―3―
静寂。
土埃と汗の匂いが残る。
怒号も悲鳴も遠のき、耳に残るのは自分の息だけだった。
やがて、どこからともなく拍手が聞こえてきた。
最初は遠慮がちに。しかし、次第に大きくなっていく。
「助かったぞ姉ちゃん!」
「すげー怪力じゃねーか!」
「かっこいいぞ!」
旅装束の商人。刀を差した武士。荷を背負う男たち。
(……あれ?)
怖がられて。遠巻きにされて。
どうせそうなると思っていたのに。
呉葉は瞬きをした。
子連れの女が、何度も何度も頭を下げている。
なんとなく気恥ずかしくなって、呉葉はそっぽを向く。
目の前の行為が、ちゃんと伝わる。見てもらえる。
ただそれだけなのに、妙にまぶしい。
金砕棒を握る手がゆるむ。
胸を焼いていた痛みが引いていく。
(あ──そっか)
ふと、気づいた。
ここはもう、都じゃないんだ。
関所の役人たちが門の前に集まっているのが見えた。
ひそめた声でこちらをうかがっている。
「検非違使に報せを……」
「いや陰陽寮だろう」
「あれは……人なのか?」
そんな声が聞こえても、胸の内はざわつかなかった。
もう、どうでもいい。
隠して、抑えて、怯えて。……息苦しくても我慢して。
そんなことをするより、やっぱりこっちのほうがいい。
「ありゃあ都まで噂になるかもな」
維茂が刀を収めながらつぶやいた。
そしてぐるっと群衆を見回す。
「ったく、派手に暴れやがって。あとで経基に怒られるのはオレなんだぞ」
その表情はどこか楽しそうにすら見える。
「ま、すっきりしたけどな」
門番たちが倒れた大男に縄を巻きつけている。
怪我人は助け起こされ、詰所まで運ばれていく。
ふっ、と息が抜ける。
呉葉はようやく肩の力をゆるめた。
「にしても……」
維茂があきれたような目をする。
「素手で金砕棒受け止めるとか、なんつー馬鹿力だよ」
「誰が馬鹿だ」
呉葉は唇を尖らせた。
「あのなあ……武器を持った男の前に飛び出すとか、馬鹿じゃなきゃできねえだろ」
「んだと!」
維茂はぷっと笑う。
「……こりゃあ都が合わねえハズだ」
「ちょっといいか」
門番が歩いてくる。
呉葉はさっと表情を固くする。
「勘弁してくれよな……」
隣で維茂がつぶやいた。
「罪人捕縛への協力、感謝する」
門番は頭を下げた。
「しかし、そちらの女人に関して話をうかがいたい」
「あのな」
維茂の声が低くなる。
「オレたちは六孫王、源経基の命で信濃の戸隠にある鬼無里荘へ向かう途中だ」
言いながら通行証を門番に突きつける。
門番の顔色が変わった。
「このまま黙って通せ。さもないと後でめんどくさいことになるぞ」
維茂の言葉に門番の目が泳ぐ。それを聞きつけたのか、別当らしい男が慌てたように走ってきた。
「源家の通行証持ちを詮議するなど許されんことだ!」
別当に叱責され、門番は青ざめた顔で後ずさった。
維茂は郎党が引いてきた馬にまたがり、呉葉の隣に寄せた。
「なんだ、こうなるなら最初から経基の名前を出しておけばよかったのに」
維茂は呉葉に顔をむけた。
「内密にって言われてんだよ」
維茂は呉葉の手をとった。
「もう遅ぇけどな」
ぐい、と引き上げられて、呉葉は維茂の前に乗せられる。
ふと、背中から伝わる体温に気づく。
戦った直後の、維茂の汗の匂い。
呉葉はほんの少しだけ落ち着かない気分になった。しかし、それを誤魔化すように前へ向き直る。
維茂は唇の端を上げた。
◇◆◇◆◇◆◇
関の大門を、くぐり抜ける。
呉葉はちらっと後ろを振り返った。
まだ何人かが物珍しそうに呉葉を見送っている。
恐怖や警戒には見えない。たぶん、好奇と感心だ。
「アタシはやっぱり、間違ってない」
呉葉がぽつりとこぼすと、背後で維茂が笑った。
「お前はその方がいい」
後ろから維茂の声。
「都みてえなめんどくせえ場所より、よっぽど生き生きしてるじゃねえか」
そう、だけど。
それは自分でもわかるけど。
──維茂に言われるのは、なんか腹が立つ。
(今は大人しく追放されてやる)
呉葉は胸の内でそう決めた。
(でも必ず都に戻ってやる。そして、もう一度藤に会うんだ)




