絶望的な希望
「もう、終わりにしようか。全ては終わる」
痩せ細った黒い影。尖った顎に不釣り合いなほど鋭く輝く眼が、落ち窪んだ眼窩の底で蠢く。
ソレは、それ以上でもそれ以下でもない、見たままの存在。私たちがソレを見て、感じたままの存在であるソレは、意識の底に響き渡る声で、最も威厳ある間を取って告げた。
私は、見たままにソレを認識し、聴いたままにソレの言葉を解釈した。恐れや後悔は無い。一つの現実が存在するだけだ。
しかしソレは、ソレの存在と言葉に対する私の態度に興味を持ったらしい。「おまえがこの先、どう歩むか観察しよう」と告げた。何の意味も無い厳かな声で、闇に包まれた静寂を引き裂きながら。
ソレは、私から奪うのを諦めた訳では無い。私が気付かぬ間に、私を蝕んでいくだろう。何も言わなくとも、ソレがそういう存在だという事を、私は誰に教えてもらう訳でもなく識っている。
私の心が読めるのか、ソレは鋭く生え揃った歯を誇示するかのように、裂けた口を横に拡げた。唇の無い口の、両端が耳に向けて釣り上がり、真珠色の歯が光る。
罪人達はソレを見て、恐れおののき泣きわめき、頭を地面に擦り付けて去ってくれるよう哀願するものらしい。ソレを見ることの出来る者は、そういう連中であり、ソレも連中に対しあるべき行いを行うために存在するようだ。
しかし、今ソレに対峙する私は至って平然としている。ソレは、その事が面白いらしい。
変なヤツだ。
なぜそう思うのか。ソレを招いたのは私だからだ。私が、私の望むまま、ソレを招いた。主人は客人の素性を知りながら、我が意識の領域という、本来不可侵であるべきの館に招いたのだ。
するとソレは、突き抜ける突風のように、大声で笑う。私の存在が、掻き消えてしまうような、地の底から亡者の手の群れが湧きあがるような、鼻先に腐り落ちていく肉塊を突き付けられたような圧迫感に満ちた笑い。
それでいて、暗雲を切り裂く一条の光の矢のように、さわやかで、底抜けに明るい笑い。人ならざるソレは、どんな人よりも気持ち良い笑いをした。
ソレは、今も私と共に在る。ソレが何を考えているのか、私には関係ないし、興味も無い。ただ、ソレがすべきことを果たすのを、望むだけだ。
残念なことに、ソレは自らの意志で自らが為すべき事を実行する時と場所を選べないらしい。ソレは執行者でしかない。裁く権利を持たない。血を好む処刑人であって、法の番人ではないのだ。
ソレは自分がすべき事は何か識っている存在。存在意義たる行いを実行するだけの、単純な存在。
そのことを識っていて、私はソレを招いた。なんのために?生きるために。
私が信じる生き方を貫くためには、ソレの存在が与える緊張が必要なのだ。はち切れんばかりに引き絞られた緊張を、ソレは与えてくれる。
そして執行者たるソレ自身も知りえない、その時に、ソレが嬉々としてすべき役目を果たす時こそが、今の私にとって最大の楽しみなのだ。
私は、待ち望んだ瞬間がきたとき、満面の笑みを浮かべるために、今を生き抜く。
暗闇の中。歩む男は希望を掴むために、絶望を抱く。 彼が彼である必然のために。