―3―
維茂は、木の呪詛人形を手に取った。そして、貼りついていた紙を広げる。
ひっ、と女房たちが息をのんだ。
木の呪詛人形。
それが縁の下から出てきた場面を、まだ思い出せる。
そのときの凍りつくような空気も。
呉葉も思わず顔をこわばらせた。
「この紙には、当然呪う相手の名前──『常陸』と書いてある」
維茂は紙を持ち上げた。
じっと藤を見る。
藤はわずかに眉をしかめただけだ。
維茂は続ける。
「さっきの『紅葉』の字はあれだけヘロヘロだったのに、こっちの『常陸』の文字はやけにはっきり書いてある。
……同一人物が書いたとは、とても思えない」
藤の表情が固くなった。
扇がわずかに動いている。
「紅葉が、こっそり練習をしていたのでしょう」
落ち着いた低い声。
しかしわずかな震えがあることに、呉葉は気づいた。
すかさず維茂は言った。
「教わる相手もなしにか?」
「そ、れは……」
藤の目がかすかに揺らぐ。
女房たちのささやきがあちこちから走る。
「どなたかに代筆してもらったとか?」
「秩父さまでは?」
「いいや、違うな」
さざなみを沈めるかのように維茂の声が響いた。
「オレはこの文字を書いたヤツに心当たりがある」
「アタシも、知っている」
呉葉も足を前に踏み出した。
……維茂と話して決めた、作戦。
その二つ目。
足は震えていない。
そのかわり喉がひどく乾く。
それでも呉葉は声を張り上げた。
「この字は、下のほうが少しだけ左に寄れている。この癖は、藤の字だ」
「そのような証拠、どこにあるというのです」
藤の声は低い。しかし落ち着こうとして焦っているのがわかる。
目元にわずかに力みがある。
「証拠なら、ここにある」
維茂は懐から文を取り出した。
「これは、討伐令の追加として届いたものだ。差出人は藤、になっている」
藤の目が宙を泳いでいる。
維茂は畳みかけるように続ける。
「この文の文字も、同じように下のほうが少しだけ左に寄れている」
「侮辱です!」
わずかに腰を上げて藤が声を荒げた。
女房たちがざわっ、と動揺する。
藤はそれに気づいて、さっと居住まいを正した。
「字の癖など、誰かが見まねで書いたものかもしれないでしょう。たったそれだけを理由に、わたしを疑うのですか」
再び藤の声は落ち着きを取り戻した。
しかし声のかすれは隠しようもない。
経基はじっと黙って藤を見た。
藤はすがるように御母堂へ目を向ける。
……が、御母堂はすん、と視線を外す。
藤の顔からはっきりと血の気が引いていく。
「誰かが、わたしを陥れようとしているのです」
再び藤の声が大きくなる。
今までは見えなかった、焦りのようなものが感じられる声。
「わたしは呪詛などしておりません」
その言葉。
──アタシは呪詛なんてしてない、って言ったとき。藤は助けてくれなかった。
呼吸がぎゅっと締まる。
呉葉は拳を強く握りしめた。
維茂はかすかに笑った。藤の視線が鋭く維茂に突き刺さる。
「ということは、誰かが紅葉を陥れるために呪詛返し除けの人形を仕込んだ可能性もある、ってことだよな?」
藤の表情が固まった。
口を半分開けたまま言葉が出てこない。
維茂は黙って呪詛人形を手に取り、結んである紐に指をかけた。
「この呪詛人形……紐が巻いてあるよな」
「……だから?」
かろうじて藤は声を出した。
口調が荒い。余裕が剥がれ落ちている気がする。
維茂は紐を持ち上げて、鼻先へ寄せる。
「んー……さすがに、もうほとんど匂いはしねえな」
そして家司を見た。
「家司。これは、発見されたときは匂いが残っていたんだよな?」
「はい」
うなずく家司。
「まぎれもなく、沈香の香りでございました」
「ほ、ほら」
藤が勝ち誇ったように声を上げる。
「沈香といえば秩父の方。秩父の方と紅葉がつるんでいたのは、匂い袋を受け取っていたことからも明らかです」
呉葉は、すっ、と息を吸った。
それからまっすぐに藤を見つめる。
「たしかにアタシは、匂い袋を秩父からもらった」
女房たちがざわつく。
呉葉は続けた。
「けど、藤に『他の人に見られるとよくない』って言われて、葛籠の奥にしまったんだ」
「受け取ったことは認めるんだね、紅葉」
扇の裏で藤は目を細める。
「確かにしまうように言いました。ですが、それは紅葉のためを思ってのこと。まさか裏でつるんでいたなんて、そのときは思わなかったのです」
藤は周囲に聞かせるように声を上げた。
「その匂い袋の紐だが」
維茂の声がひどく落ち着いて聞こえる。
「色はよく似ているが……紐が、すり替わっている」
藤の眉がぴくりと動く。
「この紐は、アタシの紐だ」
呉葉は藤から目を逸らさず、見据えた。
維茂と考えた作戦。
……これが、その三つ目だ。




