―1―
山の奥深く。
岩肌の見える崖に洞窟が口を開けていた。
岩肌は固く、湿った土の匂いが鼻につく。
地面に怪我人が折り重なるように寝転んでいた。
うめき声。浅い呼吸。そして血の匂い。
奥へ進むほど光は届かなくなる。焚火の赤だけが人の影を揺らしている。
呉葉は洞窟の入り口に目を向けた。
ここから見える山の景色は、紅葉で燃えるような色だ。だというのに、吹き込んでくる風は肌を刺す。
「もうだめか……」
「捕まったら打ち首だよな……」
山賊たちの声が弱々しく漂う。
討伐軍は今も山の中をさまよっているはずだ。
今にも洞窟に踏み込んでくる──そんな気すらしてしまう。
(ここが見つかったら、終わりだ)
呉葉は胸がざわつくのを、無理やり抑え込んだ。
「……打って出ましょう」
唐突に熊武が言い出した。
いつもの冷静な口調がひどくざわめいて聞こえる。
「ここでむざむざやられるよりも、刺し違えてでも活路を見出しましょう」
「馬鹿か」
即座に切り捨てる。
「死んだらそこで終わりじゃないか。お前のやりたいことも、守りたいものも、全部終わってしまう」
「ですが……」
熊武は口を開きかけて、閉じた。
拳を膝に置いたまま黙り込む。
沈黙が空気ごと冷やしていく。
「アタシが行く」
呉葉は金砕棒を握りしめた。
誰かが「え」と息をのむ。
「でもやられに行くんじゃない。ここが見つかるより先に大将の維茂を探し出して倒す」
熊武が拳を握り締める。
「なら、私も──」
「お前がここを離れたら、敵が来たときに誰が怪我人を守るんだ」
呉葉はそう言い捨てて、洞窟の外へ踏み出した。
風が頬を撫でる。乾いた木々の匂いが肺に刺さる。
(大丈夫)
そう思って、呉葉は気持ちを踏みとどまらせた。
(維茂をやっつければ、まだ逆転できる)
◇◆◇◆◇◆◇
紅葉がぱらぱらと落ちてくる。
落ち葉の積もった足元はやわらかく、踏めば、かさっ、と沈む。
呉葉はそれを避けて、岩肌と木陰を選びながら滑るように進んでいった。
あちこちから兵士の気配を感じる。
茂みの隙間から鎧のこすれる音。木の枝のなかにも槍先が揺れている。
まるで山そのものが目を持ったように、通る道が塞がれている。
歯を噛み締めて息を殺す。
出会いがしらに気をつけながら慎重に足を運んでいく。
少し開けた場所が見えたとき──呉葉は目を開いた。
維茂がいる。
しかも一人だ。
紅い葉が舞い落ちる中、その姿だけがやけにくっきり見えた。
(見つけた……!)
血が一気に熱くなる。
考えるよりも先に体は動いていた。
茂みを割り一直線に飛び出す。
うなりを上げ金砕棒を振り下ろす。空気が引き裂かれる重い音。
ぎん、と硬い音。
維茂が刀を抜き、金砕棒を受け止めていた。
「ホントにまっすぐ突っ込んできやがった」
あきれたような目で維茂は呉葉を見た。
呉葉は力を込めて睨み返す。
「お前を倒して、みんなで生き残ってやる!」
そのとき。
周囲の茂みがざわっ、と揺れた。次々に兵士が飛び出し周りを囲んでいく。
(罠か!)
喉の奥がひりつく。
でもいまさらだ。
(引けるものか!)
金砕棒を握る手に力を込める。
維茂が斬りこんできた。呉葉は跳ねてかわす。
背後から別の刀が迫る。振り向いてそれを金砕棒で受け止め、続けて突いてきた槍先を打ち払う。
さらに別の兵士が、今度は左右から同時に斬りかかってくる。
「……っ!」
呉葉はとっさに飛び上がり、木の幹を蹴って包囲から抜け出す。
着地するや否や、そこにも兵士が駆け寄ってくる。
「っち……!」
まっすぐ突きを入れる。兵士はぎりぎりで避けたものの、体勢を崩した。
さらに踏み込む。──と、後ろから刃が振り下ろされる。
(多い……!)
素早く沈み後ろの兵士の足を払う。
どたん、と派手に転ぶ音。しかしすぐにもう二人。
金砕棒を振り回し、走ってきた刀を弾き飛ばす。しかしまた左右を挟まれた。
(負けるもんか!)
左の兵士に体当たり。硬い鎧に当たった肩の骨がきしむ。
次いで振り下ろされる刀を金砕棒で弾き、腹に蹴りを入れる。兵士が派手に吹き飛んでいく。
……まだ来る。
前転して刀を避ける。起き上がりざま、飛び掛かってくる相手に後ろ蹴りを入れる。
蹴り倒された兵士を避けて槍の穂先が迫る。地面を転がりながら避け、飛び起きて槍の柄を叩いた。
(負けたくない……負けられない!)
嘘をついたヤツらも。決めつけてくるヤツらも。
都のヤツらも。
(全部ぶちのめす!)
背後からの斬撃を背中へ回した金砕棒で受け止める。
力任せに押し返し、続けざまに回し蹴りを放つ。……が、兵士は飛びのいて避けた。
息が上がる。
腕が重い。肺が苦しい。
目を走らせて維茂を探す。
周囲には十人以上の兵士。
維茂は少し離れてこっちを見ていた。
どこか憐れむような、羨むような目。
目が合った瞬間、維茂は眉をしかめた。
そしてわずかに目をそらす。
そのとき三方向から同時に刀が降ってきた。
とっさに掲げた金砕棒で受け止める。ゴゴン、という重い衝撃が腕に響く。
押される。地面に膝がつく。
呉葉は歯を食いしばった。
「うあああぁぁぁ──っ!」
肺の中から力いっぱいに声を絞り出す。
足を踏ん張り、肩に力を込める。
無理やり押しのけ、三本の刀ごと兵士たちを弾き飛ばした。兵士の体が土の上に転がる。
しかし息をつく暇もなく、背後からまた刃。
息を切らせながら呉葉は飛びのいた。
(まだだ!)
奥歯をめいっぱいに噛み締める。次々振り回される刀を金砕棒で払いのけていく。
刃先が肩をかすめ、腿に赤い筋を作る。手首と膝に鋭い痛み。
遅れて熱い痛みが来る。
槍をよけ、兵士の腕を掴む。体を回して兵士を投げ飛ばす。
しかし次の刃を避けきれず左腕から血が噴き出る。
「っ……!」
振り向きながら蹴り。が、空を切る。
飛んでくる刀を体をひねってかわす。
膝をついたまま金砕棒を相手に突き出して距離をとった。
指が、滑る。
汗? 血?
……どっちでもいい。
(どこまでも、あがいてやる)
息を吐いて呼吸を整える。
まだ荒い。
吐いた息が細く光りはじめた。
兵士の背後で、落ち葉が巻き込まれるように舞い上がる。
──しかし。
「同じ手は食わねえ」
ひゅん、と風を切る音。
ばっ、と飛び上がった維茂が、舞い上がった落ち葉を煙ごと切り裂いた。
光の筋は風にほどけるように消えていく。
(……破られた)
肩で息をしながら呉葉は悟った。
周囲にはさらに兵士が集まってきている。
十重、二十重。
足が重い。肩が上がらない。
(それでも──)
呉葉は維茂に視線を突きさした。
絶対に諦めない。
諦めたりするもんか。
歯を固く噛み締める。
ふと、維茂が手で合図をするのが見えた。維茂のそばに誰かが駆け寄っていく。
そしてその男は大声で叫んだ。
「山賊の隠れ場所を発見しました!」
その声にさっと血の気が引いた。
あそこには熊武と怪我人しかいない。今襲われたら終わる。全滅しかない。
「くそっ!」
力を振り絞って地面を蹴る。
頭上の木の枝をつかみ、兵士を飛び越える。
そして落ち葉のつもる中へ、ざさっ、と転がり落ちた。
「逃がすな!」
背後から維茂の叫ぶ声。
振り向きもせず呉葉は走り出した。




