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―1―

 馬の背はひどく揺れる。狭い長櫃の中だと、肩や頭がぶつかって痛い。


 呉葉は膝を抱えてじっとしていた。

 長櫃の古い木の匂い。内側に敷いてある布のかび臭さ。

 狭苦しさも相まって、頭が痛くなる。


 そっとふたを開けて、外を見る。

 すでに夕闇が迫っている。

 山の景色は過ぎて、いつか見たような粗末な建物が並んでいる風景になっていた。

 人の雑多な匂い。足音。


(……来た)

 賑やかで、臭くて、うるさい場所。

 なのに胸の内はびっくりするくらい静かだ。


「都は懐かしいか?」

 外から維茂の声。

 呉葉は鼻で笑った。

「……遠くから見るぶんには、綺麗だな」

 それだけ答えて、呉葉はそっとふたを閉じた。



 やがて馬が止まった。

 周囲を走る草履の音。それから門が開く気配。

 そして遠ざかっていく足音。そのあと静けさに包まれた。

(着いた──)

 呉葉はつばを飲み込んだ。


 外からは解散を告げる声。

「さーて。こっからが本番だな」

 維茂の低い声が、すぐそばから聞こえた。

 呉葉は暗闇の中でぐっと拳を握りしめた。



◇◆◇◆◇◆◇



 経基の屋敷。その、寝殿の大広間。

 燭台の火がやわらかく揺れている。なのに空気はひどく冷たい。


 呉葉は部屋の隅に置かれた長櫃の中から、そっと外をうかがっていた。

 維茂は広間の中央に座っている。

 近習は荷物のすぐそばに。



「よく無事に戻ったな、維茂」

 上座から、経基の声。

 ずいぶんとくつろいでいる雰囲気だ。


 呉葉はその隣に視線を走らせた。

 鈍い青色の袿を羽織った、固い表情の女性が座っている。

 ──藤、だ。

 呉葉の胸が、ずきん、と痛んだ。

 藤は扇で口元を隠したまま、静かに見下ろしてくる。


「長旅ご苦労だった。前回の護送といい、何度も山奥まで行き来させてしまったな」

「どうってことはねえよ。道中は紅葉も綺麗だったしな」

 ……紅葉。

 その単語に、広間の空気がほんのわずかに張り詰めた。


 経基は、ふっ、と笑った。

 藤は扇をぴくっと動かす。

 維茂の背中はゆったりと、余裕が感じられる。


「お前の武勇伝も聞いてみたいものだな」

 経基の声がわずかにゆるむ。

「いえ、その前に」

 藤がするりと割り込む。

 扇の影で声だけが硬い。

「鬼女というのはとても恐ろしいものだと聞きます。その首を見るまでは安心できません」

 その言葉に呉葉の胃がひゅっと縮んだ。

 ……怖さというよりも、藤の声の冷たさに。


 維茂がかすかに笑う気配。

「遠くの地で起きた鬼女騒ぎなのに、随分と心配性だな」

 藤は扇で口元を隠したまま、続ける。

「当家から出た鬼女の行く末が気になるのです」

 ふぅん、と維茂は喉の奥を鳴らす。

 短い沈黙。


 まるで維茂と藤が見えない糸で探り合っている。

 経基は、気づいていそうなのに、止める気配がない。


「首を見せるには色々準備が必要だ。今この場ですぐ、というわけにはいかねえな」

 維茂はめんどくさそうな顔をした。

 藤の扇がぴたっ、と止まる。

「準備、とは」

「武門には武門のしきたりがある。首実検にも作法ってやつがあるんだよ。あんたにゃ縁がないだろうがな」

 藤の持つ扇が一瞬揺れる。

 しかし声色は崩れない。

「……なるべく手短にお願い致します」


 経基がようやく切り出した。

「まあ、そう急かすものでもあるまい。まずは、のんびり体を休めてくれ。あとで酒でも持ってこさせよう」

 経基のやわらかい笑顔は、まるでなにかを見通しているようにも見えた。

 背中を冷たい汗が伝う。

 呉葉はぐっと息を飲み込んだ。



 大広間を出る。

 家司に案内され、維茂一行は渡殿を通り、東の対へと通された。近習が長櫃を持って続く。

 水の流れる音も聞こえる。

 揺れる長櫃の中で、呉葉は息をひそめている。


 やがて長櫃が降ろされた。

 家司の足音が渡殿へ遠ざかっていったあとに、維茂がささやいた。


「……もういいぞ」

 呉葉は長櫃のふたをそうっと開けた。


 燭台の明かりがまぶしい。こもっていない空気がうれしい。

 呉葉は胸いっぱいに新しい空気を取り込んだ。

 それでは、と近習たちは頭を下げて、隣の間へ下がっていった。


 呉葉は長櫃から抜け出した。

「ここからどうするんだ?」

「あとで経基が証拠品を持ってくる手はずになっている。まずはそいつを確かめてから、だな」

 呉葉は小さく肯いた。

「犯人はわかってる。あとは、どう追い詰めるか、だ」


 ふと維茂は外に目を向けた。

 簾の向こうに庭が見える。人の背丈もあるほどの大きな石。


「庭が見えるな……」

「あの石だ」

 呉葉の声が少しだけ沈んだ。

「ちょうど、あの石の裏に隠れてたんだ」

 あの夜を思い出して、胸の内側がうずく。

 胸の奥の重さごと、細く息を抜く。


「ふぅん……」

 維茂が距離を測るように、目の前に指を立てる。

「結構、距離があるな」

 あごに手をやり、維茂は目を細めた。

「夜中に、この距離でねえ……」


 日は、だいぶ傾いている。

 石の影は、まっすぐこちら側に伸びている。

「夕日だと、こっち側が影になるのか」

 それを見て、ふと思い出す。

 ……あのとき。

「庭のほうは月明りに照らされてたけど、アタシの手元は真っ暗だった」

「なるほど、ね……」

 維茂がぽつりと落とす。


 そのとき。

 簾の向こう。渡殿から、足音が聞こえてきた。

 呉葉はとっさに衝立の裏へ滑り込んだ。


 簾を持ち上げる音がして、誰かが入ってきた。

「随分と時間がかかったな。本当に退治したのか?」

 経基の声だ。

「あたりめーだろ」

 続いて維茂の声。衝立の裏からだと様子がわからない。

 まるでなにかを探るような無言。

 呉葉はふっ、と息を止めて、体を縮こまらせた。


「あの追加指示はどういう理由だ」

 維茂が不機嫌な声を出す。

 ふっ、と息を吐く音。

「首のことか」

 ぱさっ、と扇が開く音。

「鬼女が出た場所が、鬼無里というのが気になってな。紅葉を追放した場所なので、鬼女騒ぎは紅葉の仕業ではないか、とな」

「お前が言い出したのか?」

「……いや、藤だ」

 無音の間。

 呉葉は衝立から覗き込みたい衝動を必死で抑えた。

 ここで見つかったら、すべて台無しだ。

「鬼無里の荘官に問い合わせたところ、やはり紅葉が脱走していたことがわかった。そこで、追加の指示を出したのだ」

 経基は淡々と告げる。

 一拍あってから、維茂の声。

「……ひとつ聞いていいか」

「なんだ」

「呉葉……ここだと紅葉、だっけか。あの事件、本当にちゃんと調べたのか?」

 また無言。

 動けない。胃がじくじくと痛む。

 呉葉はじっと拳を握りしめた。


「……どういう意味かな」

「濡れ衣の可能性はないのかって聞いてんだ。呪詛を仕かけた犯人は本当に呉葉なのか?」

「呪詛の事件は当家の恥だ」

 経基の声が冷える。

「当家で呪詛が行われたという噂が外部に漏れでもしたら大事になる。……追放する理由としてはそれで十分だ」

 ふん、と鼻を鳴らす音。

「つまり」

 維茂が続ける。

「しっかり調べたわけじゃねえ、ってことだよな」

 しん……と、音が消える。

 張り詰めるような空気。

 呉葉は、ぐっ、と息を止めた。


 やがて経基の声。

「まるで本人と話してきたかのようだな」

 反応はない。

 ぱさっ、と扇の音。

「まあいい。お前が疑いを晴らしたいというのなら、気が済むようにするといい」

 経基が家司を呼ぶ声。やがて足音が近づいてくる。

「お前が文で言っていたものだ。あれ以来、手はつけていない」

 そして、ことっ、と箱を置く音。

 維茂が鼻を鳴らす。ふん、と笑う声。

「しばらくは、この東の対には誰も近づかぬよう命じておく」

 じっ、と探るような気配。

 そして立ち上がる衣擦れの音。

「では明日を楽しみにしているぞ」

「ああ」

 足音が遠ざかっていく。

 呉葉は固まっていた胸から、ようやく息を抜いた。


 恐る恐る呉葉は衝立から顔を出した。

 維茂以外誰もいない。

 ほっとした顔の維茂と目が合った。

「経基のやつ、勘づいてるな」

「なにをだ?」

 呉葉は衝立の影から出た。

 維茂は薄く笑った。


「まあいい。まずは証拠を確かめないとな」




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