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―1―

 呉葉はとなりの維茂に目を向けた。

 維茂はにっと笑顔を返してくれた。

 少しだけ肩の固さがほぐれる。


「経基。まずは証拠品を出してくれ」

 維茂は庭先に置かれた長櫃の前に立った。

「いいだろう」

 経基がうなずくと、家司が合図する。

 下男たちがさっと駆け寄って、長櫃の上に布包みを並べていく。

 几帳の向こう側にいる女房たちの息がひそやかに揺れる。


 呉葉はじっとそれを見つめていた。

 あの夜の、経基の凍えるような声。油皿の匂い。揺れる火の灯り。

 ──アタシを"罪人"に決めつけた、品物たち。

 この庭の明るさの中で並べられると、どれもやけに小さく見える。

 それでも指先が冷えていくのを抑えられない。


「これは紅葉の追放ののち、私が保管していたものだ」

 経基が淡々と告げる。

「よって、すべて発見されたときのままになっている」


 藤が扇をわずかに揺らした。

「なによりの証拠がそろっているではありませんか」

 そして後ろへ目を向ける。

 それが合図かのように、女房たちは、そろって冷たい視線を向けてくる。

 呉葉はおもわずぞくっと背中を震わせた。


「もう一度言います。私は、紅葉が呪術を使うのをこの目で見たのです」

 藤は呉葉に目を向け、怯えたように身をすくめる。

「そのときは、その術が恐ろしいものだとは知らず……そのせいで常陸さまは」

 藤は顔を袖で隠し、うつむく。

 女房たちが手を伸ばし、口々に慰める。

「藤の方のせいではありません」

「そうです。すべてはあの恐ろしい鬼女のしわざ」


 呉葉は思わず目をぎゅっとつぶった。

 また頭が殴られたような衝撃。

 奥歯の裏に苦いものがたまっていく。


 藤は袖を離し、扇で口元を隠して、じっと呉葉を見た。

 そして整った声で続ける。

「私だけではありません」

 近くにいた下女を手招きする藤。

「もう一度、あなたの見たままを、ここで話しなさい」

「は、はい……」

 おずおずと進み出る下女。


 呉葉はその足取りがわずかにふらついているのに気付いた。

 心がざわめく。

 怖がっている?怯えている?……なにに?誰を?


「あの晩……秩父の方さまの局の前のお庭で、恐ろしいものを見たのです」

 下女は震える声で続けた。

「岩陰にどなたかがいるのが見えて……暗くてよくわからなかったのですが、一瞬だけ雲が切れて、月明りに照らされた人のようなものが庭にいるのが見えたのです」

 几帳の奥から、誰かの「恐ろしい」とささやき。さざ波のように、恐怖の同調が広がっていく。


 あの夜。確かに、わずかの間だけ雲が切れた。

 夜の空気。庭の匂い。

 確かにあそこで、アタシは呪術で幻を──。

 呉葉の胃がひゅっと縮む。


「顔は見たのか?」

 維茂が尋ねる。下女はこくりとうなずいた。

「あれは紅葉の方さまでした」

 呉葉は曇った表情で維茂を見た。


「そいつはおかしいな」

 すかさず維茂が言った。

 えっ、という顔で下女は固まる。

 女房たちの気配が、ざわっと動く。


「おかしい、とは?」

 藤が表情を曇らせる。

 維茂はその問いを置き去りにしたまま続ける。

「昨日、オレたちは東の対に泊まった。もちろん、そこから東の庭が見える。

 ……そこから、北の対からは見えない庭石の裏側が見えるよな?」

 下女は怪訝そうに眉をひそめて、うなずいた。

「下女が見たっていうあの晩は、月が曇っていて暗かった。そうだよな?」

 維茂はにやっ、と笑って見せた。

「なにが言いたいのです」

 藤の声にわずかな苛立ちが混じる。


(ここで、笑う?)

 維茂の表情を見て、呉葉はわずかに眉を寄せた。

 違う。わざと藤に笑って見せたんだ。


「そのとき、月明りに照らされた人のようなものが見えた……そう言ったな?」

 繰り返し確かめるように。

 維茂に下女は不安そうな表情を浮かべる。

「手前が庭石の影、奥が庭。なのに、下女は岩陰にいた人影ではなく、庭のほうを先に見た」

「……それがなんだというのですか」

 藤の声が少しだけ尖る。

 維茂の目つきが鋭くなった。

「おかしいんだよ。

 ……もし月が庭石の裏も照らしていたなら、奥の庭より、先に手前、つまり岩陰にいた人物が目に入るはずだ」

「……っ」

 藤の扇を持つ手がかすかに揺れた。

 維茂は再び下女に目を向ける。

「ってことはだ。岩陰にいた人物の顔が見えるほどの明るさではなかった、ということだよな?」

「そ、そういえば……」

 下女がおろおろと口にする。

「確かに、庭石のこちら側は暗くて、よく見えませんでした……」

「だろ?」

 維茂は短く声を上げて笑った。

 呉葉の体の中にたまっていた重たいものが、少しだけ解け始めていくのを感じた。


「呉葉。ちょっとあっちの木のところに立ってみてくれ」

「わかった」

 呉葉は小走りに庭木へ向かった。白砂がさらさらと足元で鳴る。

 庭木の前まで来て立ち止まる。そして、振り返った。


「なああんた。たしか東の対から庭石までの距離は、あんたの場所から今呉葉がいる場所くらい、離れていたよな?」

「は、はい……」

 下女の声が震える。

 維茂は全員に聞こえるように、声を張り上げた。

「夜中。月明りが薄暗い。明るくなったのはほんの一瞬。

 ……しかも岩陰にいた人間の顔が、この距離で見えると思うか?」

「そ、そういわれれば……」

 女房のひとりがうっかり漏らす。が、藤の冷たい視線に気づいて黙った。


(都は、こうだ)

 その光景を見ながら呉葉は思った。

(言葉の強いほうが勝つ。空気の多いほうが勝つ)


 でも今は違う。

 維茂がその空気を全力で切り開いてくれている。


 呉葉が隣に戻ってくると、維茂は、にっ、と笑いかけた。

 それだけで足が軽くなる気がした。


「もう一度聞くぜ」

 維茂は下女に向き直った。

「あんたが見た、っていうのは、本当に呉葉だったのか?」

「そ、そう言われると……」

 下女は急に目を泳がせる。

「で、でもあんな恐ろしい力を持っているお方なんて、他に……」

「火のないところに煙は立ちません」

 すかさず藤が割って入る。

「紅葉のほかに、怪しげな力を使うものなどいません」

 藤とちらっと目が合う。

 その冷たさに体が凍りつきそうになる。

 眉間に力を込めて呉葉は藤を見返した。


「でも、確かめたわけじゃないんだろ?」

 維茂はじっと下女を見た。

「つまり"怪しい術を使っているように見えた"から"紅葉の方だと思った"ってだけで、顔をはっきり見たわけじゃない。……そうだな?」

 下女はおずおずとうなずいた。


 女房たちがささやきあう。

「そうなの?」

「でも物の怪の力を使うなんて、ほかに……」

「でもはっきり見ていないのだとしたら……」


 呉葉の頭がかっと熱くなる。

 ……ほらみろ。

 見てもいないのに決めつけていたんじゃないか。


 藤の舌打ちが聞こえたような気がした。




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