―3―
呉葉は長櫃の縁に手をかけて、むくり、と立ち上がった。
外の光がまぶしい。肺に入る空気が涼しい。
家司が息をのむ気配。御母堂も目を見開いている。
ただ経基は眉一つ動かさない。
静けさをたたえた表情が、今は少し怖かった。
(藤──)
呉葉は目を動かして藤を見た。
懐かしい顔。同じ顔のはずなのに、まるで、別人みたいだ。
扇の奥からこちらを測るような視線。冷たく、鋭い。
まるで呉葉が現れるのがあらかじめわかっていたかのようだ。
喉の奥がかすかに痛む。
舌がしびれたように動かない。
言われたこと。言いたかったこと。
言って欲しい言葉。言って欲しかった言葉。
それが頭の中をぐるぐると回っていく。
呉葉は眉間に力を込めた。
藤は経基に顔を向けた。
「鬼女と称されるものを退治してきた、という報告が偽りなら、この場で維茂さまを処罰しなければなりません」
ちらっ、と御母堂を見る。
「御母堂さまもおられるというのに、殿に恥をかかせるとは」
これだ。
都はいつだって、"正しい"言い分を押しつけてくる。
呉葉の喉の奥が、きゅっと固くなった。
「本当に恥をかかせるのはどっちだ?」
低い声で維茂が吐き捨てる。
「どういう意味ですか」
藤の声色は変わらない。
「オレが受けた討伐令は、鬼女の退治だけだ」
維茂は藤をにらみつける。
「首が必要だというなら、この場で刎ねればことは済む。命に背いたことにはならない」
維茂は一歩踏み出した。
「しかしその前にいくつか質問をさせてもらう」
目は藤を見据えたまま。
維茂は藤を挑発するように、顔を斜めに傾けた。
「オレの言っていることが間違っているというのなら……あんたが呉葉を無実の罪に陥れていないというのなら、問題なく答えられるはずだよな、藤?」
「戯言を」
藤が吐き捨てた。
「殿、そして御母堂さまの御前に、あのような人ではないモノをお目にかけるなど、恥を知りなさい」
"人ではないモノ"。
数えきれないくらい、投げつけられてきた言葉。
顔が曇るのを、隠しきれない。
胸が突き刺されたように痛む。
維茂と目が合った。
そして呉葉の表情に気づいて、一瞬眉を歪める。
維茂の目の奥から怒りがにじむ。
維茂はまっすぐ藤をにらみつけた。
「いいぜ。もしも、呉葉──ここじゃ"紅葉"だっけか。まあいい。
呉葉が濡れ衣ではないというのなら、この場で呉葉の首をはね、オレも処罰してもらおうか」
その言葉に、藤の眉が一瞬動いた。
維茂の口調はあくまで落ち着いている。
しかし眉はきつく絞られ、目は藤を射貫くように鋭い。
「お前は潔白なのだから、今更何を聞かれたところで問題はないな?」
藤の扇が口元でゆったりと揺らぐ。
一片の迷いもない。暗い光が目に宿っている。
「……もちろんです」
藤は乾いた声で答えた。




