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―2―

「これを届けてきなさい」

 常陸から渡されたのは、文だった。

 呉葉は頭を下げたまま、両手でそれを受け取る。

 文の紙は新しく、ほのかに香の移りがあった。都の文は、匂いまで作法に組み込まれているのか、と思う。


 指示された一間には、呉葉と同じくらいの年の女房がいた。

 呉葉の顔を見て、女房は一瞬びくりと目を揺らす。すぐに取り繕うように笑みを作ったが、まだ怖がっているのがわかる。


「常陸さまから預かってきました」

 呉葉が文を差し出すと、とたんに女房の顔がぱっと明るくなった。

「あ、あの……常陸さまは、なんと……」

 女房がそわそわしながら尋ねる。

 呉葉は常陸に言われたことを思い出す。

「えっと……くろうど? の方からの恋文、だって。

 あと、返事の書き方が不安なら、聞きに来なさい、って言ってました」

 女房はまるで舞い上がりそうなほどに、腰を浮かせた。そして頬の赤みを隠すように、慌てて扇を開く。上品ぶった咳を一つ。

「あの……常陸さまには、後ほど、と伝えて」

「わかった……りました」


 すぐ横にいる呉葉のことなどもう忘れたかのように、女房はうっとりした声で『蔵人の君……』とこぼした。そして、いそいそと筆と紙を取り出す。

 呉葉は一礼して、静かにその場を離れた。



「文、か……」

 縁側を戻りながら、呉葉は思わず口にした。


 文字が書けるようになったら、父と母に文を出そう。

 都の話を、いっぱい書きたい。

 そうしたら……。

(いや、余計に心配するかな)


 ……考えごとをしていたせい、だろうか。

 板敷のきしみに、ふいに視線を上げる。

 渡殿に入ってしまっていた。この先は寝殿だ。


(間違えた──)

 戻ろうとしたとき、寝殿のほうから声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声に足が止まる。


「……わかっているのか。相手は関白家に連なる一族だぞ」

 これは、経基の声だ。ため息をつくような、諭すような声。

 ──かん、ぱく?

 また知らない言葉だ。

「お前にも立場というものがあるだろう」

「けど、オレは後悔してねえぞ」

 経基の声に続いて、言い返す声。

 こっちも聞き覚えがある、と呉葉は思った。

「長いものに巻かれる、などと恥じる必要はない。時流を読むのも、また生き方だ」

 それきり声は止んだ。


 呉葉は寝殿に近づいた。

(さっきの声。あれは確か──)

 どちらの声も、もう聞こえない。どこかへ行ってしまったのだろうか。

 探す? それとも。

 迷っていると、寝殿の中から庭へと降りてきた人影と目があった。

 御簾の向こうに見えるのは、動きやすそうな狩衣をまとった男。


「お、田舎娘じゃねえか」

 声をかけてきたのは、維茂だった。

「あ、覗き男」

「だれが覗きだコラ」

 呉葉は反射的に御簾をめくっていた。

 すかさず文句が返ってくる。

「って顔出したらダメだろ」

「あ、そうだった」

 ばっと首を引っ込める。

 それを見て、維茂は肩を揺らして笑った。

「まだまだ雅にはほど遠いな」

「うるさい」

 むっ、と頬をふくらませる。

 あいかわらず維茂はムカつく。

 ……けど、嫌じゃない。

 呉葉は眉を持ち上げたまま、そう思った。


「なにやってんだこんなところで」

「お使いの帰りだ。維茂こそなにしに来たんだ?」

「ああ? ……別に、大した用事じゃねえよ」

 なにかを誤魔化すような口ぶり。

 ……わかりやすい。

 呉葉はじとっ、と視線を送った。

「怒られてただろ」

「バ、ちげ、なんで聞こえてんだよ」

 つい笑いそうになるのを、呉葉はこらえた。

「たまたまだ」

「地獄耳かよ」

 維茂は不服そうに口を尖らせた。

 その様子がおかしくて、呉葉は笑いをこらえる。

「で、なにをやらかしたんだ?」

 呉葉はからかうような口調で言う。

「うっせ、お前には関係ねえ」

「なにか失敗でもやらかしたんだろ」

「は? お前と一緒にすんな」

 維茂はむくれた。

 その横顔が子供っぽくて、呉葉はとうとう噴き出してしまった。

「ちょ、おま、笑ってんじゃねえ」

 怒りながら、維茂の顔もゆるんでしまう。



「ムカつくヤツらがいてよ」

 維茂は縁側に腰を下ろした。呉葉は御簾の内側に座る。

「経基の根も葉もない陰口を言いふらして回ってやがってさ」

「陰口?」

「ああ」

 維茂は腹立たしそうに、左の手のひらに右の拳を打ちつける。

「荘園に重税をかけて、暴利を貪ってる、って。

 ……実際に重税をかけてるのはそいつらの側なのによ」

「罪のなすりつけじゃないか」

「だろ? 腹立つよな」

 まるで目の前にそいつがいるかのように、維茂の鼻息が荒い。

「……だから、ちょっとぶん殴ってやったんだけどよ」

「いやダメだろそれは」

 呉葉が即座に突っ込む。

「いくら腹が立っても、いきなり殴るのはダメだ。アタシも父に言われた。

 手を出しても問題が解決するわけじゃない。むしろもっとややこしくなる」

 呉葉は里でケンカしたときのことを思い出した。

 維茂が言葉に詰まる。


「ってそれ、お前も殴ったことあるから言われたんじゃねえのか?」

「……なんでわかったんだ?」

「わかるわ!」

 維茂と目が合う。


 一瞬の沈黙。

 そして、お互いに吹き出す。

「ただの乱暴者じゃないか」

「お前もな」

 こんな乱暴な会話をしているのに、嫌な気分じゃない。

 都に来てからずっと感じていた嫌なものが、すっと溶けていくのを感じた。



 渡殿を抜ける風が、御簾の端をかすかに揺らしていく。


「都は、悪いことしてるって噂を流されたら負けなんだ」

 維茂はつまらなそうに、遠くを見た。

「叩いていい相手だと思ったら、関係ないヤツらまで集まってきて好き勝手に言いたい放題言いやがる。

 ……そのくせ誰も本当のことなんか確かめようともしない」

 維茂は吐き捨てる。

「──そんなの、ぜってえ許せねえだろ」

「わかる」

 呉葉は迷いなく言った。

「わかんのかよ」

 維茂は苦笑する。

「自分が間違ってないって思うなら、アタシも戦う」

 続く呉葉の言葉に、維茂は驚いて瞬きが止まった。

 ……少しの無言。

 維茂の目から、からかうような色が消える。

 ──対等な、相手を見る目。


 次の瞬間、維茂は笑った。

「ま、だからオレは怒られてたんだけどな」

「やっぱ怒られてたんじゃないか」

「うっせ」

 お互い、ニヤけながら言い合う。


 ふと、維茂は目元をきゅっと細める。

「……呉葉も気をつけろよ」

「なにをだ?」

 呉葉は首を傾ける。

「都はめんどくせえんだ。目立ちまくったら、どんな噂を流されるかわかったもんじゃねえぞ」

 維茂は、どこか心配するような真剣な目で呉葉を覗き込んだ。

「あー……」

 思い当たることが多すぎる。

 口を開けたまま、動きが止まる。

「もしかして、もう手遅れか?」

 維茂が、わざとらしく笑う。

「うるさい」

 呉葉は即座に言い返した。


 ──でも。

 ちっとも嫌じゃなかった。

 口ではケンカしてるはずなのに。


 呉葉は、つい笑みを抑えられなかった。




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