「対峙の果て」
「……あれ……?」
政悟の声は細く、かすれていた。
「イチくんの……幻覚が、見える……や……」
それは夢か、幻か。思考が霞む中、確かにその姿が見えた気がした。その人物――八真人は、銃を構えたままゆっくりと近づいてきた。片膝をつき、政悟のそばに身をかがめる。
「遅れてすまない」
その声が、現実のものとして政悟の耳に届いた。
「政悟、もう少しだけ、頑張れ」
政悟の唇が、かすかに動く。安堵のような、笑みに似た表情が浮かぶ。
「……あ……そうだ……隼斗は? 無事……?」
「大丈夫だ。隼斗さんには連絡した。もうすぐここに着く」
短く、はっきりとした答えに、政悟はうっすらと目を閉じた。
「そっか……よかった……」
「政悟!」
八真人が床に膝をつく。
政悟の脈はまだある。けれど、出血は多い。時間がない。その一方で、イハラはまだ銃を握ったまま立っていた。だが、その目はどこか遠くを見ていた。
八真人の瞳から一切の感情が消えた。銃口が、ゆっくりとイハラへと向けられる。
「イハラさん、もう終わりにしましょう」
「……政悟は生きてるか?」
「まだ息がある。でも、時間はない」
八真人の声は低く、怒りと哀しみに満ちていた。
「政悟を殺そうとしたあなたを……俺は、絶対に赦さない」
銃を構え直しながら、八真人の目がイハラを捉える。対するイハラの目には、かつての温もりはもうなかった。ただ、どこか哀しげな諦めだけが漂っていた。
「政悟が、昔の俺に見えたんだ。正しさを信じて、それをどう扱えばいいのか分からない。真っ直ぐで、不器用で……あいつを救えたら、俺もやり直せるって……そう思ってた」
イハラは息を吸い、目を伏せる。
「政悟を救いたかった? 違う。あなたは、自分を救いたかっただけだ。政悟を使って。政悟を踏み台にして」
八真人は怒気を孕んだ声で切り捨てた。
「そうだな。確かに……あいつは俺より、ずっと強かった。俺の正しさなんかより、ずっと……真っ直ぐだった。あいつを見て思ったよ。俺の信じてきた正しさは、ただの理想論だったんじゃないかって。でも、あいつの正しさも、誰かを犠牲にしてる。それでも、進まなきゃならないんだろうか……」
イハラがわずかに口元を歪める。
「……教えてくれ。八真人。正しさって、なんだ? お前の正しさは、なんだ? 撃てよ、俺を。お前の正しさを俺に突きつけろ」
それに対して、八真人が口を開く。静かな怒りとともに言葉を叩きつける。
「正しさなんて知らない。正しさなんて、俺にもわからない。でも――」
一瞬、唇を噛んで続ける。
「裏切った俺が言える立場じゃないのは、百も承知だ。けど、それでも……もう、これ以上、政悟を傷つけるな」
銃口が揺るぎなく定まる。だが、その指先はわずかに震えていた。
「少なくとも……政悟は、あなたを信じてた。それを裏切って、命を奪おうとした時点で、正しさなんてもう関係ない。せめて、これだけは終わらせる。俺の手で」
銃声が空気を切り裂いた。イハラの身体が崩れ落ちる。手から滑り落ちた銃が、乾いた音を立てて床板を跳ねた。
その身体から、かすかな声が漏れる。
「……すまない」
イハラの最期のつぶやきが零れた。それが懺悔だったのか、呪詛だったのか、八真人には、もう分からなかった。ただ、心に残ったのは、自分の引き金が奪った命の重さだった。
胸の奥が、焼けるように痛んだ。これでよかったのか。それとも――自分の正しさなんて、本当にどこにあったのか。
それでも、赦される資格なんてなくても、政悟が生きているうちに、手を伸ばさなくてはならなかった。迷っている時間はなかった。
八真人は呼吸を整えると、政悟の元へ駆け寄った。政悟は床に倒れたまま、微かに目を開いていた。
「イチくん……」
「無理するな。今、助ける」
政悟はうっすらと笑った。
「僕、先に逝くかもしれない……あの六道輪廻の中で……きみが来るの、待ってるね……」
かすれるような声だった。
「……だから、班長を……和兄さんと、隼斗を頼んだよ」
「――お前は、こんなことで死なないだろ。しっかりしろ」
八真人が政悟の手を握る。
「頼む、政悟――俺は……俺は、お前を喪いたくなんかない」
必死に押し殺した声は震えていた。
「前に、イチくんが言ってたよね……誰に、何を証明したいんだって」
政悟の視線は、遠くの何かを見ている。
「僕はただ……いざと言う時に……大切な誰かを護れる力が欲しかった……たぶん、それだけなんだ……よ」




