―2―
呉葉は金砕棒を構えたまま、維茂へ一歩ずつ近づいた。
昨日矢を受けた足は、引きずるたびにまだ熱く痛む。土を踏む感触が生々しく感じる。
維茂は岩に腰かけたまま、唐菓子の包みを開けようとして苦戦している。
子供か、と一瞬笑いかけて、さっと顔を引き締める。
「まだ痛むか?」
維茂がふいに立ち上がった。
呉葉はびくっとして身構える。金砕棒を突きつける。
「悪かったな。……お前を射たヤツは、あとで叱っとくから」
「お前が命令しといてそれは横暴すぎるだろ」
思わず突っ込んでしまった。
なんでこんな会話してる? 昨日まで殺し合いしてたのに。
こいつと話してると調子が狂う。
呉葉は内心で舌打ちした。
「ほら来いよ。座ろうぜ」
維茂は気にする風でもなく、呉葉へ手を差し伸べた。
呉葉はさっと身を固くした。
周囲に視線を走らせる。
茂み──は、変化なし。
木の影──も、誰も出てこない。
岩陰? それとも、もっと意表を突いてくる?
体をわずかにひねった瞬間、痛みが足元から突き上げ膝が抜けた。
うっかり金砕棒を取り落としてしまう。
「……っ」
よろけた呉葉の手を、維茂が反射で掴む。
「え、ちょ」
「肩、貸してやるよ」
言うが早いか、維茂は呉葉の体を抱え上げた。
「い、いい! 自分で座る!」
「足痛えんだろ? 強がんな」
抵抗して暴れる。足をばたつかせたせいで、余計に痛む。
維茂は岩にすとん、と呉葉を降ろした。
それから呉葉の顔を覗き見る。
「……嫌だったか?」
「べ、べつに……」
顔がやけに近い。
呉葉は噛みつくように答えて目をそらした。
維茂は困ったように目を泳がせた。
「あー……今日は天気がいいな」
ごまかすように空を見上げる維茂。
呉葉は岩に降ろされたまま体を固くした。
(なんだこれ……なんなんだこれ……)
昨日まで斬り合っていた相手と同じ岩に並んで座っている。
意味がわからない。落ち着かない。
心臓が跳ね回っているのは警戒しているからだ。
呉葉は自分に言い聞かせる。
油断はしない。信用はしない。
これも絶対罠だ。この距離が怖い。
呉葉は拳を握りしめた。
「つーわけで、結婚してくれ」
「なんでそうなる!」
呉葉は声を上げた。
維茂はきょとんとする。
「だって昨日言っただろ? もっかい求婚しに行くって」
呉葉は眉をしかめた。
……確かに、そう言われたけど。
直前まで斬り合ってたのに、そんな言葉を信じるほうがどうかしてる。
「あ、もしかしてあれか? 先に恋文とか贈ったほうがよかったか?」
ぶつぶつ独り言をこぼす維茂。そしておもむろに手を叩く。
「あ、そうだ歌だ! 歌を贈る……? んだっけ?」
「なに言ってんだお前」
呉葉がぽかんとしていると、維茂は一拍置いて見つめ返した。
「いやだってさ……女を口説くの、やったことねえから」
「はあ?」
呉葉の目が半目になる。
「……っていうか、なんで口説こうとしてるんだ!」
「なんで、って……嫁にしたいからに決まってるだろ」
しれっ、と。
なんだその軽い調子は。
呉葉のこめかみに血管が浮いた。
「お前まだそんなこと──」
「まだもなにも、本気だ」
維茂はずいっ、と体を寄せ、さらに顔を近づけてくる。
呉葉は反射でのけぞり、岩から滑り落ちそうになる。
とっさに維茂が片手を背中に回して支える。
「ちょ!」
距離を取ろうともがく呉葉を、維茂はじっと見つめた。
「惚れた。好きだ。結婚してくれ」
「なっ……」
その目に冗談の色はない。
それが余計に呉葉を混乱させた。
「い、意味がわからない!」
両手で、ぐいっ、と維茂を押しのける。
「昨日まで退治するとか言ってたくせに、そんな急に──」
「んな命令、クソ食らえだっつーの」
維茂が鼻を鳴らした。
その声が、言い方が、やたらと子供っぽい。
「あれは経基の顔を立ててやっただけだ。
……オレは元からこんな任務受けたくなかったんだ」
維茂は吐き捨てて、目を斜めに向ける。
「最初に騒いでたのは、この近くに荘園を持つ貴族だ」
維茂の眉が怒りに震えた。
こらえていたものが噴き出すように、遠くをにらみつける。
「あいつらは、口ではえらそうなことを言うくせに、やることがまるで違う。
誰かを貶めるのなんて日常茶飯事だ。
……俺はもともとそいつらが気に食わなかった。
ヤツらと喧嘩するのはしょっちゅう。郎党をぶん殴ったこともある。
謹慎を食らったのも一度や二度じゃねえ」
ガリッ、と音がするくらい、維茂は歯を噛みしめた。
「でもあいつらは都じゃ力を持ってる。
オレは都から追い出される寸前だった。
そこに、今回の討伐依頼を受けたら謹慎を解いてやる、と言われたんだ。
だから仕方なく受けた。
……あいつらに、頭を下げた」
「じゃあ、やっぱり討伐するんじゃないか」
呉葉は冷たく返した。維茂は首を振る。
「いーや。もう止めた。あいつら貴族の都合で仕事するのはまっぴらだ」
維茂は吐き捨てた。
そして呉葉の顔を覗き込む。
一瞬、鼓動が跳ねる。
「お前が戦うのを見てオレも馬鹿らしくなった」
真剣な光。まっすぐ貫いてくるようなまなざし。
なぜか無性に心がざわつく。落ち着かなくなる。
「顔色うかがって、許しを請うマネして、都にしがみついて。……自分でもかっこわるいって、思ってた」
呉葉は返す言葉を失っていた。
「でもお前は違った」
維茂は、優しく角に手を伸ばしてくる。
「どこまでもまっすぐで、噛みついて。……自分が納得いくまで抗うお前の姿に、惚れた」
「さ、さわんな!」
呉葉はさっと頭に手を当てて角を隠す。
維茂の手がぴたっと止まった。
「隠すなよ、もったいねえ」
そっと手を引く維茂。
「お前の角、すげーきれいでかっこいいのに」
「う、うるさい……」
呉葉はそっぽを向いた。
胸の中がむずむずする。
角を見られるのも、触れられるのも、ものすごく怖い。
……そのはずなのに。
(なんだこいつ……! なんなんだこいつ……!)
なにを考えているのか、わからない。
「だ、だいたい!」
つい声が強くなった。
「命令に背いたらお前が怒られるんじゃないのか!」
突き放す。
維茂は肩をすくめる。
「ああ、それな。
……簡単だ。ようは、結果的にお前らが山賊をやめりゃいい」
えっ、と呉葉は詰まる。
「食い物与えて荘園に返してやる。
脅されて従ってた、とかなんとか適当に言えば、荘官たちもそこまで追求しねえ。
そうなるように手をまわしてやる」
言い方が軽い。
けど、その割にはちゃんと筋が通っている。
……ように、聞こえる。
維茂は鼻で笑うようにつけ加えた。
「実際に退治したかどうかなんて、あいつらは気にしねえよ」
少し考える。
そしてちらっと洞窟のほうを見る。
中には熊武と怪我人と、怯えた目。
胸の奥底が小さくうずく。
「それじゃ、ダメだ」
呉葉は言った。
「もともとは、貴族たちが重税をかけて荘民から根こそぎ奪ったから、食えなくなったヤツらが山賊になったんだ」
口に出した言葉で、腹の底が熱くなる。
「あいつらが山賊をやめたとしても、また別のヤツらが同じように山賊を始めてしまう」
「そうか」
維茂は顎に手を当てた。
目を細め、じっと遠くを見つめる。
なにかを小声でつぶやいているが、小さすぎて聞こえない。
「戸隠のふもとにでっかい寺がある」
少ししてから維茂は切り出した。
「ここからなら一日でたどり着ける距離だ」
真面目な声色。
呉葉は目を瞬いた。
「オレはそこの連中とは顔なじみなんだ。
……そこは貴族としょっちゅうもめことを起こしてる。あの寺に睨まれたら貴族たちも好き勝手にはやりづらくなる」
ふっ、と維茂は呉葉を見る。
「そこに重税の訴えをもって駆け込む。そうすりゃ連中も『虐げられている荘園の民を救う』という大義名分で動き出せる」
「訴え……」
呉葉の口が止まる。
訴えなんてどうすればいいのかわからない。
「難しいことじゃない。山賊たちに証言してもらえばいい」
維茂はにやりと笑った。
「人数が多ければ多いほどいい。そうすりゃ貴族どもも握りつぶせなくなる」
呉葉の胸の中に細い光が差した。
「じゃ、じゃあ……」
言葉が震えてしまう。
逃げ道が。生き残れる道が。
もしかしたらみんな助かる?
この希望を信じていいのだろうか。
藤の冷たい目が脳裏をよぎる。
経基の扇を閉じる音。
(こいつは……違う、のか?)
「な? オレ頭いいだろ」
維茂が得意げに笑った。
呉葉は急いで顔を引き締めた。
まだ信じたわけじゃない。
「これでも地方の豪族や武装勢力と渡り合ってきたんだ。
貴族どもを手玉に取る方法には詳しいんだぜ」
維茂は悪そうに笑った。
そして間髪入れずに続ける。
「で、それはそれとして結婚しようぜ」
「だからなんでそうなるんだよ!」
呉葉の突っ込みが山に響いた。




