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山賊の砦。
穴だらけの板壁に、板が適当に打ちつけられている。
風が吹くたびに冷気が入り込み、骨まで冷え込む。
放棄されていた古い建物の二階は、かび臭い匂いが漂っている。そんな中、男たちは平気でごろ寝している。
呉葉はその真ん中で針を走らせていた。
「これから冬なんだから、穴の開いたやつはちゃんと直しておけ」
麻の直垂。小袖の裂け目。
慣れた指先で、布に糸を通していく。
それが終わると、今度は角を合わせて、きれいに畳む。
「姐さんは畳み方がきれいだなあ」
「……だろ?」
答えながら、藤の顔がちらっとかすめる。
この畳み方は藤に教えてもらったものだ。
それを思い出して、胸の奥がちくっとする。
呉葉は気持ちを切り替えて、顔を前へ向けた。
「ほかに穴の開いたの着てるヤツはいないか? 今のうちに出せ」
そこにいた何人かが、その場で帯をほどき始める。
「ここで脱ぐなバカ! 衝立の裏に行け!」
怒鳴ってから、ここにはそんなものないことに気づく。
男たちは困ったように目を見合わせた。
呉葉は呆れたようにため息をついた。
「せめて着替えてからもってこい」
その言葉に、男たちはバタバタと階段を駆け下りていった。
入れ違うように、熊武が登ってきた。
いつもよりも、表情が硬い。
「頭領」
真剣な顔に、呉葉は針を持つ手を止めた。
「物見に出ていた者が戻ってきました」
その後ろから細身の男が顔を出す。
男は膝をついて頭を下げた。
「紅葉さま、それが……妙な噂を耳にしまして」
「妙な噂?」
「へい……なんでも、都から討伐軍がやってくる、とか」
都。
その言葉だけで、おなかの底がぐっと重たくなる。
呉葉は顔をしかめた。
「問題は、どこへ向かうのか、です」
熊武が唇をかんだ。
「このあたりで反乱や騒動が起きている話は、聞きません」
「……? どこかに向かう途中じゃないのか?」
呉葉の言葉に、熊武は小さく首をかしげる。
「南の東山道から越後へ向かうとしても、ここは外れすぎです」
「……じゃあ、アタシたちを退治しに、ってこと?」
山賊たちは眉を寄せて、お互いの顔を見る。
「いや……」
熊武は首を振る。
「山賊退治程度で都の軍勢が動くとは思えません」
低い熊武の声は余計に不安をあおる。
「いずれにしても、行き先がはっきりするまで警戒は必要でしょう」
「ふぅん……」
呉葉は肩をすくめた。
噂か。
だけど、気にしても仕方がない。
「都の連中が来るっていうんなら、いつもどおりぶっとばすだけだ」
呉葉は吐き捨てた。
軽口のつもりだった。
しかし山賊たちは救われたように声を上げた。
「そうだよな!」
「都の軍隊がなんだってんだ!」
熊武は困ったように眉をひそめた。
次の日。
今度は山のふもとまで出かけていた者が戻ってきた。
熊武と一緒に入ってきたその男は、ずいぶんと顔色が悪かった。
「鬼無里の荘園に、都からの討伐軍が来ているらしいです」
熊武の声がこわばっている。
呉葉は顔をしかめた。
「しかも、その目的が……"鬼女退治"だそうで……」
「……鬼女?」
そんな単語聞きたくもないのに。
腹の奥から冷えていく。
周りの山賊たちは小さな声で囁き合った。
「い、今のうちに逃げるか……?」
「馬鹿言え、こっちには紅葉さまがついてんだぞ」
「だ、だけどよ……」
誰かの息をのむ音がやけに大きい。
だん、と強く床板を踏みつけて、呉葉は立ち上がった。
ぐっと拳を握る。
「なに怯えてるんだ。討伐軍だかなんだか知らないけど、怖がることなんかない」
山賊たちは、一瞬静まり返った。
そして、ぽつぽつと声を上げる。
「そ、そうだ……」
「姐さんがいれば怖いものなんかねえよな」
顔を見合わせ、うなずき合う。
しかし、その声はどこか落ち着きがない。
熊武は眉間にしわを作った。
「とにかく迎え撃つ準備をしましょう」
ばさっ、と広げたのは、手書きの地図。砦の周りの地形図だ。
「この山の中では大軍は身動きが取れません」
その中の一点を指で示す。
「里から登ってくる途中に、両側を大岩に挟まれて狭くなる場所があります」
呉葉は小さく肯き、金砕棒を手に取った。
「わかった。そこで迎え撃とう」
熊武も無言で肯いた。
大丈夫。
どんなヤツらが来たって、関係ない。
金砕棒を握る手に、力が入る。
「どんな連中が来ても、まとめてやっつけてやる」
◇◆◇◆◇◆◇
呉葉たちは岩場にたどり着いた。
ここは両側に大きな岩があるせいで、ただでさえ狭い山道がさらにすぼまっている。
岩の手前は広場になっていて、ねらい打つにはちょうどいい。
「この岩の奥に倒木を組め。弓持ちは岩の上に」
熊武の指示に、山賊たちが動く。
ごろごろと倒木が運ばれ、岩の間を埋める。
「残りは林に潜んで、矢で混乱したところを一斉に叩く」
落ち葉を踏みしめる音が、かさかさと走っていく。
熊武は呉葉を見た。
「頭領は倒木の後ろでお願いします」
「まかせろ」
呉葉は腕をぐるんと回した。
それを見て山賊たちが意気揚々と拳を上げる。
「姐さんがいりゃ怖くねえ!」
「やったろうじゃねえか!」
熊武は満足そうにうなずいた。
しばらくして。
道の向こうから足音が近づいてきた。
鎧や鞘の硬い音が混じる。
やがて、隊列を組んだ集団が姿を現した。
枯葉の匂いが、鉄の匂いに上書きされていく。
足音は大岩のだいぶ手前で止まった。
落ち葉が風に転がる音だけが残る。
倒木の裏で身をかがめながら、呉葉は金砕棒を握りしめた。
遠い。
警戒している?
倒木をどかしに来るはずだ。
そうすれば弓が届く。
……のに。
呉葉はつばを飲み込む。
(じれったい)
呉葉は積み上げた倒木に足をかけ、上に登った。
岩の間を通り抜ける風が、冷たく頬を撫でていく。
「はるばる都から、こんな山奥になんの用だ!」
山の中に声がこだまする。
岩の手前、少し開けた場所に鎧の集団が整列している。
ざっと三十人くらいだろうか。
集団の先頭にいた男が一歩前に出た。
兜のひさしの影に険しい顔が見える。
「お前が山賊の頭領か」
見覚えが、ある。
その声にも。
「え?」
呉葉は目を丸くした。
「あ?」
男の足が止まる。
呉葉は息をのんだ。
「維茂、なんでお前がここにいる?」
「呉葉こそ、なにやってんだこんなところで!」
同時に声が飛んだ。
「まさか、とは思うが……」
維茂の声がわずかに揺れた。
「荘園からの荷駄隊を襲っていたのは、お前たちなのか?」
呉葉は怪訝そうに維茂を見た。
「貴族が荘民から奪った品物を取り返してやったことを言っているのなら、そうだ」
維茂はその言葉に絶句した。
「おっまえ……マジかよ……」
手を顔に当てて、仰ぐように上を向く。
呉葉は金砕棒をぶらぶらさせながら、じっと維茂の顔を見つめていた。




