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秋の山道は、すでに風が肌寒い。
指先がかじかむほどではないとはいえ、呉葉は肩をすくめた。
木々は少しずつ色を変え、落ち葉が馬の蹄に踏まれて湿った匂いを上げる。
木々の向こうに、谷間の集落が見える。
低い屋根、土色の壁。田畑がへばりつくように並び、煙が細く立っている。
水音もする。どこかで小川が流れているらしい。
「鬼無里だ」
維茂の声がこぼれた。
狭い谷間にへばりつくように、田畑と建物が並んでいる。
屋根は低く土色の壁。暮らしの匂いが染みついているみたいだった。
一番大きな建物の前まで進んでいく。
そこで維茂と呉葉は馬から降りた。
細かい砂利が音を立てる。その上を落ち葉が風に乗って滑っていく。
建物の前に立っていた男は、荘官を名乗った。
維茂は郎党に指示して、文書を荘官に渡す。荘官は軽く頭を下げて受け取った。
続けて「追捕使」と声をかける。
水干に刀を差した男たちが、呉葉のそばまで歩いてきた。
「おや……手縄と腰縄は?」
追捕使の一人が呉葉の手首を見た。
維茂は一瞬、目を泳がせた。そして誤魔化すように笑う。
「あー……わりぃ、古い縄使ったら、途中で切れちまって」
追捕使たちは首をひねったものの、それ以上の突っ込みはせずに黙った。
(……嘘つくの下手すぎだろ)
そのやり取りに、呉葉はつい笑いそうになった。
静かで、のどかな風景。
張り詰めたような空気は、どこにもない。ただ風が冷たいだけだ。
「ようやく、ここでお役御免だな」
維茂が大きく伸びをした。
こきっ、とどこかの骨が鳴る。
「ここまで大人しくしててくれて助かったぜ」
言葉とは裏腹に、その表情はどこか寂しそうに見える。
「逃げたら維茂はしつこく追いかけてきただろ」
呉葉は返した。
「よくわかってんじゃねえか」
維茂は声を上げて笑った。
(違う……)
こんな、文句を言うような感じじゃなくて。お礼?じゃないな……。
うまい言葉が浮かんでこない。
荘官が受け取った文書を読み終えて、顔を上げた。
「確かに、身柄をお預かりいたしました」
「……おう、まかせたぜ」
咳払いをして、維茂は背筋を伸ばす。
呉葉をちらっと見る。
「あー……その」
目が泳ぐ。
それから、もう一度目を呉葉に戻す。
「ちゃんと大人しくしてろよ。……何年かしたら迎えに来てやる」
「何年か?」
「追放はともかく、流罪はいずれ解けるだろ。都にこだわんなきゃ暮らしやすい土地もあるぜ」
流罪。
罪。
(じゃないのに)
ざらっと胸が荒れる。
「嫌だ」
苛立ちがそのまま声に出ていた。維茂の目がわずかに大きくなる。
「アタシは必ず、都に戻る」
その目を見ながらはっきりと口にする。
これは願いじゃない。祈りでもない。
誓いだ。
維茂が大げさに息をつく。
「都のどこがいいんだよ。腹の探り合いしてる連中しかいねえだろ」
そして肩をすくめる。
「これでもう少し聞き分けがよけりゃなあ」
「アタシは間違ったことしてないのに、なんで素直に聞き分けなきゃいけないんだ」
呉葉はにらみつけた。
「間違ってるのは都のほうだ」
「だから子供だって言ってんだよ」
維茂の眉が困ったように下がる。
「ま、都に合わせようとするよりも、そっちのほうがよっぽどお前らしいけどな」
あきれたような口調。でも、その口元はわずかにやわらかい。
呉葉はむっとして黙った。
「当分はここでおとなしくいい子にしてるんだな」
そう告げると、維茂は馬にまたがった。
「また会うことがあったら、唐菓子買ってやるよ」
「子供扱いすんな!」
維茂は手綱を引き、馬を回す。
維茂は肩越しに手を振って、遠ざかっていった。
呉葉はその背中をじっと見送っていた。
追捕使に背中を押され、仕方なく歩き出す。
「都に戻って藤に言ってやるんだ」
呉葉は吐き捨てた。
◇◆◇◆◇◆◇
荘園の隅。
他の建物から遠ざけるように、ぽつんと小さな小屋が建っている。
追捕使が戸をガタガタと開けた。戸板は薄く、軽い。
板の継ぎ目からは風が入り、ひゅっと音がする。
中は、板敷きに古い筵が一枚。小さな桶と、欠けた木椀。
「荘園の外には出ないように」
追捕使と一緒に来た荘官が告げる。いかにもめんどくさそうな表情。
「それ以外であれば、なにをしていてもかまわない。くれぐれも問題だけは起こさぬように」
言い残して、荘官は追捕使とともに足早に去っていった。
呉葉は鼻先で息を鳴らした。
薄暗い小屋の中から外を見る。
裏手には狭い畑があった。日当たりはいい。
しばらく使われていないのか、落ち葉や小石が混じっている。でも手入れすれば使えそうだった。
たぶん種や苗も言えば分けてもらえるのだろう。
──ここで大人しくしてりゃ、何年かしたら流罪は解ける。
維茂の言葉を思い出す。
静かに、大人しく。
罪が許されて解放されるまで、つつましく暮らしながら、待つ。
……そういう、ことか。
「冗談じゃない」
呉葉は乾いた笑いを浮かべた。
拳をぐっと握りしめる。
その手の中には、たしかに熱がある。
「だーれが大人しくなんてしてやるもんか」
呉葉は顎を上げ、吐き捨てるように言った。




