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維茂は爪を噛みながら、なにかを考えているように見えた。
呉葉は怪訝そうにそれを見守る。
少ししてから、維茂はふと視線を上げた。
「木の呪詛人形は、誰が? そもそも、なんでお前が疑われることになったんだ?」
「その人形に使われていた紐に、沈香の匂いがついてた、って言われた」
「沈香?」
「うん。すごく高い御香で、お屋敷では秩父しか持ってないやつだ。
だから最初は秩父が疑われてた」
あのときから。
いや、あのときも屋敷の中は空気が重たかった。
それを思い出すだけで背中がざわつく。
「でも秩父は、呪詛のことなんか知らない。もっと悪いヤツ……『人ならざるモノ』とか『物の怪』とか……『鬼』が、やったんだろう、って」
喉が詰まる。
耳の奥がぐわん、と回る。
言われたくない言葉。聞きたくない言葉が、今でも耳の中に残っている。
「アタシが呪術を使うところを見たっていう下女がいたんだ。北の対じゃなくて、東の対の見回りをしてた、って」
「東の対?」
「東の庭にいたところを、見られてたんだ」
藤は、大丈夫って言ったのに。
それを信じていたのに。
胸がぎゅっと締め付けられる。
ふむ、と維茂は腕組みしたまま黙り込む。
呉葉は止められないまま続けた。
「それで──」
知らずに涙が零れ落ちる。
手の甲に落ちて熱い。
「藤も……経基に言ったんだ。アタシが、呪術を使うところを見た、って」
維茂は黙って言葉を待ってくれていた。
その沈黙が少しだけありがたかった。
少し間をおいてから呉葉は再び言った。
「藤が、アタシが秩父から匂い袋をもらったことを経基に言ったんだ。秩父に頼まれて、呪詛をしたんだろうって」
「匂い袋?」
「うん。けど、すぐに隠せって藤に言われた。持ってるところを誰かに見られたらよくないからって」
「……なるほど、な」
維茂の声が低い。
「藤はアタシを守るって言ってくれたのに。黙ってるって約束した呪術のことも、経基に話した」
胸が重たくなっていく。
顔があげられない。
「経基は、呪詛をした者を屋敷には置いていけない、って」
言い切れなくて、途切れた。
視線が地面に落ちたまま動かせない。
そのとき。
「つまり、こういうことだ」
維茂が顔を上げた。
その目が鋭く光っている。
「藤は、お前が呪術で幻を作れることを知っていた。それを下女に目撃させて、お前が疑われるように仕向けた」
「仕向けた……?」
呉葉の呼吸が止まった。
すっ、と背中が冷える。
「違う」と思いたいのに、その言葉は胸元まできて、止まった。
「だっておかしいだろ? 北の対に見回りがいないって言っておきながら、東の対の見回りのことは言わないなんて」
「それは……」
「しかも藤は見回りを把握してたはずだ。東の対に見回りがいるかどうかくらい、知っていたはずだ」
呉葉は表情を硬くしたまま、維茂をじっと見た。
「それだけじゃねえ。藤は、お前が名前を書いた紙を手に入れられた。そして衣替えのときに、お前の葛籠に触る機会もあった」
維茂はまっすぐに呉葉の目を見た。
呉葉の顔から血の気が引いていく。指先が冷たくなっていく。
藤がそんな。
そこまでしてアタシを──?
足に力が入らない。
「なんで……」
ようやく声が出る。
「なんで、藤はそこまで……」
「簡単だ」
維茂が忌々しそうに吐き捨てる。
「藤は、お前を切り捨てて、今は屋敷の局の要におさまっている。……常陸がいなくなった後、秩父が屋敷を取り仕切ってたんだろ?」
呉葉は黙ってうなずいた。
「藤にしてみれば、秩父を追い出せれば、常陸の仕返しをしながら局の要にもなれる。ついでに、前から目立って怪しまれていたお前を犯人に仕立て上げれば、自分が疑われることもない」
維茂は一息に言った。
歯を噛みしめる。
藤を信じたかった。
……でも、その藤に嘘をつかれた。
(その理由が……)
今の話なのだとしたら。
納得してしまう自分が、少しだけ憎い。
(……でも)
都の正しさ。
"らしい"というだけで叩く連中。
藤はそれを利用した。
そう考えればわかる。
あの目の冷たさも、声の硬さも。
呉葉の胸の中に、ふつふつと熱いものが湧き出し始める。
「……あとは、証拠だな」
維茂が低くこぼした。
「証拠?」
「藤が仕組んだ、っていう明確な証拠だ。それがあれば、お前にかけられた濡れ衣を晴らすことができる」
「濡れ衣……」
口に出すだけで、心が凍るような言葉。
呉葉は歯を噛みしめた。
維茂は立ち上がった。
「もちろん、このまま泣き寝入りなんてしねえだろ」
呉葉は顔を上げて維茂の顔を見た。
維茂はにっと笑う。
「都に戻って、藤に一発ぶちかましてやるんだろ?」
呉葉は戸惑った。
藤の顔が脳裏をよぎる。
優しい声。笑顔。手つき。
「信じてたんだ」
ぽつりと漏れる。
「藤は、アタシを守ってくれるって。けど……」
呉葉はそれでも前を向いた。目元が熱い。
「裏切ったことは、許せない。……だから、もう一度藤に会う」
拳で乱暴に涙をぬぐう。
「会って、嘘をついたことを、謝らせる」
呉葉も立ち上がった。
ざっ、と風が吹いてきた。
山の木々から落ち葉が舞い落ちていく。
「決まりだな」
維茂は拳を突き出した。
呉葉はその拳に、こつん、と自分の拳を合わせる。
軽い音。
でも、その軽さが足を前に出させる。
「やっぱりお前はそのほうが似合ってる」
維茂は笑った。




