―1―
翌朝。
山賊たちが使っていた砦には討伐軍の兵士たちが入っていた。
粗末な木の壁には無数の槍が立てかけられ、門の外には赤い絹の旗が風になびいている。
土とかびの匂いに金属の匂いが混じる。
「殿、正気ですか?」
若い近習が顔をしかめた。
維茂は鎧と兜を脱ぎ、直垂姿。革の水筒で水を飲んでいる。
「討伐令はどうなさるのですか」
年上の近習も不安を口にする。
「まあいいじゃねえか」
維茂は外を眺めた。
昨日の呉葉の言葉が、頭の中で繰り返し響いてくる。
──アタシは誰かを守るためにしか、この力を使ったことはない。
自分が間違ってないって思うから、アタシは戦うんだ。
あの目つき。
(あんだけボロボロになりながら、言える言葉じゃねえ)
胸の内側がじわりと熱くなる。
……しょうがねえじゃん。
(かっこいいって、思っちまったんだからさ)
胸の内でそうこぼして、維茂はわずかに目をゆるめた。
「しかし、このまま山賊たちを見逃すのは……」
年上の近習が不安そうに眉を寄せた。
「んー」
水筒の口紐をきゅっと締める。
「オレは、鬼女を退治しろって言われただけだからなあ」
「ではあの角の女を斬るのですか?」
「バッカ、ちげーよ」
きっ、とその近習をにらむ。
それから顎に手を当て、遠くを見た。
「ようは租税が奪われなくなりゃあ、いいわけだ」
水筒をもう一人の近習に渡しながら、維茂はぽつりと落とした。
「山賊はやめさせる。
……どこか暮らせる土地に連れてってもいいし、郎党にしてやってもいい」
「そう……うまく行くでしょうか……?」
若いほうは訝しそうに首をかしげる。
維茂は心の中のわだかまりをふっ、と吐き出すように笑った。
「問題がなくなれば貴族も文句は言わねえよ」
維茂は髪を手で撫でて形を整える。
直垂を手ではたいて土埃を落とす。
「ま、それはそれとして嫁にするけどな」
維茂は立ち上がった。
「今日はオレ一人で行くわ」
近習たちは一瞬言葉を失った。
「さすがにそれは危険すぎるのでは……」
慌てる近習に、維茂は、にっ、と笑いかけた。
「女に会いに行くなら一人だろ」
◇◆◇◆◇◆◇
洞窟の中は夜の冷えがまだ残っていた。
弱々しい焚火の残り香と、湿った土の匂い。
呉葉はぼろ布をふくらはぎに巻きつけて、きつく縛った。
締めつけるだけで、じくりと痛みが走る。
ぐっと奥歯を噛みしめてこらえる。
「傷薬でもあればよかったのですが……」
熊武が申し訳なさそうな顔をする。
「それはみんな同じだろ」
呉葉は顔も上げずに返した。
周りでは肩を落とした山賊たちが座り込んでいる。
どこを見ても包帯と血の滲み。すすり泣く声が、洞窟の壁に張りついている。
ふと、呉葉は奥にいた連中がちらちらと見てくるのに気づいた。
頭の上の、二本の角。
怯えるような視線。
呉葉の心が、ずん、と重たくなる。
「怖いよな……やっぱり」
自嘲気味につぶやく。
頭布は裂かれてしまって、もうない。
隠そうにも隠せない。
「……紐、もらえるか?」
近くの男に声をかけると、びくりと肩を跳ね上げた。
怯えた手でおずおずと麻紐を差し出してくる。
麻の硬い手触り。
ふっ、とため息をついて呉葉はそれを受け取った。
手で髪を梳かし、さっと耳の上に輪を作る。
角にひっかけて隠すようにまとめる。
余った部分は後ろでまとめて、麻紐で括った。
「お前たち!」
熊武が声を荒げた。
「頭領が今まで俺たちをどれだけ助けてくれたか、わかっているのか!」
山賊たちがおどおどと視線を上げる。
「さんざん呪術に助けられておきながら、角におびえるとはなにごとだ!」
うつむいたまま山賊たちは黙り込んだ。
居心地の悪い沈黙。焚火がかすかに爆ぜる。
「もういいよ」
呉葉はうつむいた。
力のない声しか出ない。喉が痛い。
「アタシは、やっぱりみんなとはいられない。……いちゃいけなかったんだ」
ぽつりと言葉が漏れる。
熊武がさらに声を張った。
「そんなことはありません!」
熊武は手のひらを膝に打ちつけた。
「あなたがたとえ鬼でも、我々を救ってくれたことに変わりはない」
呉葉はわずかに目を伏せた。
熊武はいいヤツだと思える。
悪意で言っているわけではないのはわかる。
──でも、"鬼"なんだよな。
呉葉の胸が、ぎゅっと縮む。
「ありがとう」
短くそれだけ言った。
それから前を向く。
「とにかく、ここを抜け出そう」
そして洞窟の入り口を見る。
外は明るい。……ここよりは、ずっと。
「山を下りたら、みんなどこか安全な村でかくまってもらうんだ。きっと、どこかで受け入れてもらえる」
呉葉の言葉に山賊たちは黙って下を向いた。
その目には、迷いと怯え。
呉葉は熊武に目を向ける。
「熊武。お前はみんなをまとめてくれ」
「頭領」
呉葉の意図に気づいて熊武は苦い顔になった。
しかし呉葉は黙って首を振る。
「維茂はアタシが相手する。みんなはその間に逃げ伸びてくれ」
山賊たちはざわめく。
「俺、お頭に助けてもらったのに……」
「鬼女なんて言って悪かった……」
申し訳なさそうな声が聞こえる。
すこしだけ胸の痛みが軽くなった気がした。
(最後くらいは、かっこつけられたかな)
呉葉は唇をきゅっと結んだ。
そのとき。
外から間の抜けた声が飛んできた。
「おーい呉葉。起きてるか」
呉葉は露骨に顔をしかめた。
痛む足を引きずりながら洞窟の外に顔を出す。
維茂だ。
しかも一人。
周囲にほかの気配はない。
金具の音も槍の穂先も見当たらない。
(……なんだ? また罠か?)
「また来たのか維茂」
洞窟の中から言葉を投げる。
足に力を込めて立ち上がる。傷がじわっと痛んだ。
「敵はアタシがひきつける」
後ろに声をかける。
「アタシが戦ってるうちに逃げるんだ。……みんなを頼んだぞ熊武」
「決して無茶はなさいませんように」
熊武の声が苦い。
呉葉は返事の代わりに金砕棒を握りなおした。
外に出る。
秋の山の風がふわっと髪を揺らした。
乾いた落ち葉の匂い。洞窟の中よりは、ずっと心地いい。
洞窟の中では山賊たちと熊武が息をひそめている。
呉葉は維茂の前へ進み出た。
「また取り囲むつもりか?」
茂み。木の影。岩の裏。慎重に視線を配りながら呉葉は歩いていく。
維茂はきょとんとした顔だ。
「逢瀬は二人っきりでするもんだろ?」
「まだそんな戯言を言うのかよ」
かっ、と青筋が立った。
「あんな言葉でだまされたりしない。どうせお前もアタシを──」
「なんだよ。角隠してんのかよ」
のんきな声。
維茂は無警戒に──というより、散歩でもしているように自然に近づいてくる。
呉葉は固まった。
「かっけーんだから隠すことねえのに」
「か、かっけーとか言うな!」
思わず、頭に手が行く。
角を隠した髪の輪っかを隠すように覆う。
維茂は、にっ、と笑った。
「ま、その髪型も俺は好きだぜ」
「その手には乗らない!」
呉葉は金砕棒を向けて構えた。
もうこいつの言葉には乗せられない。
(同じ手は食うか!)
さっと周囲に目を向ける。
……しかしなんの気配も感じられない。
さっきと同じだ。
(どこにいる? 合図で一斉にかかってくるはずだ)
維茂はのんびり近寄って、包み紙を差し出した。
「まあ落ち着けって。唐菓子持ってきたぞ」
「……は?」
呉葉の口が間抜けに開いた。
維茂はそのまま呉葉の目の前まで来て、近くの岩に腰を下ろした。
「ほら。一緒に食おうぜ」
金砕棒を構えたまま呉葉は固まった。
……意味が、わからない。
なんで唐菓子?
なんでのんびり、岩に腰かけた?
鼓動が早くなっていく。
ちらっと背後を確かめる。
熊武と山賊たちは洞窟の影からこちらをうかがっている。
今、維茂が本当に一人なら──今が、逃げる最大の好機だ。
(戦う……?)
足は痛む。でも維茂一人なら倒せるかもしれない。
でももし罠だったら?
戦い始めた途端、隠れていた兵士が出てくるかも。
それとも山賊たちが洞窟を出てきたところで囲まれるかも。
(……話に、乗る?)
もう少し様子を見る。
力だけならまだアタシのほうが強い。
(まだ油断しない)と自分に言い聞かせ、ひとつ息を整えた。
「……話を聞くだけだぞ」




