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怪異「交通安全さん」

作者: 梅酒わいん
掲載日:2025/12/23

私たちの地域には『交通安全さん』という有名な怪異がいる。

彼女を怪異と言っていいのか、幽霊と言っていいのか、妖怪と言っていいのか分からない。


別に私はオカルトが好きな訳では無い。

だから、彼女を何と呼べば未だによく分かっていない。


ともかく、そんな"よく分からない"ものが、居た。


具体的に言うとだいたいここから歩いて10分くらいの交差点に居る。

交差点の近くに行くまでその姿は一切合切見えない。


写真にも映らないらしく、インターネットのマップで、交差点をぐるっとひと回ししていても、なんの変哲もない道路が映し出されるだけだ。


そこそこ車が通る交差点だけど、そこは見晴らしも悪く、信号もない。


地域の人が何度か苦情を市に入れているらしいが、何故か一向に信号が設置されている雰囲気は無い。

白線とガードレールがあって、注意して渡らないと危ないから、悪ガキでもここはちゃんと左右を見て渡るようにしている。



そこに、髪が長く白い服の女の人が、よく立っている。



この地域では有名だ。

ここは小学校と中学校への通学路だ。

朝は児童達の親御さんが旗当番として立っていて、子供たちの通行を見守っている。



そして、彼女は――



なんか大人たちと一緒に旗当番している。



そう。旗当番の一員としてなぜか混ざっているのだ。

彼女の事は誰も知らないし、何時から居るかも分かってない。

子供から大人まで、あれは人では無いと本能で理解しているくらい人間じゃない。


人間じゃないものだというのは分かるのに、なぜかみんなそれを理解しながら無視して、旗当番を手伝わせている。



いつから旗当番を始めたのかよく分からない。

この辺りでは旗当番の旗を、ひとつ多く持っていけば、勝手にやってくれるのだそうだ。



「インフルエンザ流行ってた年だったかなぁ。俺一人でやる羽目になっちゃってどうしても人足りなくてよぉ。そこに突っ立ってるんならやってくれ、って旗渡したらやってくれてさぁ」


と町内会長が言う。犯人は貴方ですか。


そんなわけで、毎朝の通学の時に旗当番をしてくれる"なにか"のことを子供たちはいつの間にか『交通安全さん』と呼ぶようになったのだ。


その影響力は高い。

小学校で交通安全のポスターを書くコンクールがあった。

その時、児童全員が「髪の長い白い服の女」を描いた、という噂すらある。私は描いた。



よく分からない存在である『交通安全さん』を祓った方がいいのでは無いか。

という話もあった。しかし。



「旗当番一人減るぞ」



という実害になってしまい、誰も祓おうと思わなくなってしまった。

面倒くさい旗当番をやってくれる人員は多いに越したことはなく、PTAすら問題視していない。



そんなこんなで影響力を得ている『交通安全さん』は子供たちからも妙に恐れられることなく、毎朝「おはようございます!」と声を掛けられていた。



掠れた酷く小さい声でぶつぶつと「おはよう」のような言葉を聞くことは出来る。

だが、誰かに振り向いたりはしないため、意思の疎通が出来ているかはよく分からない。



朝だけで無く、帰りの時間でも『交通安全さん』の姿は見ることが出来る。

その時はか細い声で「おかえり」のような言葉を言ってくれる。

児童の大半は「ただいま」と言って家へと帰るのだ。



夜遅くでもたまに見かける。子供だけではなく大人でも守っているのだろうか。

意識していない時はいないかもしれないが、ふとした瞬間に『交通安全さん』の姿は目に映るのだ。


暗い夜では流石にちょっと怖いが、恐ろしさよりも「ああ、今日も見守ってくれているなぁ」という安心感を覚えるような状態にすら至っていた。



そんな、害の無い扱いされている『交通安全さん』だが、一度だけ、私は突き飛ばされたことがある。




あれは小学生のころだったか。いや中学生かもしれない。時期に自信は無い。

何かしらの理由で学校から帰るのが遅れて、酷く焦って家に帰ろうとしていた。

たぶん塾の時間か、習い事の時間に遅れてしまうような焦りを記憶している。



あの交差点は信号が無く、見通しが悪く、交通量は妙に多い。



慌てて焦って、

急いで走って、

左右の確認をせず、

交差点の中に入り、




白い手で、突き飛ばされ。






トラックが。







通り抜けて行くのを目の前で見た。


心臓がバクバクと鳴っていた。危うく事故になる所だった。

しかし、そうはならなかったのは何者かの手が私を突き飛ばしたからだった。



誰かというのは分かっている。


『交通安全さん』だ。


彼女は鬼のような形相で私を見下ろしていた。


私をその白い手で掴み、互いの眼だけが見えるほどに顔を近づけた。


口は髪で隠れて見えない。目だけが見えていた。

初めて見る、赤く血走った開いた瞳孔は明らかに怒りを宿していた。



怖くはなかった。



危ないことをして、怒らせてしまったとひどく悲しくなって私は泣いた。



「ごめんなさい。もうしません」



私はばつが悪くなって謝った。

すごく長い時間がたった気がする。

ゆっくりと手を離した『交通安全さん』はぼそぼそと何かを呟いて消えた。

その時の言葉だけは鮮明に聞こえて、未だに覚えている。



「気をつけておかえり」



『交通安全さん』の手の感触は覚えていない。

強く掴まれたという感触と、お風呂の時に掴まれたところがアザになっていた記憶だけはある。



お母さんにその事を伝えたら、めちゃくちゃに怒られて、夕食過ぎた時間だと言うのに、『交通安全さん』が居る交差点まで連れていかれて一緒に謝る羽目になった。



その時、『交通安全さん』は現れなかった。

だけど、お母さんが交差点に響くように大声で謝っていて、なんだかすごく恥ずかしかった。






時間が経って、私は親になった。

この地域から離れて上京して、結婚して、子供も出来た。

里帰りの最中に、子供を連れて地域のお祭りに顔を出すために、久しぶりに交差点へ行った。




交差点の隅に小さな社が建っていた。




そして、それをにんまりと嗤いながら眺める、白い服の髪の長い女が未だに立っていた。




私たちの地域には『交通安全さん』という有名な怪異がいる。

彼女を怪異と言っていいのか、幽霊と言っていいのか、妖怪と言っていいのか分からない。



ただ、少なくとも、地域の神にはなったようだ。



地域のお祭りでお守りが売っていた。

「交通安全さんの交通安全お守り」だそうだ。長いよ。

だけど私は、このお守りの効果を信じている。




この地域の出身者で交通事故にあったものは居ない。

そして、こんな見通しの悪い交差点で事故が起こったこともないらしい。




今日も、なにか分からないものが旗当番をしている。

少子化のせいで子供は少なくなったが、親も少なくなったお陰で重宝されているらしい。



多分私が死んだころになっても、学校がある限り彼女は旗当番を続けるだろう。



私は彼女を信じて、自分の子供のランドセルにお守りを結びつけた。


「交通安全さん交通安全お守り」の効果を、私は信じている。



あの白い手が、子どもを守ってくれますように。


嗤っていた。

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