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―2―

 呉葉は維茂をじっと見守った。


「質問はもう一つある」

 維茂の声が一段低くなった。

 藤に一瞬だけ目を向けてから、また下女へ。


「その夜、なぜ東の対にいた?」

 下女は目を左右にうろうろさせてから、やっと答えた。

「その……灯りの消し忘れを確かめるために、東の対を見ておりました」

 藤の眉がぴくりと動く。

 呉葉はそれを見逃さなかった。


「そいつは、いつもの当番なのか?北の対ならともかく、下女が東の対まで見回るってのはよくあることなのか?」

 維茂が畳みかける。

 下女は目線を地面に走らせた。


「いえ……いつもは北の対の見回りをしています」

「じゃあなぜだ?」

 維茂の声に下女は肩を震わせた。

「えっと……その……」


 ぱちん、と音がした。

 藤が扇を閉じる音。

 それだけで庭全体が静まり返る。

 下女はびくっと肩を跳ね上げた。喉が鳴る。

「な、なんとなく、です……」

「はあ?」

 維茂が目をむく。

「このお屋敷は、夜の見回りをなんとなくでやってるのか?」

 下女がおどおどと藤を見る。

 藤の見下ろすような目に、下女は黙り込む。

「そ、そういうわけでは……」


「よい」

 唐突に経基が口を挟んだ。

「よい。申せ」

 その声はやわらかいのに、逃げ道を塞ぐように響く。

 藤の目が驚きに丸く開かれた。


 下女の目は藤と経基を何度も往復していたが、やがて観念したように言った。

「その……藤の方さまに言われて、東の対を見るようにと……」

「実際に灯りの消し忘れが多かったので、わたしが命じたのです」

 藤がかぶせる。

「へえ」

 維茂がじっと、藤を見据える。

「じゃああんたは、北の対に行くはずの見回りを東の対に行かせた、ってことになるな」

「その日、たまたまそうなったまでです」

 藤は表情を落ち着かせて、維茂を見返す。

 維茂はじっと藤の表情を観察するようにながめる。

 それから下女に目を戻した。


「なぜそれをすぐに言わなかった?」

「いえ、その……」

 下女がやけに怯えて藤を見ている。


 経基が優しい声で語りかけた。

「藤になにか口止めをされていたのではないか?」

「えっ」

 下女が跳ねあがるほどに体をこわばらせた。

 藤もびくっと反応する。

「家の中のことくらいは、気配でわかるものだ」

「もうしわけありません」

 すっ、と経基に頭を下げる藤。

「その日はたまたま見回りの手配を間違えたのです。……それを、隠そうとするあまり……」

「わかっている。……他意は、なかったのだろう」

 藤に向ける経基の声はひどく冷たい。

 藤の肩が一瞬震えたように見えた。


「へえ」

 それを見て維茂は鼻で笑った。

「本当に手配を間違えただけなのか?」

 じろっ、と藤がにらむ。

「わざわざ東の庭が見える東の対に行かせた理由。あるいは、北の対にいては困る理由がなにかあったんじゃないのか?」

「言いがかりもいい加減にしてください」

 藤の声が荒れる。


「殿。いつまでこのような茶番におつき合いなさるのですか」

 藤が経基へ向き直った。

「動かざる証拠がここにそろっているというのに、これ以上なにを詮議する必要があるのですか」


「藤」

 御母堂の声が、ふわりと落ちた。

「あなたの潔白を証明するのであれば、最後まで聞くべきではありませんか」

「しかし御母堂さま」

「お前は無実なのだろう?」

 経基が淡々と重ねる。

 藤は黙った。扇を持つ手が、ぎゅっと固く、白くなる。


「これで、下女が呉葉を目撃した、という話は鵜呑みにできなくなったな」

 維茂は頭を少し持ち上げて、斜めを向く。

 そして藤の顔をじっと見据えた。

 藤の眉がわずかに震える。


 呉葉はそれでも前を向き、まっすぐ藤を見た。

 まだ都は怖い。

 けど……戦える。維茂と一緒なら、戦える。

 呉葉は維茂の隣でぐっと拳を握りしめた。



「それじゃ次は、証拠の品を確かめていこうか」

 維茂は長櫃の上に置かれた布包みを一つ一つ開いていく。

 紙の人形。木の呪詛人形。そして、匂い袋。


「まずは呪詛返し除けの、紙の人形だ」

 維茂はそれを手に取る。

「こいつは、呪詛の犯人を捜しているときに、呉葉……紅葉の方の葛籠の中から出てきた。

 ……そうだな?」

 維茂は紙の呪詛返し除けをつまみあげた。

 大きさは手のひらほど。風が吹けば飛んでいきそうな代物だ。

 それでも呉葉の胸はずしん、と重たくなる。


「アタシの、夏衣装の間から出てきた」

 呉葉ははっきりとうなずいた。

 女房たちがざわめくのがわかる。


 藤は扇をゆったりと揺らし、わずかに目じりを下げた。

「紅葉。どのような意図でこんなものを作ったのか、それを聞かせて」

 その声に呉葉はぞっとした。

 これが藤の声だろうか。

 表情はやわらかいのに声は氷のように冷たい。

 呉葉はつばを飲み込んだ。


(こんなの)

 呉葉は藤をにらんだ。

(アタシの知ってる、藤じゃない)


「作ったのはアタシじゃない」

 呉葉はきっぱりと言った。

 藤の扇の下の目尻がわずかに細くなる。

「では、どうしてあなたの葛籠から出てきたの?」

 問いの形をしているのに答えは最初から決まっている。

 ……まるで、そういう目。


「そもそも」

 維茂が空気を割るように入ってきた。

「この紙の文字は、誰が書いたんだ?」

「アタシだ」

 藤の肩がわずかに弾んだ。

 喜ぶ、というより、勝ちを確信したような声。

 藤はそっと扇の裏へ表情を隠す。

「文字を書いたのに作ったわけではない、というのはおかしいでしょう。まぎれもなく、紅葉が呪詛の犯人である証です」


 女房たちがささやき合う。

「やはり、呪詛を行ったのは」

「なんと恐ろしい」

 冷たい風が庭に吹き込んでくる。

 呉葉はちらっと維茂を見た。維茂は口の端をわずかに持ち上げた。


「ふむ」

 経基の扇がかすかに動いた。

「自分で書いた、と言っておきながら、作ったわけではないというのはどういう言い分か」

 女房たちの視線がいっせいに呉葉へ集まる。

 藤の目に余裕がうかんで見える。


 維茂が切り出す。

「呉葉。この文字はいつ書いたものだ?」

「結構、前のことだ。

 ……藤に文が届いていたから、アタシも字を書けるようになりたいって思って」

「なるほど、なるほど」

 わざとらしく維茂はうなずいてみせた。

 その大げさぶりに呉葉はうっかり笑みを作ってしまいそうになって必死にこらえる。


 維茂は紙を広げて見せた。

「まだあんまりうまくはねえけど、練習なら合点がいくな」

 墨の線は頼りなくところどころ掠れて曲がっている。


「たしかに、紅葉に文字を教えたことはあります」

 藤は露骨に不快そうな顔をした。

「……それが、なんだというのですか」

 維茂ははっきりとわかるほど笑みを浮かべた。

「なら、その紙は藤、あんたの手に渡ったはずだ」

 藤の扇が一瞬揺らぐ。



 夕べ。

 東の対で、経基に持ってきてもらった証拠品を調べているときに、維茂が思いついた作戦。

 その、一つ目。

 維茂の悪そうな笑顔が頭に浮かぶ。



 藤は無言で維茂を見下ろしている。

 扇の裏の表情は読めないまま。

 維茂と藤の視線がぶつかる。


「また言いがかりですか」

「いいや?確認だ」

 維茂の言葉に藤の目がほんのかすかに揺れた。


「……できたかできないかで言えば、できたでしょうね」

 ぽつりと、藤は答える。

「ですが、それがなんだというのですか」

 そして家司に目を向ける。味方であることを確かめるような目つき。

「それに、呪詛返し除けを持っていたのは紅葉。そこは動きません。そうでしょう?」

 家司は戸惑いながらも、うなずく。

「確かに……呪詛返し除けは、呪詛を行った者が持つものです」

 扇の裏の藤の目が満足そうに細くなる。


 しかし維茂は、その言葉などまるで興味がないかのように、目線を長櫃の上に戻した。


 維茂は続けた。

「じゃあ、次にこれだ」




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