胸が痛い。

 それでも呉葉は言葉を止めなかった。

「自分に言い訳なんかしてたら、間違ってるのがわかってたら、戦えない。

 アタシは、自分が正しいと思えることをしたいから」

 呉葉の言葉が、庭の白砂の上に、静かに落ちた。


 藤は固まった。

 そして床に倒れ伏した。




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