「暗刻の前線」
人気のない裏道沿い、古びた公園のベンチに腰かけて、政悟はスマホを伏せた。和大に電話をしたが、忙しいようで繋がらない。
木の葉を揺らす風が涼しく、日差しの下では汗ばむ肌にも心地よかった。だが、その涼しさがどこか、少しだけ冷たくも感じられるのは、たった今聞いた名前のせいかもしれない。
「政悟」
名を呼ばれて振り向けば、イハラが立っていた。
「どうしたんだこんなところで、今日、学校は?」
「今、終わったところです……あれ? イハラさんこそ、隼斗たちと一緒じゃなかったんですか?」
「俺は別行動だよ」
そう言ってイハラは政悟の隣に座った。政悟は先ほどの会話を思い出した。
「あの、通報者を匿おうとしている人がいるみたいです。班長に伝えようと電話したんですが、出なくて……どうやらその相手、カワキタって言うTNTの人みたいです。表に出ない国の組織の人って、さっき電話で話してたので。そこで、僕、思い出したんです。前に行った島の任務の時……」
「おい、ちょっと落ち着け。誰かが通報者の研究員を逃がそうとしているのか? だいたい島の任務ってなんだ?」
イハラが怪訝な顔をする。
「あ、イハラさんは島の任務にいませんでしたね。僕とシンイチさんと隼斗で行った任務なんですけど。そこで他の隊員が話していたんです。『カワキタさんには会ったよ。まだTNTで頑張ってる』って。多分その人が通報者を逃がそうとしているみたいです」
隣に座るイハラは、少しだけ目を細めて、ゆっくりと息を吐いた。
「カワキタ……か……。それはちょっと厄介かもな」
その呟きに、政悟はわずかに眉を寄せた。
「知っている人、ですか?」
イハラは肩をすくめ、曖昧な笑みを浮かべた。
「ああ、名前を聞いたことがある。確か、カワキタって、自由に動く人間だって。でも……政悟、この件は、誰にも言わない方がいい」
「え?」
「TNTの人間が関わってるとすれば、安易に動くべきじゃない。もしも、そのカワキタが班長の知り合いだったらどうする? 和大のことだ、上に報告する前に何とかしようと言うだろう。念のため俺の方で確認しておくよ。まずは俺一人が動く。この件は俺とお前だけで、抑えておこうか」
公園の砂場では、小さな子どもたちが無邪気に叫び声を上げて遊んでいた。政悟はちらりと視線を向けてから、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。イハラさんに任せます。それで、僕はどうしたらいいですか? TNTの内部に、別ルートがあるってことですよね」
イハラはわずかに目を伏せて、ゆっくりと首を横に振った。
「その可能性もある。でも憶測で動くのは危険だ。政悟はこのまま、対象者の監視を続けてくれ。カワキタが接触してくるかもしれない」
「はい。何かあったら、イハラさんにすぐ連絡します」
「対象者の会話はリアルタイムで聞いているのか?」
「いいえ、学校があるので、録音したものをあとでまとめて……。でも、この状況だと、リアルタイムで聞いた方が良いですよね?」
「いや、さすがに学校で聞くのはな……。まぁ、相手はただの研究者だ。お前のやり方で問題ないよ。いくらカワキタがTNTの人間とは言え、すぐには動けないだろう。学校では勉強に集中すること、いいな?」
イハラの声は、あくまで落ち着いていた。
「はい」
政悟はそう言って立ち上がった。イハラも少し遅れて立ち上がり、軽く背中を叩いてくる。
「無理はするなよ」
イハラの声はいつものように穏やかだった。
政悟が公園を後にしようとしたその時、スマホが震えた。画面には「和兄」の表示がある。通話に出ると、和大の落ち着いた声が響いた。
「政悟、今どこだ?」
「イハラさんと近所の公園にいます」
「ああ、イハラも一緒か。さっき、本部から連絡があった。研究員以外の関係者が逃げ出す可能性が出てきたらしい。予定が早まったが、これから排除の任務を行う。俺と隼斗、シンイチも現場に向かうが、お前たちも来られるか?」
政悟はイハラに視線を送る。事情を察したのか、イハラは軽くうなずいた。
「はい、わかりました。イハラさんと現場に向かいます」
「そう言えば、さっき電話したか?」
「あ、それは……」
和大の問いに、政悟は一瞬言葉を詰まらせた。イハラが「何も言うな」とでも言うように、そっと首を横に振る。
「いえ……解決しました」
「そうか、じゃあ。急で申し訳ないが集合してくれ」
「はい」
任務地は郊外の開発区に建つ、外国資本のシェアラボだった。外見はただの二階建ての研究施設だが、内部には情報収集や非合法な実験の拠点として整備されており、今回のターゲットはその中に潜伏する関係者――おそらく武装した人員7名ほどと想定されていた。
夜間、施設周辺の人通りが途絶えた頃、和大、隼斗、シンイチが先に合流地点に到着していた。間もなく、政悟とイハラが並んで現れる。イハラは手袋をはめ直し、政悟はどこか緊張の面持ちだ。
その姿を見た隼斗が、眉一つ動かさずに口を開く。
「なんでお前ら、一緒なんだ?」
あくまで淡々とした口調だったが、視線にはわずかな棘が混じっていた。
政悟が答えかけたその時、イハラが一歩前に出て、冷ややかに言い捨てた。
「たまたまだ。文句があるなら後にしてくれ。仕事中に雑音は不要だ」
その返答に、隼斗は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。まるで、もとから期待などしていないような反応だった。
その間に、和大が周囲の警戒を終え、低い声で指示を出す。
「ターゲットは建物内部、二階のラボに3名、監視と出入口付近に4名。確認次第、順次排除に移る。イハラ、政悟は東側を回り込んで侵入口を確保。俺と隼斗、シンイチで裏手から入る。3分後に同時突入。いいな?」
全員が無言でうなずいた。任務が始まる。互いの温度差と緊張が空気に漂う中で――。




