「救済の銃声」
スマホを後部座席に放り投げながら、シンイチはアクセルを踏み込んだ。タイヤがアスファルトの上を滑らせる。
(なんだよ、なんでこんなことに……イハラ…)
ダッシュボードに入れてあった小型拳銃を手探りで確認する。防弾ベストは着ていない。時間がない。
政悟の声が、頭の中で何度も繰り返される。
『殺されます! 研究員は隼斗を狙ってます!』
現場は山間の廃研究施設。車で40分ほどかかる。通報してきた研究員は、外部と遮断された生活をしているという情報だった。
(くそっ、隼斗! 一人で行かせるんじゃなかった!)
施設が見えてきた。車のライトを落とし、少し手前で止める。あたりは静まり返っている。
「隼斗……」
施設の裏手、ドアが半開きになっている。そっと足音を殺して近づくと、部屋の中で、短い叫び声と銃声がした。
(まずい、間に合ってくれ……)
シンイチは呼吸を殺し、銃を片手に突入した。
「隼斗!! 下がれ!!」
銃声がまたひとつ、鋭く響いた。 弾はシンイチの肩すれすれを掠めて壁に当たる。直後、もう一発。しかし、それは外れた。シンイチは視線だけで敵の位置をとらえる。呼吸、構え、そして一瞬の静寂。 引き金が、わずかに絞られる。次いで、乾いた銃声。狙いは狂わなかった。研究者の胸元、急所を正確に撃ち抜いた。 相手の身体がぐらりと揺れ、抵抗の隙もなく崩れ落ちる。
隼斗は床に伏せ、わずかに顔をしかめたまま、倒れている研究員の呼吸を確認した。すでに虫の息だ。念のため、未だ握られている手から銃を外す。
「おい、来るのがちょっと遅ぇよ」
「隼斗、無事か、ケガは?」
「かすり傷だよ。けど、こいつ――完全に俺を殺す気だった。何の躊躇もなく、撃ってきやがった」
シンイチは振り返って、倒れている研究員に目を落とす。
「助かった。でも、どうして来たんだ?」
「政悟が行ってくれって言ったんだよ」
「政悟が? ああ。さっき、あいつから電話がかかってきたな」
隼斗が眉を寄せた、その時だった。ポケットのスマホが震える。
「誰だよ、政悟か……ん? 八真人?」
画面には、班を抜けたはずの八真人の名前。訝しみながら、隼斗は通話ボタンを押した。
「ああ、俺だ。どうした。え? 政悟が? 場所はどこだ。イハラが……? いや、お前、何を言って――分かった、とにかくそっちに向かう」
通話を切ると、隼斗はシンイチの方を向いた。
「悪い、ここを頼む。政悟が何かヤバいことに巻き込まれてるらしい。八真人が興奮してて、話が要領を得ない。けど、ただ事じゃない」
シンイチの目がわずかに細まる。そして、ふっと息を吐くように言った。
「隼斗。もし、イハラに会ったら」
「イハラ?」
隼斗が不思議そうに眉をひそめる。
「俺をTNTに誘ったこと。あれ、別に恨んでないって。むしろ感謝してるって、伝えてくれ」
「あ、ああ。分かった」
状況を完全には飲み込めないまま、隼斗はそれでも頷く。
ほんのわずかな沈黙が流れた。
そして、再び駆け出す足音だけが、夜の空気を裂いた。
――この出来事の数週間前――
山間の廃研究施設。薄暗い室内に、冷蔵庫の低い唸りだけが響いていた。
イハラはここにいる一人の男に会いに行っていた。頬はこけ、目元に深いクマ。かつてイハラの知る姿とは別人のようだったが――その面影だけは、はっきりとそこにあった。
「きみは、圭くん……だな」
「あなたは……川北さん?」
「ああ」
「あなたがあの組織の人? てっきり医者になったものだと……」
通報者、研究員の篠池圭。
姉である千晴と暮らしていた頃、まだ小学生だった少年が、今やひとりの研究者として、TNTの排除対象となっている。
その現実が、イハラの胸に重くのしかかっていた。
「きみが通報した情報は、すべて聞いた。すでに組織が動いている。だが……きみの保護はそこには含まれていない」
「あの、もしかして、俺も消されるんですか? 守ってくれないんですか? 約束が違うじゃないですか!」
圭が叫んだ。怒りと嘆き、諦めと無力さが混ざりあっている。
「……なぜまた、こんなことに関わった」
イハラの問いに、圭は肩をすくめた。
「……わかんないよ。最初は、助けてくれるって言われた。研究を続けられるって。……でも途中で気づいた。ああ、俺、またやってるって」
「――」
「でもさ……俺はもう、止まれなかった。あの時助けられても、何も変わってなかったんだ。ただ生き延びて、また誰かに利用されて……それだけ」
圭は俯きながら言った。
「……姉ちゃんが殺されてから、俺、何も残ってないよ」
その言葉が、イハラの胸を貫いた。
千晴。
柔らかく、まっすぐで、人を信じて疑わない。イハラにとって初めて本気で「守りたい」と思った人。そして、彼女の願いが、いま目の前にある命へと繋がっている。
「……圭くん」
イハラはゆっくりと近づき、しゃがみこんだ。
「俺は……きみを守りたい」
「……は?」
「どれだけ組織に反対されても、きみがもう一度やり直せるように、俺は、力を貸したい。たとえ、そのせいで俺がTNTを追われることになっても――」
「川北さん、それは――」
「違うんだよ。俺の気持ちじゃない。……千晴なら、そうしたはずだ。彼女ならきみを、見捨てない」
圭の目が揺れる。
「……バカだよ。そんなことしても、姉ちゃんは……もういないのに……」
声が震え、言葉が途切れた。イハラはそっと、圭の肩に手を置いた。
「いないよ。でも、いなかったことにはしない。あいつが生きていた証を、俺が守る。これから俺の言う通りに動くんだ。必ず助けるから。また連絡する、ここで待っていてくれ」
―――だがその願いも、届くことはなかった。圭はイハラの思いも虚しく、帰らぬ人となった。仲間を救うために引き金を引いた、シンイチの手によって―――。




