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―1―

 都の外れ。

 ここまで来ると、板壁の隙間が目につく家が増えていく。境目を越えるだけで、空気の味が変わった気がした。

 前にここを通ったのは、ほんの少し前のはずなのに――ずいぶん昔みたいに遠い。


 かまどの煙が低く漂い、風が砂埃を巻き上げる。鼻の奥がつんとする。

 犬の遠吠え、子どもの甲高い声。都の喧騒とは違う、暮らしの音が板壁の隙間からこぼれてきた。


 呉葉の腰には縄、手首にも縄。縄目が荒く、動くたび皮膚が擦れて熱い。

 簡素な小袖に袴、頭には頭布。汗の逃げ場がなく、うなじのあたりがじっとり濡れる。

 馬の背は思ったより揺れて、腹の底がふわりと浮く。


「なー」

 背後から、場違いに軽い声。

 呉葉は顔をしかめ、維茂の存在を無視するように前だけを見た。

「お前、なにやらかしたんだ?」

 後ろから首を伸ばすようにして覗き込んでくる顔。


「維茂には関係ないだろ」

 吐き捨てて、不貞腐れたようにそっぽを向く。

 維茂は小さく肩をすくめた。


 鬼無里までの護送役は、顔見知りだからという理由で維茂が選ばれたらしい。

 ――今は、顔を合わせたくない。声も聞きたくない。

 それでも背後の気配は、嫌でもついてくる。

 呉葉はずっと横を向いたままだった。


「詳しいことはわかんねえけどよ」

 維茂は鼻の頭をかいた。

「まあ、元気出せ」

「うっさい」

 つい、イラッとして、後頭部を反らせて顎に頭突きした。ごつん、と鈍い音。

「いって……!」

 維茂がうめいた。

「てめ、せっかく人が慰めてやってんのに」

「アタシは今機嫌が悪いんだ」

 呉葉は前を向いた。

「こいつ……」

 維茂はむっとして唇がわずかに動いたものの、結局言葉は返ってこなかった。


(アタシは悪いことはしてない)


 ……なにもやっていないわけではない。

 実際に、幻術を使った。それを見られてもいる。

 それも、二回。


 ──都で呪術を使うなど死罪に値する。

 経基の言葉が思い出される。


 ぱちん、と扇を閉じる音。

 燭台の揺れる灯。脂の匂い。

 闇に消えていく、藤の足音。


 呉葉は奥歯を強く噛んだ。

 強い怒りが体の中に渦巻いているのに、心は冷え切ってしまっている。


 ……罪?

 なんの、罪?

 アタシは藤のためにやっただけなのに。


 涙が滲む。

 縛られたままの両手を動かそうとして、縄が食い込んだ。

 呉葉は痛みを無視して、顔を強引に拭った。



「──でさ、俺はそいつに聞いたんだよ。なんで蔵人の悪口ばっか言ってんだ、って」

 呉葉の背中に、維茂と郎党たちの笑い声がまとわりつく。

 馬の蹄の音。馬具のきしみ。

 それら全部が、今の呉葉には耳障りだった。

「そしたら、歌がうまいやつは女癖が悪いに決まってる、って言い張るんだ。

 だから言ってやったんだよ。

 『あいつ歌ヘタクソだぞ』って。そしたらブチ切れてよー」

 周囲の郎党はくすくす笑いながら維茂の話を聞いている。


 維茂はちらっと呉葉の横顔を覗き込んだ。

 呉葉はただじっと前を見ていた。

 今は笑い声すら自分に向けられているようで、癇に障る。

 維茂が小さく息を吐いたのが、背中に伝わってきた。



◇◆◇◆◇◆◇



 周囲に木々が増えていく。

 人の匂いや生活の音が遠ざかり、木の匂い、風の音が近くなる。


 視界の先に大きな門が見えてきた。

 古びた木肌が黒く脂ぎって見える。

「おっ、逢坂の関についたな」

 背中から維茂の声。


 門の手前についたところで維茂は馬から降りた。続いて呉葉も降りる。

 維茂は呉葉を繋ぐ縄を郎党に持たせ、門の前へと歩きはじめた。

「今日は経基がいねえからな。ちょいと時間がかかるけど、待てるな?」

 維茂は歩きながら、振り向く。

 呉葉はふん、とそっぽを向いた。

「大人しく待ってたら唐菓子でも買ってやるよ」

「子供扱いすんな!」

 とっさに噛みつく。

 維茂は手をひらひらと振る。

「まあそう言うな。ここいらの唐菓子はうまいんだぜ」

「いらない」

 吐き捨てるように答えて、また黙る。


 目の前を人が行き交う。

 都を出ていく旅人。都へ向かう商人。

 大きな荷物を背負った男。子連れの女。老人。


 みな、どこかへ向かっている。向かう先がわかっている。

(なのに、アタシは──)


 なにがいけなかった?

 藤に裏切られた。嘘をつかれた。

 噂。疑い。空気。

 なにがなんだかわからないまま、都からはじき出されてしまった。


(アタシはなにも悪いことはしてない)

 胸の奥底で、何度も同じ言葉が湧き上がっては、消えていった。




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