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「アタシなら……藤を助けられるのに」
藤の背中を見ながら、呉葉は小さくこぼした。
ぐっと拳を握る。
力があるのに、使えない。役に立てない。
それがなによりも悔しい。
「そんな力を見せたらバケモノ扱いされちゃうわよ」
はっとして振り向くと、秩父がいた。屏風の影から、すっ、と姿を表す。
「あなた、すごい怪力なんでしょ? たしかに、あなたなら準備が間に合うかもね」
秩父は扇の影でくすくすと笑う。まるで値踏みするように呉葉を見つめてくる。
「でも、そんな恐ろしい力があるってみんなに知られたら、屋敷にいられなくなるかも。
……それでもいいの?」
言葉に詰まる。
優雅に扇を動かす秩父の手つき。なのに、扇の裏の目は笑っていない。
「それは、困る」
その言葉に秩父の目がきらっと光った。
呉葉は扇の奥の眼差しを見返した。
「……でも、藤を泣かせるほうが嫌だ。だから、やる」
「あら、どうして?」
秩父の眉がわずかに吊り上がる。
「藤なんて見捨てちゃいなさいよ。屋敷を追い出されてまで、あの子を助ける義理なんてないでしょう?」
「ある」
呉葉はまっすぐ秩父を見た。
「藤は、いつもアタシを助けてくれた。いろいろ教えてくれたんだ。だから、アタシも藤を助けたい」
「……そ」
秩父の目に怒りの色が滲んだ。
「じゃあ勝手にすれば」
秩父はそう吐き捨てると、踵を返して歩き去っていった。
すぐさま呉葉は動き出した。
几帳を寄せ、屏風を畳み、離れの間へ運ぶ。重たいはずのものが、手の中で妙に軽い。
飾り紐の房が揺れ、鈴がちいさく鳴る。
音を立ててはいけない、と思いながら、ばたばたと走っていく。息がせりあがる。
香炉、それから衝立も。……置くときだけは、静かに、そうっと。
途中、すれ違う下女や女童がちらちらと呉葉に視線を向けた。
好奇の目。恐れるような顔。ひそひそ声。
(バケモノみたい……)
(本当に人……?)
(まるで鬼……)
人を呼ぶように走る者もいる。
呉葉は奥歯をぎりっと噛む。
(うるさい。こっちはわかってやってるんだ)
──なにを言われるかなんて。
わかってる。けど、知ったこっちゃない。
(今はただ、藤のために。そのために力を使っているんだ)
お腹にぐっ、と力を込める。
そのとき。
「え、ちょっと!」
騒ぎに気づいたのか、藤が急いで戻ってくるのが見えた。
息が上がっている。
「なにやってるの!」
叱るような声。
衝立を床におろしながら、呉葉は振り向いた。
「藤。いいところに来た。どこになにを置けばいいのか、教えてくれ」
「そうじゃなくて! なんで紅葉がそんな仕事──」
「急ぐんだろ?」
藤の顔を見る。
藤は青い顔で周囲を見回した。
残っていた下女、女童、そして女房たち。呉葉を見る視線に気づいて、指が震えている。
「叱られるのは、あとで全部聞く。
……だから今は、準備を急ごう」
なおも藤は逡巡するように目を動かす。
それからひと呼吸おいて言った。
「……わかった」
続けて、消え入りそうな小さな声。
「……ありがとう」
その言葉に、呉葉はにっと笑顔を向けた。




