―3―
しばらくして。
洞窟へ戻ってきた呉葉は、入り口の岩に手をついた。そのまま肩で息をする。
……なんだあいつ。なんなんだあいつ。
結婚しよう結婚しようって。
(馬鹿じゃないのか)
歩いた距離よりも、頭の中でぐるぐる回っている言葉に疲れてしまう。
喉はからからで、足の傷がうずく。
(……じゃなくて)
そっちじゃない。
(そっちはどうでもいい。どうでもいいから)
そう胸の内で繰り返す。
呉葉は頭を振って、もやもやしたものを吹き飛ばした。
今は、もっと大事な話がある。
「だいぶ長いこと話し込んでいましたが」
熊武が洞窟の中から顔を出す。
いつもよりも声が低い。
心配、というよりも警戒している顔だ。
「それが……」
呉葉は言葉を探した。
維茂が持ちかけた話を熊武に打ち明ける。
……ほんとうに信じていいのか?
「貴族が重税をかけて、荘民を苦しめている……っていう証言を集めたい。
山のふもとに大きな寺があって、そこなら味方になってくれる──って」
筋が通ってしまっているのが、逆に怖い。
自分でも信じ切れていないのがわかる。
声が揺れてしまう。
「信じる気ですか?」
熊武の眉が跳ねあがる。
炎の色が目の中で揺れている。
「わからない」
呉葉は正直に言った。
(もしも、うまくいったら──)
でも、"もしも"でしかない。その甘さが罠にも思えてくる。
ただ……。
「本当なら、あんなひどい取り立てがなくなって、みんな荘園に帰れるかもしれない」
わずかな希望。
すがるような気持ちで、呉葉は小さくこぼした。
「俺は信じられません」
熊武の声が硬くこわばる。
目の奥に怒りが宿る。
「都の連中は平気で人を騙す。父もそうやって討たれた」
洞窟の空気が、きん、と冷える。
熊武は拳を握りしめた。
呉葉は山賊たちを見た。
怪我人たちの不安な目。怯えた顔。
維茂を信じてみてもいい気がする。
でも信じて失敗したら? 今度こそ取り返しがつかなくなる。
迷った挙句、呉葉は口を開いた。
「みんなはどうしたい?」
何人かは視線をそらし、また何人かは下を向いて唇を噛む。
沈黙。焚火のかすかな音だけが洞窟内で響く。
「戻れるなら、戻りたい」
「でも、なあ……」
ためらうようなつぶやき。
言葉尻が、折れた矢のように地面に落ちる。
「……維茂は、また明日来るって言ってた」
呉葉は静かに言った。
「まだ時間はある。……ゆっくり考えよう」
◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
「おーい。また来たぞ未来の嫁」
またしても間の抜けた声。
「だから嫁っていうな!」
つい怒鳴り返してしまってから呉葉は舌打ちした。
……それでも体は勝手に洞窟の外へ向かっている。
外をのぞくと維茂が立っていた。
その横に近習らしい男が二人。
呉葉の背中がそわっ、とした。
ちらっと背後の熊武を目で確かめる。
維茂はのんきな顔をする。
「鹿を狩ってきた。一緒に鹿鍋食おうぜ」
「は?」
あきれが口から漏れる。
維茂はさらに続けた。
「そっちも動けるヤツは出て来いよ。こっちは三人だけだ」
呉葉は振り返った。
熊武と目が合う。
「昨日大丈夫だったからと言って、今日も、とは限りません」
熊武は低い声を出す。
迷う。けど……。
「けど、ここで無視してても始まらないだろ」
疑って立ち止まってても、なにも変わらない。変えられない。
そのくらいなら。
(信じていいかどうか、確かめる)
呉葉は口をきゅっと結んだ。
「熊武、一緒に行こう」
呉葉は熊武に手を差し出した。
「危なくなったらアタシが洞窟まで引っ張ってってやる」
熊武は、むっ、と言葉を詰まらせた。
外からの維茂の声がさらに続く。
「椀ならこっちにあるぜー。匙もだ」
熊武の眉がぴくりと動いた。
少しの、沈黙。
そして熊武は口を開いた。
「確かに、罠を恐れていてもはじまらない。
それに、いつも頭領だけを危ない目に合わせるわけにはいきません」
呉葉は小さく笑みを浮かべた。
昨日と同じ岩の前。
維茂と近習たちが、火をおこし鍋を据えている。
薪がぱちぱちと鳴り、湯気が立ち上っている。
周囲に他の気配はない。
維茂も近習も刀を鞘ごと地面に置いている。
「念のため」
熊武は大刀を腰に下げたまま出てきた。
呉葉は素手だった。
重たい金砕棒は足の怪我にはしんどい。
それに熊武を引っ張って戻るなら手ぶらのほうがいい。
「おう、来たな」
維茂がにっと笑い、親しげに手を上げる。
「あいにく酒はねえが、まあ食おうぜ」
岩のそばを指さす維茂。
熊武は周囲を警戒しながらそこまで歩いていく。そして先に座った。
呉葉はその隣に腰を下ろす。岩の冷たさに足が冷える。
焚火に手を伸ばす。こっちはとても暖かい。
「煮えるまでもうちょっと待ってくれ」
維茂は笑顔を見せる。近習が鍋をゆっくりとかき回す。
湯気に混じって、鹿肉と山菜の匂いが流れてきた。
空腹が情けないほど大きく腹を鳴らす。
……こんな状況で。
……まともに食べてないんだからしょうがないじゃないか。
頭の中がうるさい。
どっちにしてもいい匂いなのが悪い。
「昨日の話、考えてくれたか?」
維茂が呉葉へ視線を投げる。
「みんなにも聞いた。でも……」
呉葉は言葉を濁した。
「ま、そう簡単な話じゃねえよな」
維茂は軽く笑った。
口調は軽いのに、その目つきは妙に真面目だ。
「ひとつ、お尋ねしたい」
熊武が口を開いた。維茂は顔を向ける。
「いいぜ」
「本当に我々の証言でその大きな寺を動かせるのか?」
熊武は刺すようにまっすぐ見た。
「人数がいる」
維茂はあっさり答えた。
「一人二人じゃダメだ。十人、二十人。……いや、できれば百人単位の訴えが欲しい」
「百人……」
熊武が口を閉じる。
山賊は全員合わせても三十人少し。とても足りない。
「荘園の連中にも声をかけられるだろ?」
維茂が続ける。
「証言できる人間が多ければ多いほど『荘園で問題が起きている』って騒ぎにしやすい。小出しにすると貴族がもみ消しに来る」
口調は乱暴なのに、筋は通っている。
呉葉は昨日見えた細い光を思い出した。
「あそこの寺は貴族が目障りで、首を突っ込む機会を狙ってんだ。これはいい火種になるんだよ」
「貴族からの報復はどう防ぐ?」
熊武が畳みかける。
「証言をした者を貴族が探し出そうとするかもしれない」
「寺に睨まれてんのに荘園内で揉めごとは起こせねえよ」
維茂が鼻で笑う。
「あそこには武装した僧兵がごっそりいるんだ。貴族どもに逆らえるだけの度胸はねえ」
近習が鍋の蓋を取った。
もわっと湯気が上がり、いい匂いがあたりを包み込む。
腹がまた鳴った。




