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―2―

 翌朝。

 藤は薄暗い北の間へと入った。

 まぶしい光が北の中庭を照らしている。


「私物を、改めさせていただきたい」

 家司に頭を下げられ、藤はとまどった。


 呼び出されたときから、藤は憂鬱だった。

 ……恐ろしいモノが、この屋敷に潜んでいる。

 そんな噂に女房たちは怯えていた。

 足音、衣擦れの音にすら反応し、言葉を交わす者もない。

 そんな空気が胃の中を重たくしていたのだ。


「女房や下女の私物は、我々が手を出すのは問題があります。なので、藤の方に指図していただきたいのです」

「……わたしが、ですか」

 声が思ったよりも細くなった。

 ……逃げたい。けれど、逃げられない。


 几帳の奥から経基の声。

「お前は常陸の下で長く働いてくれていたな」

 常陸の名前。藤の胸が古傷のように疼く。

 藤は深く平伏する。

「今、屋敷の細かい段取りができるのはお前だけだ、藤」

 視界が揺らぐ。

 歓喜?まるで違う。

 認められた嬉しさなど、全身から血の気が引いていく感覚で消し飛んでしまう。


「なるべく、ことを荒立てずに済ませたい」

 重ねて、経基の言葉。

 ……拒むこと、など。

 できるはずがない。


「承知、いたしました」

 藤は声の震えをこらえた。



◇◆◇◆◇◆◇



「わたしの厨子を?」

 若手の女房の顔は、血の気が引いていた。

 藤はただじっと相手を見つめていた。


 私物改めの順番を決めるのに"意図"がある、などと思われてしまっては、まずい。

 この女房を最初に選んだのは、最近秩父と仲良くしていたから。

 周りにそう思わせられれば、それでいい。


 胸が痛まないわけではない。

 が、あくまでお役目。そう言い聞かせ、藤は感情の蓋を押さえ込む。


「あるわけないでしょう、呪術の道具など!」

 焦っているのか、声が上ずる。近くにいた下女までもが振り向く。


「なにもなければ、すぐに済みます」

 低く、平静に。

 相手を落ち着かせるために、藤はなるべく感情を出さないように気をつけた。

 女房はさらに声を高めた。

「ないと言っているのです!」


(……愚かな)

 藤は聞こえないように短く息を吐く。

 声を上げれば上げるほど人目が集まる。

 やましいものがあると自ら示すようなもの。


「であれば、改めさせてください」

 ただ相手を見つめる。

 笑みも、視線も、言葉もなく。

 それが一番相手を怯えさせる。


 やがて、その女房は観念したように厨子棚の前を退いた。

 藤は左右にいる下女に目配せをする。


 下女は手早く厨子棚から櫛箱、化粧箱などを取り出す。

 女房は泣きそうな顔で唇を噛み締めている。

「あ」

 文箱を開けた下女が小さな声を上げた。

「ちが、うのです。それは」

 女房のしゃくりあげる声。

 下女が取り出した文には、五色の糸が巻かれている。

 ──恋のまじない糸、だ。

「蔵人の君からの文を……まとめていただけで……」

 真っ赤な顔で、女房は涙をこぼす。


 これは他愛もないもの。

 とはいえ"まじない"ではある。


 藤は困ったように息を漏らし、目を閉じた。

「見なかったことにいたします」

 下女に命じて文を戻させる。

 若手の女房は恥と安堵にうずくまり、しくしくと泣き始める。


 藤は後味の悪さを噛み締めながら、その間を出た。



 続いて次の間へ。

 そこは顔なじみの古株の女房の間だ。

 藤が足を踏み入れたと同時に、その女房は厨子棚を自ら開け、一礼した。


「ご協力、ありがとうございます」

 藤も同じように頭を下げる。

「あまりいい気分はしません」

 険しい目つき。しかし次の言葉は意外にやわらかかった。

「ですが……改める係が、あなたでよかった」

 呼吸がつかえそうになる。

 藤はもう一度深く頭を下げた。

「……常陸さまがおられたら、こんなことにはならなかったのに」

 ため息とともに、吐き出された言葉。

 その言葉に、藤の胸の底がじくりと痛んだ。

「わたしも……そう思います」

 自分の声が他人のものみたいに乾いて聞こえた。



「藤」

 藤と紅葉が使っている間。

 その縁側に紅葉が立っていた。


 表情は硬い。怒りというより、煮えきらない鬱屈。胸の内で何かが煮詰まっている目だ。

 ぽつりと口にする。

「すごく、嫌な空気になった」

「……そうだね」

 藤は自分でも驚くほど、乾いた声が出た。

 紅葉が一瞬、ぎょっとした表情になる。


 ──心は、今はいらない。感情は全て消す。

 藤は背筋をきつくこわばらせた。

「決まりだから」

 藤は紅葉と目を合わせない。

 視界の端で、紅葉が体を固くしているのがわかる。

「いいよね」

「……っ」

 紅葉が戸惑うような声を漏らす。返事、ではない。

 藤は構わず紅葉の葛籠に手をかけた。

「もちろん、だ」

 紅葉はためらいがちに顎を引いた。

 その表情の奥に見えるのは……わずかな、信頼。

「なにを探してるのか知らないけど、ヘンなものは入ってない。藤も知ってるだろ?」

「でも一応」

 藤は声を抑えた。


 知ってる。わかってる。

 紅葉は悪いこともしていないし、ヘンなものは入れていない。

 やったのは、ぜんぶ──。

 袖をぎゅっと握りしめる。


 葛籠を開け、下女に命じて中の物を取り出させていく。

 紅葉は、ずっと無言。

 藤は目を閉じた。

(ごめん、紅葉)


 下女が夏の小袖を持ち上げたとき。

 折りたたんだ間から、かさっ、となにかが落ちる音がした。


 藤は薄目を開けた。

 紙だ。人の形に折られたもの。

 胴のところに墨で文字が書かれている。

 ……『紅葉』の文字。


 その瞬間、ひっ、と下女が悲鳴を上げた。




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