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―1―

 元山賊砦。

 今は、討伐軍の待機場所になっている。

 柱はところどころ折れていて、床板は乾いてきしむ。

 焚火の匂いと鉄の匂いに、カビくささが混じっている。


 維茂が近習とともに戻ると、門の前に男が立っていた。

 その表情には疲労が浮かび、装束は旅の埃で黒ずんでいる。


「経基さまからの文をお持ちいたしました」

「経基から?」

 怪訝に思いながら受け取ったところで、使者は続けてもう一通差し出す。

「こちらは藤の方さまからです」

「……は? 藤の方が? なんでだ?」

 喉に、なにかがざらりと引っ掛かる。


 経基が報告を求めるのは、わかる。

 藤の方っていえば……たしか屋敷の女房だよな?


 嫌な予感に維茂は眉を寄せた。

 そして、まずは経基の文を広げる。


 「討伐の進捗はどうか。維茂のことだから今頃は終わらせていると思う。

 今回、新たに追加の指示が出た。鬼女の首を都に持ち帰れ。」


「はあ? 首?」

 顔をしかめる。

 最初に討伐令を受けたときに聞いたのは"退治"だ。

 ただの山賊にわざわざ"首"を要求するなんて、聞いたことがない。

 維茂は首をひねりながら、次の文を開いた。


 「殿の許しをいただき、直接お知らせしたく、同封いたします。

 鬼無里には、恐ろしい鬼女が住むと、噂を聞きました。

 もし、鬼女が紅葉のことであれば、恐ろしい力で蘇るかもしれません。

 恐ろしい鬼女がたしかに退治されたかを確かめるために、必ず首級をお持ち帰りください。」


「はぁん……?」

 顎に手をやる。

 言葉遣いは丁寧。筋も、一応それっぽい。

 ……だからこそ。

「なんか、くせぇな」

 維茂は低くこぼした。

 "かもしれません。"そう言っておいて、最後に"必ず"とついている。

(どれだけ……首を取りたいんだ)

 維茂は顔をしかめる。



 ふと視線を上げた。

 使者がずっと直立している。


「長旅で疲れただろ」

 兵士に指示をして、椅子と水を持ってこさせる。使者は恐縮しながら、椅子に座った。

 明るい表情を作り、維茂は尋ねた。

「経基はどんな様子だ?」

「はい。殿に置かれましては、日々恙無く過ごしておいでです」

「そうか」

 腕組みしてうなずく。

 うなずきながら、頭の中では経基のことを考えていた。

 経基はいつも建前を崩さない。意味のないことはしない。

 なのに女房からの文を同梱させる? しかも首級を持ち帰れ?


 維茂はさりげない表情で尋ねた。

「そういや北の対はどうなった?ちょっと前にいろいろゴタゴタがあったろ」

「そう、ですね……」

 使者は眉をひそめて言葉を濁した。

「北の対から追放された女房を、鬼無里まで届けたのはオレだ」

 維茂は小声で、自分の胸を親指で指した。

「だから、ざっくり事情は聞いてる。その後、どうなったかと思ってな」

 それを聞いて、使者はほっと表情がゆるんだ。

「経基さまは、御母堂さまから"そろそろ室を決めろ"と急かされておりまして……現在、局の要である藤の方さまが最有力候補だと、皆が噂しております」

「へえ……あいつもいよいよ、室を迎えるのか」

 口では軽く返したが、胸の中では嫌な鐘の音が鳴っていた。


 藤の方が"局の要"。

 そして"室の最有力"ねえ。

 維茂は内心で首をかしげる。


「ですので、婚姻の日までに維茂さまが戻ってこられるか、と気になさっておいででした」

「ふぅん……」

 維茂は薄く笑って見せた。

 使者はすこし不審そうに眉を寄せた。

「あの、なにか……?」

「いや、なんでもねえ」

 維茂はそれだけ返して表情をやわらげた。

「ま、ボロい場所だがのんびり休んでくれ」



◇◆◇◆◇◆◇



 洞窟の中。

 湿った土の匂いと焚火の煤の匂いが立ち込めている。


 山賊たちは呉葉と熊武の話を聞いて歓声を上げていた。

「帰れるのか、荘園に」

「本当に助かるのか?」


 その歓声を熊武は嬉しそうに眺めている。

 呉葉はその横顔を見て、ほんの少し笑った。

「嬉しそうだな熊武」

「ここに長くいすぎたせいか、愛着が湧きました」

 熊武は静かに返す。

「このまま彼らとともに静かに暮らすのも悪くはない、と思えたのです」

「そうか」

 呉葉も小さく笑みを浮かべた。


 受け入れてもらえる場所があるのなら、それが一番いい。

 呉葉は心の中でその言葉を転がす。


 小指で、角を隠した耳の上の輪に触れる。

 結び目はしっかりしている。

(この角を隠さなくても、維茂は受け入れてくれるのか……?)

 わずかに鼓動が跳ねる。


 角を見たときの維茂を思い出す。

 目を輝かせて「かっけー」だの「嫁になれ」だの。

(……いや、あれはただの馬鹿だ)

 慌てて首を振る。

 一瞬だけ胸が甘く疼いたのは、ただの気のせいだ、と呉葉は胸の内で打ち消した。


 ──隠すなよ、もったいねえ。

 その言葉が妙に残る。

 ……残ってしまう。

(隠さなくても、本当にいいんだろうか)

 隠さなくても受け入れてくれる人が、受け入れてもらえる場所があるんだとしたら。

 維茂の顔を思い浮かべる。


(でもあれは馬鹿だからなあ)

 呉葉は小さくため息をついた。



 洞窟の前に維茂が近習たちと一緒にやってきた。

 すでに山賊たちや熊武が外に出て、出迎えている。


 呉葉は集めておいた柿を維茂に見せた。

「この近くに柿の木があったんだ。あと栗も」

 手に持ったざるの中で、柿がころころと転がる。隣に置かれた籠の中では、栗が日を照り返して光っている。

「すげーな。今日はご馳走じゃねえか」

 維茂はうれしそうに笑った。

 その顔が妙にまぶしくて、呉葉の鼓動が一瞬ずれた。

 とっさに下を向く。


「寺に出した使いが戻ってくるまで、あと一日待ってくれ」

 維茂は気づいていない様子で、獲ってきたキジを持ち上げた。

「それまではのんびりしていようぜ」

「鍋か?」

「いや、栗もあるなら飯と一緒に炊き込むか」

 山賊たちが嬉しそうに笑う。

「いいな!」

 維茂は嬉しそうな顔をした。



 近習たちが焚き火と飯盒の準備を進める。

 山賊や熊武もその手伝いで走り回っている。

 火打石の音。乾いた枝を折る音。

 ぱちぱちと、火が大きくなる。


 少し離れたところで、呉葉は維茂と並んでその様子を眺めていた。

 ふと維茂にじっと見られているのに気づく。

 呉葉の胸がうずき始めた。

 ……落ち着かない。


「アタシも手伝いを──」

 なんとなく気まずくて呉葉は腰を浮かせた。それを止めるように維茂が切り出した。

「いや……ちょっと話があるんだ」

「な、なんだよ。また嫁だのなんだの言うのか?」

 ちょっと声が上ずってしまう。

「いや……それも言うけど」

「言うのかよ」

 即座に突っ込む。しかし維茂は珍しく真面目な顔をした。

「……ちょっと、聞きたいことがあってよ」

「聞きたいこと?」

 呉葉は眉を寄せた。

「お前、都でなにがあった?」


 腹の底がすっと冷える。

 口が自然と閉じた。


「わりぃ。……いや、その」

 慌てたように維茂が言葉を濁す。

 そして一瞬ためらった後、文を取り出した。


「都から、討伐令の追加が届いたんだ」

「追加?」

 維茂が呉葉の前に文を差し出す。

 それを受け取って、呉葉は……固まった。

「藤の……字だ」

 文字の下のほうが少し左によれている。

 見覚えのある癖。

 呉葉は視線を上げる。

「なんて書いてあるんだ?」

「ああ、これは……」

 維茂は少し顔をしかめる。

「『紅葉の首級を必ず持ち帰れ』……だ」

 指先が冷たくなる感覚。

 呉葉の呼吸が一瞬止まった。


「オレが最初に受けたのは、ただ単に『鬼女と噂されている山賊を退治しろ』ってだけだった」

 維茂の低い声。

「ただの山賊退治でしかなかったはずなのに、どうして鬼女の首なんて話になる?

 ──鬼女に心当たりがあるヤツが、そいつに生きていてもらったら困るから、だと思った」

 維茂は紙の端をぎゅっと握った。


「この藤の方ってのは、今経基の室候補なんだそうだ。

 ……お前、こいつを知っているか?」

 呉葉は俯いた。

 飯盒から湯気が吹きあがるのが見える。

 焚火の煙が、風に流れていく。


 しばらくして、呉葉はぽつりとこぼした。

「藤に……裏切られたんだ」


 呉葉の喉がかすかに鳴った。




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