―5―
鍋を食べ終わったあと。
火のそばに残るのは、湯気の名残と鹿肉の甘い匂い。
さっきまでの張り詰めた空気が嘘のようだった。
体の芯からぽかぽかと暖かい。
呉葉が何杯目かのおかわりを平らげたところで、維茂が膝の上に紙を広げた。
近習が墨壺と筆を差し出す。
維茂はさらさらと慣れた手つきで筆を走らせていく。
ほどなくして、維茂は紙をもちあげ、目を走らせる。
乾ききらない墨の匂いが風に流れていく。
「ほらよ」
差し出されたそれを、熊武が受け取った。
維茂が呉葉と熊武を交互に見る。
「段取りはこうだ。
……兵士たちと一緒に山賊たちは荘園に戻る。荘園には『山賊に攫われていた』ということにする。
戻ったヤツらは知り合いに声をかけて一緒に兵士と合流してくれ。なるべく大勢だ。
こっちは朝廷の軍隊だ。荘園の連中は手を出せねえ」
指で空をなぞりながら道筋を描く。
熊武はうなずく。
呉葉は、維茂の横顔から目を逸らせなかった。
焚き火の火に赤く照らされた維茂の横顔は、いつものような子供っぽさはどこかに消えていた。
修羅場をくぐり抜けてきたような、まるで凄みのようなものすら感じてしまう。
「あとは道々、通る荘園で人を増やしながら麓にある大きな寺まで向かう。
そこでこの書状を見せればいい」
「突然押しかけても問題はないのか」
熊武がわずかに顔をしかめる。
「寺には先に話をつけておく。もう使者は出してある」
維茂はさらっと言ってのけた。
「その後は荘園に戻ってもいいし、戻るのが不安なら寺に相談して世話になってもいい。
寺は仕事はきついが、食うには困らねえ」
呉葉はぽかんと口を開けた。
(信じて、いいのか?)
ちゃんと逃げ道がある。用意してくれている。
いつの間にか生きるための道ができている。
腹の底にあった重たさが、ふわっと軽くなる。
(……信じたい)
呉葉は維茂をじっと見つめた。
「これで……なんとかなるのか?」
呉葉は思わず息をこぼした。
「ちっと裏の話をすると、寺も助かる。山の中にも口出ししやすくなるからな。
……貴族にしてみればたまったもんじゃねえけどな」
維茂は悪そうに笑った。
「なるほど、それなら合点がいく」
熊武は膝を打った。
「貴族は国司を無視して税を取り放題だった。
寺は国司に代わって影響力を広げたい、というわけか」
「そういうこった」
維茂は首を縦に振った。
「その策、乗った」
熊武は身を乗り出した。
「都の貴族に一発ぶちかましてやれる、というのが気に入った」
ははっ、と声を上げて笑う維茂。
「だいぶ頭領に影響されてきたな」
「確かに」
つられるように熊武も笑みをこぼす。
「なんで熊武まで笑うんだ」
呉葉は頬を膨らませた。
いつのまにか、維茂と意気投合している。打ち解けてしまっている。
……なんとなく置いてかれたようで面白くない。
けど。
これでどうにかなりそうだ、ということはわかる。
お腹の中の暖かさが、重たさまで溶かしていく。
肩の力がすっと抜ける。
「な? オレを信じてよかっただろ」
維茂がどや顔で胸を張る。
「……なんかちょっと複雑だけど、ありがとう維茂」
ちょっと顔をしかめてから、呉葉はお礼をした。
維茂は即座に顔を寄せてくる。
ぎょっとして身を引く。
「どうだ。惚れたか?」
「……まだ言うのか」
呉葉があきれると、維茂は平然とうなずく。
「当たり前だ。オレは本気だからな」
じっと見つめられて呉葉はたじろいだ。
なんというか、むず痒い。目を見返せない。
少しして維茂はぱっと顔を離した。
「けど、なんかそういう雰囲気にならないんだよなあ」
維茂は顔に手を当てて悩むように上を向いた。
「なるか!」
とっさに叫び返す。
維茂は腕組みしながら首をかしげる。
「どうすればいいと思う?」
突然話を振られ、熊武は困ったように眉を下げた。
「私に聞かれても……」
「やっぱ、女の口説き方とかわっかんねえ……」
ぶつぶつと維茂は呟く。
「蔵人に聞いときゃよかったな。たしか文とか送るんだっけ?」
「目の前にいるのになんで文なんだよ」
呉葉が即座に突っ込む。維茂は「だよなあ」とうなずいた。
「歌を送る、とか言われても歌わかんねえし」
「歌? ってなんだ?」
呉葉がきょとんと首をかしげる。
「あー、なんか都じゃ、好きな相手に歌を送るんだと。で、返事も歌でやるらしいぜ」
「そいつの前で歌うのか?」
「楽器どうすんだろうな。笛だと一人じゃ歌えねえし」
「琵琶とか琴なんだろ? アタシは弾けないけど」
「オレもだ」
まるで子供の相談のような会話に、近習たちは頭を抱えている。
熊武は苦笑を浮かべた。
「お前たちも苦労していそうだな」
熊武は近習にぽそっとささやく。
「武略は……優れたお方なのですが……」
近習はため息をこぼした。
◇◆◇◆◇◆◇
「で、お前はどうすんだ?」
維茂が伸びをしながら立ち上がって、熊武に顔を向けた。
近習たちが空になった鍋を片付け、木の椀を重ねる音が響いている。
熊武は維茂に顔を向ける。
「あいつらと一緒に荘園で暮らしてもいい。……もしお前が望むなら、オレの郎党になるってのはどうだ?」
熊武は驚いたように目を見開いた。
「……私が先の戦乱で敗れた側だったことは、言ったはずだ」
「それはお前次第だ」
維茂はわずかに眉を上げる。
「勝つも負けるも戦の常。でも、いつまでも負けた側にいる必要もねえだろ」
熊武は黙った。
炭火のくすぶる焚き火を見る目が、いつになく深く、重い。
やがて熊武は表情をゆるめた。
「お言葉はありがたい。だが、私はもう戦には疲れた。叶うのなら、彼らと一緒にこの地に骨を埋めようと思っている」
「そうか」
維茂は短く答えて、それから笑った。
「それがお前の答えなら、それがいい」
そして目元をゆるめる。
「このあたりはオレもよく通るから、そんときは顔を出せよ」
熊武は深く頭を下げた。
呉葉はじっとそのやり取りを見ていた。
胸の何処かが、ざわっと動いた。
……みんな辿り着く場所がある。
行く先が見つかっている。
維茂が今度は呉葉に目を向けた。
「で、呉葉はどうすんだ?」
呉葉は一瞬、言葉に詰まった。
「山賊たちが無事に荘園に戻れたら、お前もここでやることはなくなるだろ?」
「まあ……そうだけど」
そう、つぶやく。
そういえば、なんで山賊になったんだっけ。
……都だ。
都に戻ろうとしてたんだった。
その路銀を得るために、とんでもない遠回りをしてたんだっけ。
まだ都でやり残したことがある。
心の奥に重たい石のように残っている。
呉葉はふっ、と息を吐いた。
そのとき。
遠くから維茂を呼ぶ声がした。
木々の間を兵士が一人、走ってくるのが見える。
「あ? なんだ?」
維茂が声を上げた。
兵士は維茂が熊武や呉葉といっしょにいるのを見て、一瞬ぎょっとした。
が、すぐに顔を引き締める。
「都から使者が参っております」
呉葉の心臓がきゅっ、と鳴った。




