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都の外れ。
ここまで来ると、板壁の隙間が目につく家が増えていく。境目を越えるだけで、空気の味が変わった気がした。
前にここを通ったのは、ほんの少し前のはずなのに――ずいぶん昔みたいに遠い。
かまどの煙が低く漂い、風が砂埃を巻き上げる。鼻の奥がつんとする。
犬の遠吠え、子どもの甲高い声。都の喧騒とは違う、暮らしの音が板壁の隙間からこぼれてきた。
呉葉の腰には縄、手首にも縄。縄目が荒く、動くたび皮膚が擦れて熱い。
簡素な小袖に袴、頭には頭布。汗の逃げ場がなく、うなじのあたりがじっとり濡れる。
馬の背は思ったより揺れて、腹の底がふわりと浮く。
「なー」
背後から、場違いに軽い声。
呉葉は顔をしかめ、維茂の存在を無視するように前だけを見た。
「お前、なにやらかしたんだ?」
後ろから首を伸ばすようにして覗き込んでくる顔。
「維茂には関係ないだろ」
吐き捨てて、不貞腐れたようにそっぽを向く。
維茂は小さく肩をすくめた。
鬼無里までの護送役は、顔見知りだからという理由で維茂が選ばれたらしい。
――今は、顔を合わせたくない。声も聞きたくない。
それでも背後の気配は、嫌でもついてくる。
呉葉はずっと横を向いたままだった。
「詳しいことはわかんねえけどよ」
維茂は鼻の頭をかいた。
「まあ、元気出せ」
「うっさい」
つい、イラッとして、後頭部を反らせて顎に頭突きした。ごつん、と鈍い音。
「いって……!」
維茂がうめいた。
「てめ、せっかく人が慰めてやってんのに」
「アタシは今機嫌が悪いんだ」
呉葉は前を向いた。
「こいつ……」
維茂はむっとして唇がわずかに動いたものの、結局言葉は返ってこなかった。
(アタシは悪いことはしてない)
……なにもやっていないわけではない。
実際に、幻術を使った。それを見られてもいる。
それも、二回。
──都で呪術を使うなど死罪に値する。
経基の言葉が思い出される。
ぱちん、と扇を閉じる音。
燭台の揺れる灯。脂の匂い。
闇に消えていく、藤の足音。
呉葉は奥歯を強く噛んだ。
強い怒りが体の中に渦巻いているのに、心は冷え切ってしまっている。
……罪?
なんの、罪?
アタシは藤のためにやっただけなのに。
涙が滲む。
縛られたままの両手を動かそうとして、縄が食い込んだ。
呉葉は痛みを無視して、顔を強引に拭った。
「──でさ、俺はそいつに聞いたんだよ。なんで蔵人の悪口ばっか言ってんだ、って」
呉葉の背中に、維茂と郎党たちの笑い声がまとわりつく。
馬の蹄の音。馬具のきしみ。
それら全部が、今の呉葉には耳障りだった。
「そしたら、歌がうまいやつは女癖が悪いに決まってる、って言い張るんだ。
だから言ってやったんだよ。
『あいつ歌ヘタクソだぞ』って。そしたらブチ切れてよー」
周囲の郎党はくすくす笑いながら維茂の話を聞いている。
維茂はちらっと呉葉の横顔を覗き込んだ。
呉葉はただじっと前を見ていた。
今は笑い声すら自分に向けられているようで、癇に障る。
維茂が小さく息を吐いたのが、背中に伝わってきた。
◇◆◇◆◇◆◇
周囲に木々が増えていく。
人の匂いや生活の音が遠ざかり、木の匂い、風の音が近くなる。
視界の先に大きな門が見えてきた。
古びた木肌が黒く脂ぎって見える。
「おっ、逢坂の関についたな」
背中から維茂の声。
門の手前についたところで維茂は馬から降りた。続いて呉葉も降りる。
維茂は呉葉を繋ぐ縄を郎党に持たせ、門の前へと歩きはじめた。
「今日は経基がいねえからな。ちょいと時間がかかるけど、待てるな?」
維茂は歩きながら、振り向く。
呉葉はふん、とそっぽを向いた。
「大人しく待ってたら唐菓子でも買ってやるよ」
「子供扱いすんな!」
とっさに噛みつく。
維茂は手をひらひらと振る。
「まあそう言うな。ここいらの唐菓子はうまいんだぜ」
「いらない」
吐き捨てるように答えて、また黙る。
目の前を人が行き交う。
都を出ていく旅人。都へ向かう商人。
大きな荷物を背負った男。子連れの女。老人。
みな、どこかへ向かっている。向かう先がわかっている。
(なのに、アタシは──)
なにがいけなかった?
藤に裏切られた。嘘をつかれた。
噂。疑い。空気。
なにがなんだかわからないまま、都からはじき出されてしまった。
(アタシはなにも悪いことはしてない)
胸の奥底で、何度も同じ言葉が湧き上がっては、消えていった。




