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―2―

 薄暗い一間。

 人の気配が去ったあとは、急に静まり返っている。

 建物の外から、虫の鳴き声が聞こえてくる。縁側からは、強い日差しが斜めに差し込み、床板をそこだけ明るく照らしている。


 呉葉は藤を見た。

 小さな肩。くりっとした瞳。

 声の感じもさっきの常陸に比べるとずいぶんとやわらかい。

 呉葉は少しだけ、肩の力を抜いた。


「なあ、藤」

「え、なに?」

 声をかけると、藤はびくっと肩を震わせた。


「都の人ってみんな、あんな感じなのか?」

「ちょ、なに言ってるの」

 藤がさっと呉葉の袖をつかむ。

 そして常陸たちの消えた方を確かめるように振り向く。

「常陸の方さまはこのお屋敷の局の要だから、怒らせてはだめ」

 小さい声。でも、必死だ。

「局の要?」

「女房たちのまとめ役。わたしたちはあの方の元でお仕事をするんだから……」

「ふぅん」

 呉葉は首をひねった。

 ようするに"偉い人"っていうことだろうか。

 確かにあの目は怖い。藤が怯えるのもわかる気がする。



 藤に促されて、呉葉はその間から出る。

 縁側はひたすらにまっすぐで、床板も丁寧に磨かれている。


 藤は歩きながら、早口で説明を始めた。

「こっちがわたしたちが使う間。開いている場所は好きに使って」

 指さされた間を覗くと、厨子棚や大きな葛籠が整えて置かれている。

 簾で仕切られた向こうに、別の誰かの気配。

「あっちが厨。あっちが厩で──」

「え、え」

 藤は説明を続けながら、どんどん歩いていく。

 呉葉も裾を踏みそうになりながら必死で追いかけた。

「あと、この先は常陸さまの局だから無断で立ち入らないように」

「わ、わかった」

 返事をしながら、頭には半分も入っていない。

 入っていい場所、ダメな場所が多すぎる。いっぺんに覚えられるわけがない。


「いろいろめんどくさいこと多いんだな、貴族のお屋敷って」

 頭から湯気が出そうになって、つい言葉がこぼれる。

 藤は心配そうに目元を曇らせた。

「そのうち覚えられるよ」

 呉葉は、うん、と答えたものの、あまり自信はない。


 そのとき。ふと、藤の表情に影が差した気がした。

「……紅葉は」

 藤の口が小さく動く。

「殿に直々にお声をおかけ頂いた、って聞いているけれど、本当なの?」

「あー……そうかも」

 呉葉は首を斜めにした。


 ……あれは直々と言っていいんだろうか。

 経基とはどんなことを話したっけ。

 出会ったときのことは、よく覚えていない。

 維茂は──。

 馬鹿だの、子供だの。

 そんなやり取りを思い出して、ついイラッとする。


「どうして──」

 呉葉に目を向けたまま、ふと藤がためらいがちに口にした。

「殿は……紅葉を女房に召し上げられたのかしら」

「さあ?」

 それはこっちが聞きたい、と呉葉は思った。

「多分だけど……"家は伴氏の流れを汲んでる"んだって、父が言ってた。それが理由じゃないか、って」

「そうなの?」

 藤が一瞬、驚いたような表情になる。

 その目に、一瞬だけひどく切実な、あるいは暗い焦りのようなものがよぎった気がした。

 すぐに扇を半分開き、口元を隠す。

「伴氏って言えば古くから名のある家柄じゃない……」

「そう、なのか」

 そう言われても、よくわからない。


 父も母も家柄の話なんてほとんどしない。

(それに、家柄なんてどうでもいい)

 そんなものに興味はない。

「アタシはここで、自分の力で成り上がってやるんだ」

 拳を握りしめ、そう心に決めた。

「都でいろんなことを覚えて、いろんなことをやってみたい」

「……そっか」

 藤は笑みを浮かべる。でも、それはどこか複雑な笑みに見えた。

「けど……成り上がるってどうやって?」

「んー」

 呉葉は首を傾けた。

「えらくなる、とか?」

 藤が苦笑する。

「殿は、まだ室を決めておられないの。いずれ、女房のなかからお選びになるはずだけど……」

「室?」

 また知らない言葉だ。

「そう。……正室になれたら、えらくなれるかもね」

「そっか」

 呉葉は両の拳を打ち合わせた。

「じゃあ、その正室になる。正室を目指すよ」

「ちょ、声が大きい」

 藤は扇をぱっと呉葉の口元に当てる。

「誰が聞いているかわからないんだから、そんなこと言ったらだめだよ」

 震えるような声。周囲をさっとうかがう。

「目をつけられたら、都じゃおしまいなんだから……」

 藤の怯えるような目つき。

 それを見て呉葉は眉をひそめた。

 気にしすぎじゃないか、と思う。

(でも、藤はアタシのために言ってくれている)

 そう思って、呉葉は言葉を飲み込む。


「わかった。気をつける」

 藤はようやく、ほっと表情をゆるめた。




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