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―2―

 呉葉の家は、里のはずれの小高い土地にある。

 受領の家としては質素だが、しっかりとした造りの屋敷だ。板壁は綺麗に揃えられ、茅葺きも真新しい。

 その母屋の広間に、呉葉は座っていた。


 すでに日は落ち、あたりには虫の音が満ちている。

 油皿の灯りが人影を揺らし、煙がうっすらと鼻に残る。


 呉葉の隣には父と母。向かいには、源経基と平維茂が座っていた。

 経基は扇で口元を隠したまま。維茂はしめったままの直垂の胸元をつまんで、ぱたぱたと風を通している。


「会津受領、伴笹丸とものささまると申します。こちらは妻の菊です」

 父は両手をつき、深く礼をした。声が普段よりも低い。

 母もそれに続くように、丁寧に指をそろえて頭を垂れる。


 呉葉は眉間にしわを作ったまま、不承不承会釈だけ返した。

 経基と維茂はそろって目礼を返す。

 その仕草の優雅さに、呉葉は思わず目を見張った。


「御息女の呉葉どのを山中でお見かけしてな。その際に失礼があったので、取り急ぎお詫びの品を用意した」

 経基が目配せする。維茂は脇においていた布の小包を前に差し出し、ほどいた。

 キジだ。獲れたてだろうか。長い尾羽根が綺麗な形を保っている。


「なにぶん旅の途中ゆえ、このようなものしか用意できず、申し訳ない」

「とんでもございません」

 父は節くれた手を床についたまま、早口で言った。

「経基さまの御名はこの片田舎にまで届いております。そのようなお方に対して、娘の方こそ御無礼を働いていなければよいのですが」

(恥をかいたのはこっちなのに)

 呉葉は唇を尖らせた。


 経基は微笑みを浮かべている。

「とんでもない。御息女は美しいだけではなく、眼差しが凛々しい。ご両親の教育の賜物でしょう」

 オレは水かけられたけどな、と維茂はぽそっとこぼした。

 経基がちらっと目を動かすと、維茂は口をつぐむ。

「もったいないお言葉です」

 父がさらに頭を低くする。


(頭下げすぎだろ)

 呉葉はこっそり舌打ちした。

 父の背中が、いつもよりも小さく見える。

 謝るのは向こう、のはずなのに。どうして父がそんなに縮こまっているんだ。



 あのあと。

 経基はこっちが困るほど丁寧に頭を下げてきた。

 ……「どうしてもご挨拶がしたい」「お詫びの品を持ってうかがう」と。

 それで仕方なく家まで案内しただけなのに。

 出迎えた父は、経基たちが高い身分の貴族だと知った途端、地面に額がつくほど平伏した。


(なんでこっちが気をつかわなきゃならないんだ)

 胸の中がむず痒い。


「貧しい土地ゆえ大したおもてなしもできませんが、せめて、ごゆるりとおくつろぎください」

 母が手を叩くと、屋敷の下女が膳と瓶子を運んできた。

 古い漆の盃に、酒がとく、とく、と注がれる。

 甘い酒の匂いが部屋の中に満ちていく。

「ありがたい」

 経基はゆったりと顎を引いた。



「ところで──」

 酒を軽く酌み交わしたあと、経基が静かに切り出した。

「御息女は、この先はどうなさるか決めておいでかな?」

「いいえ」

 父はわずかに目を見開いて、首を横に振った。

「お恥ずかしながら、なにぶん田舎育ちですので、ふさわしい相手もなかなか……」

 父は困ったように表情を曇らせ、苦笑した。

(恥ずかしいって言うな)

 呉葉は半目で父をにらんだ。


「で、あれば……」

 経基はわずかに口の端をもちあげた。

「もし受領どのさえよろしければ、御息女を当家で女房として召し抱えたい」

 父と母は、えっ、と驚いたまま顔を見合わせた。


「女房……?」

 知らずに、声がこぼれた。

(たしか……貴族の屋敷で働く女、だったはず)

 なんで突然、そんな話に。胸の内がざわざわする。


「正気か? 経基」

 維茂の小声が聞こえた。

「元々、視察のついでに『良い出会いがあれば』と言っておいたではないか。これもめぐり合わせというものであろうよ」

「あいつに務まるのか? ……石投げてくるような娘だぞ」

「才は磨くものだ。玉のように、な」

 経基は扇を口元に持っていく。

「それに我が家の女房達は品はあるが元気が足りぬ。このような娘がいるほうが、屋敷もにぎやかになろう」

「経基がそう言うなら、いいけどよ……」

 維茂は呉葉を見る。

 呉葉は鋭い目で睨み返した。


 父は再び経基に頭を下げた。

「恐れながら……この娘はなんというか、少々荒っぽいところがありまして……万一、粗相などあっては、ご迷惑をおかけするかもしれません」

「荒っぽい、ねえ」

 維茂は苦笑いを浮かべた。

 経基もくすっと鼻で笑って、視線を呉葉の頭布に向けた。なにかを探るような気配に、呉葉の背中がざわついた。

 とっさに頭布を手で押さえる。

「里でも、いつも皆から離れて、一人でいるような子なのです」

 父が続ける。

 その言葉に胸の奥がずしんと重たくなった。


「あいつらが勝手に言ってるだけだ」

 呉葉は吐き捨てた。


 ──化けもの。物の怪の娘。

 投げつけられてきた言葉が、体の中をえぐっていく。

「呉葉」

 父がたしなめる。呉葉はそっぽを向いて黙った。


 父はふうっ、と息をついて、経基に向き直った。

「なにしろ、この会津から出たことがない娘です。都の礼儀作法などおぼつかず、貴族の屋敷にお仕えするなどとても……」

「都?」

 その言葉に鼓動が跳ねた。

 無意識に腰が浮く。

「当家としても、会津の受領の家とよしみを結べるというのは悪い話ではないのです」

 経基は軽く笑みを浮かべる。

「行きたい!」

 呉葉はとっさに叫んでいた。


 ──都。

 旅商人や、たまに来る都からの役人の話でしか聞いたことがない場所。

 桜の舞う川のほとり、装束の女御たち。

 笛や箏の音。甘い唐菓子の匂い。

 思い浮かべるだけで、体の中がふわっと浮く。


 そこには、怯えた目も、逃げていく背中も、遠巻きの視線もない。

 誰もアタシを知らない。避けない。

 こんな嫌な目ばかりの田舎とは、きっと違う。


(都に、行ける?)

 勝手に鼓動が踊り始める。


「ちょっとこっちへ」

 母が慌てたようにささやく。

 経基と維茂に急いで一礼して、呉葉の袖を引っ張った。珍しいくらい乱暴に。

 呉葉はばたばたと隣の間へと連れて行かれた。


「お前、あのお方となにがあった?」

 母は呉葉の両肩に手を置いた。その表情にはどこか怯えが見える。

 呉葉は顔をしかめた。

「水浴びしてるとこ出くわしただけで、別に」

「もしかして、アレを見られたのか?」

 焦ったような声。

 呉葉は反射的に、頭布を押さえる。

「見、見られてない……と、思う。多分」

「だよねえ」

 母がほっと息をついた。

「見られていたら、こんな話を持ってくるはずがないもの……」

 母の眉は寄ったままだ。


「アタシ、都に行きたい!」

 呉葉ははっきりと告げた。

 母は眉を吊り上げた。

「なにを言っているんだ」

「だってここじゃ、アタシはずっと厄介者扱いじゃないか」

 拳を小さく握りしめる。


「……わかっているのかい?」

 母は声を落とした。

「都で『正しくない』とされたものは、死ぬまで叩かれ続ける。晒され続ける。

 その昔、証拠もないのに噂だけで流罪にされた大納言さまもいたんだよ」

「わかってるって」


 都の話をせがむたびに、毎回言われた、同じ言葉。

 ……いい加減、聞き飽きた言葉。

「呪術を使うのもいけない。そんな力を持ってると知られたら──」

「そんなの使わなきゃいいだけだろ? 余裕だってば」

「でも……」

 母の眉間からは、しわが消えない。

 呉葉は母の手を振り払った。

「こんなつまらない田舎に籠ってるより、都がいい!」

 迷いなく立ち上がる。

「一生、みんなから怖がられて暮らすくらいなら、一か八か、華やかで雅な人生ってやつを手に入れたい!」


 隣の間は薄暗い。枝が風で揺れ、虫が鳴く。

 けれど呉葉の目の中には、まぶしい都の光景が広がっていた。

 雑踏。人のざわめき。見たこともない色の衣。


 都へ行けるかもしれない。

 それだけで、胸が熱くなる。

 今を逃したら、こんな機会はもう来ないかもしれない。


 ──成り上がりたい。

 ここにいたら絶対に届かない場所へ、都なら手が伸ばせるかもしれない。


 呉葉はぐっと拳を握りしめた。


「都は、本当に恐ろしいところなんだ」

 母のつぶやきは、もう呉葉の耳には入っていなかった。




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