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元山賊砦。
今は、討伐軍の待機場所になっている。
柱はところどころ折れていて、床板は乾いてきしむ。
焚火の匂いと鉄の匂いに、カビくささが混じっている。
維茂が近習とともに戻ると、門の前に男が立っていた。
その表情には疲労が浮かび、装束は旅の埃で黒ずんでいる。
「経基さまからの文をお持ちいたしました」
「経基から?」
怪訝に思いながら受け取ったところで、使者は続けてもう一通差し出す。
「こちらは藤の方さまからです」
「……は? 藤の方が? なんでだ?」
喉に、なにかがざらりと引っ掛かる。
経基が報告を求めるのは、わかる。
藤の方っていえば……たしか屋敷の女房だよな?
嫌な予感に維茂は眉を寄せた。
そして、まずは経基の文を広げる。
「討伐の進捗はどうか。維茂のことだから今頃は終わらせていると思う。
今回、新たに追加の指示が出た。鬼女の首を都に持ち帰れ。」
「はあ? 首?」
顔をしかめる。
最初に討伐令を受けたときに聞いたのは"退治"だ。
ただの山賊にわざわざ"首"を要求するなんて、聞いたことがない。
維茂は首をひねりながら、次の文を開いた。
「殿の許しをいただき、直接お知らせしたく、同封いたします。
鬼無里には、恐ろしい鬼女が住むと、噂を聞きました。
もし、鬼女が紅葉のことであれば、恐ろしい力で蘇るかもしれません。
恐ろしい鬼女がたしかに退治されたかを確かめるために、必ず首級をお持ち帰りください。」
「はぁん……?」
顎に手をやる。
言葉遣いは丁寧。筋も、一応それっぽい。
……だからこそ。
「なんか、くせぇな」
維茂は低くこぼした。
"かもしれません。"そう言っておいて、最後に"必ず"とついている。
(どれだけ……首を取りたいんだ)
維茂は顔をしかめる。
ふと視線を上げた。
使者がずっと直立している。
「長旅で疲れただろ」
兵士に指示をして、椅子と水を持ってこさせる。使者は恐縮しながら、椅子に座った。
明るい表情を作り、維茂は尋ねた。
「経基はどんな様子だ?」
「はい。殿に置かれましては、日々恙無く過ごしておいでです」
「そうか」
腕組みしてうなずく。
うなずきながら、頭の中では経基のことを考えていた。
経基はいつも建前を崩さない。意味のないことはしない。
なのに女房からの文を同梱させる? しかも首級を持ち帰れ?
維茂はさりげない表情で尋ねた。
「そういや北の対はどうなった?ちょっと前にいろいろゴタゴタがあったろ」
「そう、ですね……」
使者は眉をひそめて言葉を濁した。
「北の対から追放された女房を、鬼無里まで届けたのはオレだ」
維茂は小声で、自分の胸を親指で指した。
「だから、ざっくり事情は聞いてる。その後、どうなったかと思ってな」
それを聞いて、使者はほっと表情がゆるんだ。
「経基さまは、御母堂さまから"そろそろ室を決めろ"と急かされておりまして……現在、局の要である藤の方さまが最有力候補だと、皆が噂しております」
「へえ……あいつもいよいよ、室を迎えるのか」
口では軽く返したが、胸の中では嫌な鐘の音が鳴っていた。
藤の方が"局の要"。
そして"室の最有力"ねえ。
維茂は内心で首をかしげる。
「ですので、婚姻の日までに維茂さまが戻ってこられるか、と気になさっておいででした」
「ふぅん……」
維茂は薄く笑って見せた。
使者はすこし不審そうに眉を寄せた。
「あの、なにか……?」
「いや、なんでもねえ」
維茂はそれだけ返して表情をやわらげた。
「ま、ボロい場所だがのんびり休んでくれ」
◇◆◇◆◇◆◇
洞窟の中。
湿った土の匂いと焚火の煤の匂いが立ち込めている。
山賊たちは呉葉と熊武の話を聞いて歓声を上げていた。
「帰れるのか、荘園に」
「本当に助かるのか?」
その歓声を熊武は嬉しそうに眺めている。
呉葉はその横顔を見て、ほんの少し笑った。
「嬉しそうだな熊武」
「ここに長くいすぎたせいか、愛着が湧きました」
熊武は静かに返す。
「このまま彼らとともに静かに暮らすのも悪くはない、と思えたのです」
「そうか」
呉葉も小さく笑みを浮かべた。
受け入れてもらえる場所があるのなら、それが一番いい。
呉葉は心の中でその言葉を転がす。
小指で、角を隠した耳の上の輪に触れる。
結び目はしっかりしている。
(この角を隠さなくても、維茂は受け入れてくれるのか……?)
わずかに鼓動が跳ねる。
角を見たときの維茂を思い出す。
目を輝かせて「かっけー」だの「嫁になれ」だの。
(……いや、あれはただの馬鹿だ)
慌てて首を振る。
一瞬だけ胸が甘く疼いたのは、ただの気のせいだ、と呉葉は胸の内で打ち消した。
──隠すなよ、もったいねえ。
その言葉が妙に残る。
……残ってしまう。
(隠さなくても、本当にいいんだろうか)
隠さなくても受け入れてくれる人が、受け入れてもらえる場所があるんだとしたら。
維茂の顔を思い浮かべる。
(でもあれは馬鹿だからなあ)
呉葉は小さくため息をついた。
洞窟の前に維茂が近習たちと一緒にやってきた。
すでに山賊たちや熊武が外に出て、出迎えている。
呉葉は集めておいた柿を維茂に見せた。
「この近くに柿の木があったんだ。あと栗も」
手に持った笊の中で、柿がころころと転がる。隣に置かれた籠の中では、栗が日を照り返して光っている。
「すげーな。今日はご馳走じゃねえか」
維茂はうれしそうに笑った。
その顔が妙にまぶしくて、呉葉の鼓動が一瞬ずれた。
とっさに下を向く。
「寺に出した使いが戻ってくるまで、あと一日待ってくれ」
維茂は気づいていない様子で、獲ってきたキジを持ち上げた。
「それまではのんびりしていようぜ」
「鍋か?」
「いや、栗もあるなら飯と一緒に炊き込むか」
山賊たちが嬉しそうに笑う。
「いいな!」
維茂は嬉しそうな顔をした。
近習たちが焚き火と飯盒の準備を進める。
山賊や熊武もその手伝いで走り回っている。
火打石の音。乾いた枝を折る音。
ぱちぱちと、火が大きくなる。
少し離れたところで、呉葉は維茂と並んでその様子を眺めていた。
ふと維茂にじっと見られているのに気づく。
呉葉の胸がうずき始めた。
……落ち着かない。
「アタシも手伝いを──」
なんとなく気まずくて呉葉は腰を浮かせた。それを止めるように維茂が切り出した。
「いや……ちょっと話があるんだ」
「な、なんだよ。また嫁だのなんだの言うのか?」
ちょっと声が上ずってしまう。
「いや……それも言うけど」
「言うのかよ」
即座に突っ込む。しかし維茂は珍しく真面目な顔をした。
「……ちょっと、聞きたいことがあってよ」
「聞きたいこと?」
呉葉は眉を寄せた。
「お前、都でなにがあった?」
腹の底がすっと冷える。
口が自然と閉じた。
「わりぃ。……いや、その」
慌てたように維茂が言葉を濁す。
そして一瞬ためらった後、文を取り出した。
「都から、討伐令の追加が届いたんだ」
「追加?」
維茂が呉葉の前に文を差し出す。
それを受け取って、呉葉は……固まった。
「藤の……字だ」
文字の下のほうが少し左によれている。
見覚えのある癖。
呉葉は視線を上げる。
「なんて書いてあるんだ?」
「ああ、これは……」
維茂は少し顔をしかめる。
「『紅葉の首級を必ず持ち帰れ』……だ」
指先が冷たくなる感覚。
呉葉の呼吸が一瞬止まった。
「オレが最初に受けたのは、ただ単に『鬼女と噂されている山賊を退治しろ』ってだけだった」
維茂の低い声。
「ただの山賊退治でしかなかったはずなのに、どうして鬼女の首なんて話になる?
──鬼女に心当たりがあるヤツが、そいつに生きていてもらったら困るから、だと思った」
維茂は紙の端をぎゅっと握った。
「この藤の方ってのは、今経基の室候補なんだそうだ。
……お前、こいつを知っているか?」
呉葉は俯いた。
飯盒から湯気が吹きあがるのが見える。
焚火の煙が、風に流れていく。
しばらくして、呉葉はぽつりとこぼした。
「藤に……裏切られたんだ」
呉葉の喉がかすかに鳴った。




